第五話 その妃、躊躇わず
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京畿の東に棲まうとある一族は、代々正統な血を守り続けていた。純血であるほど『星』との結び付きが強くなると、信じて疑わぬままに。
“混血の子など在ってはならない。どのような理由があろうとも”
“混血児は滅せよ。どのような手段を使ってでもだ”
その地の風習や伝統は、地中深くにまで根付いていた。だから、それがたとえ赤ん坊相手でも例外ではなかったのだ。
里人たちは、容赦なくその赤ん坊の命を狙った。他人も、親戚も、実の兄弟でさえも。
しかし、赤ん坊は生き長らえた。
否、誰も敵わなかったのだ。その赤ん坊に。
『……拝命致します』
類い稀なる力を持ったその赤ん坊は、史上最年少にして里の長となる。
しかし信仰を重んじる里人は、外にそれが漏れる事を恐れ、長を里の森深くに隠し、素性を秘匿することにした。
長となった赤ん坊は、何にも期待しなかった。
利己的な人間にも、私欲のために家族面する奴らにも。そして、自分自身にさえも――。
* * *
「そなたの力を持ってしても見つからぬとはな」
「星が語るのはいつでも真実のみ故」
「心得ている。次は、良い結果を期待していよう」
「御意。……我らが帝に、祝福あれ」
腕を組み、頭を下げたまま御前を後にする。
長い廊下を渡り、門をくぐり、好奇の目に晒されながら帝都を出てようやく、今歩いてきた道を振り返る。
そして、嘲笑を浮かべて一言。
「誰が教えるか。下衆野郎」
何が、代々受け継いできた風習か。伝統か。何が、純粋に守られてきた血統か。
実にくだらない。
受け継がれたものなど、せいぜい性格の悪さと狡賢さだ。そもそも混血児が長になった時点で、すでに守るも糞もないではないか。
そんな世界に『期待』など。有りもしない言葉を知っていること自体、滑稽で仕方がないというのに。
――嗚呼、何とつまらぬ人生。
待ち受けているのは、強欲な悪意の手によって堕ちていく死だけとは。
「……そう決め付けていた頃を、まさか懐かしく思う日が来るとはね」
そうではないと、教えてくれた人がいる。気付かせてくれた存在がいる。
だから、闘うことを選んだのだ。
唯一渡り合える人間が、逃げるわけにはいかないからと。
「……辺鄙な所に呼び出したかと思えば、一体これはどういう状況なわけ」
どうせ旅路の果てが同じならば、最期くらい彼らのために何かを遺して逝きたいと、そう思った矢先。
目の前には、躊躇いなく踏み潰す女と、悦んで踏み潰される男。どうやら友にする人間を間違えたようだ。
「おお! 待っていたぞ心の友よ!」
「人違いだと思います」
「わお。すごい他人行儀」
「……それで? そちらの女性は」
挨拶も礼儀もすっ飛ばすのは、そもそもの必要がないからだ。
「御機嫌よう。陰陽師殿」
この女もまた、同族の人間。
帝に仇なす――反逆者だろうから。
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第四話 その妃、ほくそ笑めば
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人間は、浅ましく愚かだ。己の私利私欲を律する人間など、神に誓いを立てた僧侶や巫女くらいだろう。
正しく律せられるのも数える程度。実際にこの目で見たことなど、生きてきた人生で一度もない。
そんな人間ばかりならば、争い事など起こるはずもない。それは、俗世から切り離された小国も例外ではない。
「意にそぐわぬまま、迷い込んだ小鳥たちは何も、一羽二羽の話では御座いません。……我が麗しの小鳥も、恐らくはその類で有りましょう」
だからこそ、この妃にははっきりと、この心を届けておきたいと思うのだ。
膝を折り、面を上げぬまま、束の間の沈黙が訪れる。静かにそれを破ったのは、妃の方が早かった。
「それで、あんたは私に何を望むのかしら」
「小鳥に自由を」
「私を、ここから出したいと?」
言わずとも、この人ならば知っているだろう。
迷い込んだ小鳥たちが、一体どうなったのか。
それでもこの場所から、安全に飛び立って行ける術があることを。
「お望みとあらば」
ハッと、鼻で笑われる。
できないと思っているからではない。愚かだと、そう思ったのだ。
この、『小鳥を助ける』という、自己満足の繰り返しを。繰り返すだけで根本を正そうとしない、目の前の非力な男を。
「つまりは私をここから脱出させて、尚且つこの国から亡命させようとしてるってわけよね」
「はい。僕の全てを以て、あなた様の安全を保証すると誓いましょう」
「でもそれだけじゃ、全然面白くないわよね」
