お題『やるせない気持ち』
神様に会ったことがある。
まだ幼い子どもの頃のことだ。同い年くらいの少年が、周りの大人たちから“神様”と呼ばれ、救いを求められていた。
自分の親もまた、そのなかの一人。
初対面の、自分の子どもと変わらない歳の子どもに悩みを相談するその姿は、今思えば滑稽だ。
けれど当時の自分は、そんな親を心から愛していたし、救われて欲しいと、救いたいと思っていた。
だから、相談室を出ていく親の背をすぐには追いかけずに見送って、彼を振り返り、問うた。
「俺も、神様になれる?」
彼は何も答えず、ただ微笑んだ。
あれからしばらくして、“神様”はいなくなってしまった。
噂では、“神様”を降りた彼の代わりの、新しい“神様”がいるらしい。けれど、そちらを訪ねる機会はなかったので、どんな人なのかは知らない。
とにかく、親の信じていた“神様”はもういない。
何かある度に救いを求め、何もなくても安心を求め、依存していたとも言える“神様”がいなくなった後は散々だった。
新たな依存先を求めては騙され、失敗し、また新しい依存先を探す繰り返し。
上手くいかないのは、当たり前だ。だって彼以外の誰も、“神様”なんて呼ばれるような存在ではなかったのだから。
だから自分が、“神様”になりたかった。
“神様”なら、きっと、出来ていたのだろう。あの人の願いを叶えることが。もういない、会いたい人に、会わせることが。
人の身では叶えられない、“神様”にしか叶えられない願い。
――それを叶えるために、俺は“神様”になりたかった。
白い花に囲まれ、埋もれていく親を見て、思う。
“神様”には、なれなかったけれど。せめてこの後、どこかで、再会できていますように、と。
―END―
8/26/2023, 2:47:30 PM