桜河 夜御

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お題『海へ』

 何処へ行こうか。何処がいいだろう。
 第一に、人目につかない場所がいい。誰もいない、誰にも見つからない場所。
 それから、静かな場所がいい。あと、綺麗な場所だともっといい。
 山はどうだろうか。昼間は駄目だが、夜ならきっと人目はない。静かだろうし、自然豊かで綺麗でもあると思う。
 いや、でも虫がたくさん飛んでいるのは嫌かもしれない。
 じゃあ、川はどうだろうか。
 夜なら、川遊びをする人はいないはずだ。人がいなければ静かだし、自然に囲まれているが山よりは虫も少ない気がする。
 ……いや、でも、川では浅すぎる。流れが速く、水量の多い川でないと、意味がない。
 どこかの屋上はどうだろう。
 場所さえ選べば人通りはなく、静かな時間もあるだろう。
 綺麗、かどうかは微妙なところだが、天気がいい日を選べば青空でも夜空でも綺麗に見えるだろう。
 ……何だかピンと来ない。屋上はやめにしようか。
 他には、何処があるだろう。
 もういっそ、自宅はどうだろうか。いや、やっぱり山で、川で……。
 いくつかの候補を挙げ続けて、ようやく決まった。 
 海へ、行こう。海がいい。うん、海にしよう。
 そうと決まれば、思い立ったが吉日。早速、夜の海へと繰り出した。
 今日は朝から一日、いい天気だった。今も、空を見上げれば沢山の星が輝いていた。
 自分以外誰もいない空間と、耳が痛くなるような静寂と、美しい星空。まさに求めていた状況だ。
 ゆっくりと、海への一歩を踏み出した。
 さく、さく、と。微かな足音が静寂のなかに浮かんでは消えていく。
 ――さく、さく。
 一人しかいない筈のこの場所に、自分以外の足音を拾う。
 ――さく、さく。
 足を止めても聞こえてくる足音の持ち主は、どこを探しても見当たらない。
 ――さく、さく。
 自分を追い越して、海の中へと進んでいく。ある筈のない足跡までもが、見えた気がした。
 この足跡を、知っている。
 今までも多くの人が進んでいった、そして今から自分も辿る道だ。
 ――さく、さく。ぱしゃ、ぱしゃ。
 砂浜は終わり、海の中へ。
 あぁ、好い風が吹いてきた。
 ――ざわざわ、ぱしゃぱしゃ、ぽちゃん……
 水面が揺れる。波紋が広がる。その正体を、知っている。
 それは、この海の果てへ消えていった優しい人たちが隠した、涙の跡だ。

                    ―END―

8/25/2023, 12:30:34 PM