「……はい? 面白い?」
「あんたもそろそろ飽きてきた頃でしょう? その誓いも、何度も言い過ぎて薄っぺらいったらありゃしない」
そうして、目の前の妃はほくそ笑んだ。
「あんたは、今まで何を見てきたのかしら」
頬杖を突いて。
笑みを浮かべて。
「私、やると決めたらとことんやらないと気が済まなくって」
そして跪く男を指差して、言い放つ。
「吠え面かかせてやろうじゃないの」
「えー……」
美しさは変わらない。
けれど、どこか年相応に見えるその愉しそうな笑みに、捨てたはずの心が踊り出す。
あるわけない。
何事も、上辺で付き合うのが一番楽で後腐れないのに。
「何よ。何か文句でもあるわけ。あるって言っても、あんたはもれなく道連れだから」
「何でもないですよ。喜んで着いていきますとも」
月が沈む。
きっと寝惚けているせいだろうと、今はまだ、そう思うことにしておく。
これ以上、面倒事に関わるのは御免だから。
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第三話 その妃、白い目を向く
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帝には、愛して止まない小鳥がいる。
雪のように白い羽根に血のように赤い双眸の、まるで月から舞い降りた女神のような。
それはそれは、美しい小鳥が。
各地を訪問していた帝は、とある地で少女に出会う。少女は巫女であった。
幼いながらもその内なる美貌が留まることは知らず、非常に聡明。心の底は深く清らかで、常に穏やかな笑みを携えていた。
帝は美しい少女を欲した。
少女こそ、我が妻に相応しいと。
けれど少女は、首を横へと振る。
巫女として、人の為この世の為に尽くすことを神に誓ったからと。
帝は、喜んで少女の小さな背を見送った。
彼女が、本当にそれを望んでいるならと。
『そなたのために、鳥籠は開けておく』
ただ一言、惜しむようにそれだけ呟いて。
それから、各地より美しく聡明な小鳥たちが、その鳥籠を求めて舞い降りる。
しかし、寵愛を注ぐに値する小鳥はおらず、今も尚鳥籠は空いたまま――。
* * *
「そういうことなので、未だに皇后の座は空席というわけですね」
信仰心の高いこの国の人間たちは、何も知らないだろう。ただ、たった一人の少女を一途に思い続けている、愚かで哀れな男が英雄なのだと、微笑を浮かべるだけで。
だから、想像すらしないのだ。その裏で、どんなことが繰り広げられてきたのか。
それを敢えて言わないのは、目の前にいる気高き妃がそのことを知る由もなければ、知る必要もないから。……本来であれば、まごうことなくそう答えるのだが。
「恋にうつつを抜かすとか、てっぺんが聞いて呆れる。本当に英雄かどうなのか」
この妃に嘘は通用しない。
この妃に隠し事はできない。
この妃にわからぬことなどない。
心の内に叶わぬ願いを抱く者は、そのような有り得ぬ話や噂を頼りに、このような場所まで足を運ぶ。
先の貴人も、恐らくはその類だろう。この妃が対価に何を要求したのかまではわからないが。
「しかし、それも時間の問題ではないかと、宮廷内では噂になっているようですよ。今までぴくりとも触手を動かさなかったあの帝が、とある小鳥には興味を示しているとかで」
「興味があるのは私にじゃない」
「おや、ご存知で? 未来の皇后」
「やめて。虫唾が走るから」
会話を通じて、少しずつ口調が砕けてくる。白い目を向け……素を見せるくらいには、信用してくれているようだ。
「そろそろ僕には教えてくれてもいいんじゃないですか。こんなに甲斐甲斐しく……それこそ、本物の首をかけてお支えしてるっていうのにぃ」
「あんたのせいで、ここに来てからかなり太ったんだけど?」
「一応名目上、餌遣り係となっておりますので」
「どの口が言ってるのよ」
嬉しくてつい口を緩ませていると、こちらを睨み付けながら彼女は冷めた茶を呷る。
気高く、そして麗しい。
けれど、それだけではない一面に触れて思う。
目の前の妃もまた、ただの普通の女なのだと。
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第二話 その妃、花か団子か
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遥か昔、この国がまだ小国として統一していなかった頃。三つの豪族たちが争い続けていた。
愚かな戦いの末、全ての人が生きることを諦めていたその時、異国の青年がこの地を訪れる。
母を失った少女は、泣きながら異国の服に縋り付いた。
そして願った。争いのない日々をと。ただひたすらに。
青年はしかと頷いた。
そして幾つもの困難を乗り越え、国に平穏の時を取り戻していったのだった。
この国の人間にとって、青年はまさに英雄そのもの。後に人々は彼を“帝”と呼び、永遠に崇め奉ったという――。
* * *
時は昭和元禄――天下太平奢侈安逸の時代。
深山に隠れるよう、俗世から切り離された小国『花洛』とその京畿を治める“帝”は、小さな苛立ちを漏らしていた。
それは恐らく、『愛しの小鳥』が彼の鳥籠から逃げてしまったからだろう。今のところ、まだ見つかってはいないようだが。
『たった今から、貴様は餌遣り係だ』
どうやら今は、つい最近手に入れた『新しい小鳥』の世話に苦労している様子。
たった一羽にのみ寵愛を注ぐあの帝が気にかけるという事は、ただの小鳥ではないようだが。……あんな所に閉じ込められては、簪一つ買えはしないだろう。
『街へ行って、それらしい物でも見繕って来るかな』
こんなの、ただのご機嫌取りに過ぎなかったのだが。
『待っておったぞ』
まさか、初対面で懐に忍ばせていた自分用の月餅を全て奪われるとは。
「……まあ、花より団子ってわかっただけでも収穫だったってことで」
「んあ?」
「そんなに頬張らなくても横取りしませんよ」
今にも喉に詰まらせそうな、かわいらしい彼女に茶を淹れながら。
「……早よう続きを聞かせよ」
「まあまあ、そう焦らずにいきましょう?」
気高き妃と話をしよう。
月が落ちても。東の空に陽が昇って、また月が昇っても。
面白い話はいつまで聞いても飽きない。
そう言ったのは、他でもないあなたなのだから。
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第一話 その妃、悦に浸る
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鬱蒼と生い茂る樹木に足場の悪い傾斜。昼間でも暗いこの小山を短時間で抜けるには、男でも相当山道に慣れていないと難しい。ましてや体力のない女子供など以ての外だ。
その奥へと続く道なき道を抜けると、急に眼下へと現れる廃れた御殿。それが、とある妃の宮殿だと言われたところで一体どれだけの人間が間に受けるか。深山に隠されている時点で、帝からの寵愛は疎か、その存在も知られてはいないだろうに。
「……事の次第につきましては、追って使いを寄越しますので……」
御簾の向こう側から聞こえる、鈴音のような耳心地の良い声。気配を消し、貴人を乗せたその輿が完全に見えなくなるまで見届けてから、宮殿の門を叩いた。
離宮内はしんと静まり返っている。下女は疎か、主人を世話するはずの侍女ですらこの宮にはいない。その代わりの男が、帝の命により時々訪れる程度だ。
「眠れないなら、お茶でも淹れますよ」
月光に照らされた、絹のように滑らかな白い肌。下ろされている濡羽色の艶やかな髪。形の美しい紅を引いた唇と、色っぽい目元の二連黒子。頬に影を落とす睫毛が持ち上がると、そこから現れる意志の強い瞳。
目尻に此方を捉えると、この離宮の主人は嘲笑を唇に描いた。そう、この美人に嘘は通用しないのだ。
頬杖を突きながら流し目を送る美人に、ほうと感嘆の息を漏らしてから、国の情勢を掻い摘んで報告する。専ら男の仕事といえば、こうして美人と色のない話をすることだけであった。
しかし、今夜は少し様子が違って見えた。
いつもなら「そうか」と言ってすぐに宮から追い出そうとするのに、いつまでも主人は、池に映った月を眺めている。
「いつもなら今頃夢の中なのに、随分とお優しいじゃないですか」
「非常に有意義だったからな」
「妬けちゃうなあ」
「面白い話はいつまで聞いても飽きない」
なら、いつもすぐ下がらせる報告程度の話は、さぞかしつまらないのだろう。
唇を尖らせながら下がろうとするが、やはり今夜は何かがおかしい。
「おぬしも聞きたいだろう?」
何故なら、悦に浸った様子の主人が、真っ直ぐに此方を見つめていたからだ。
こんな時間に、そんな状態で、こんな美人に出ていくのを引き止められて断る健全な男がいようか、否いまい。
静かな二人だけの夜。
この時はまだ、知る由もない。
目の前にいる麗しのお妃様が、まさか腐敗した小国からの脱出だけでは飽き足らず、国家転覆まで企んでいようとは。
「おぬしも聞いていて損はないだろう」
「では僕も、とっておきの面白い話をして差し上げますね」
「期待はせずにおこう」
「存分にしてくださって結構ですよ」
これは、誰も知らぬ御伽噺。
やられたら気の済むまでやり返す破天荒者――後に『落花妃』と呼ばれる女の、亡国物語である。
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