青波零也

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2/25/2025, 11:15:04 AM

「さぁ、」
 と、差し出された手を握ったことは覚えている。
 夕焼けがきれいな丘だった。思い返してみれば、曇り空の記憶がない。休みの日にそこを訪れた記憶もない。
 学校が終わって、でも家には帰りたくなくて、チャイムが鳴るまでのほんの少しだけの時間を過ごす、秘密基地じみた夕焼けの丘。
 最初は俺一人で、ただただぼんやりと夕焼け空を見上げていたけれど、いつしかそこに、知らない顔を見るようになった。
 最初は遠巻きにしていた。気づかれたくないと思った。俺だけの場所に、邪魔者が現れたのだと思った。だけど、そいつが、手を差し伸べてきたのだ。
 ――一緒に遊ぼう、と。
 多分、本当は、そう言ってもらいたかったのだと思う。俺がその言葉を想像もできなかっただけで。
 そうして、一人が二人になって、それでもいつかは必ず帰らなければいけなくて。
 いつか、どうしても帰りたくない日、そいつはもう一度、俺に手を差し伸べた。
「冒険に出かけない? どこか、もっと遠い場所に」
 まあ、手を取ったところで、結局は子供二人の逃避行だ。別に遠い場所にも行けないまま、夜の帳が降りる頃には家に帰らされて。
 ……けれど、その小さな「冒険」が俺の命運を分けたのだと知るのは、それからずっと先のこと。
 あの日から三十年を過ごした俺が、今になって「子供の俺の死体」を見せられてからの話になる。


20250225 「さぁ冒険だ」

2/24/2025, 11:43:50 AM

 こいつを、花のようだ、と言うやつがいる。一人じゃなく複数の評価な辺り、まあまあ共通認識足りうるらしい。
 わからなくはない。誰もが振り向くような、とは言わないまでも、それなりに目を引く美貌。それも、派手というより素朴で清楚な印象の美人なものだから、冬の終わり、春の始まりにそっと顔を出す一輪の白い花のようだ、という評価も理解はできる。
 だが、そういう評価を下すやつは、大概重要なことを見落としている。
 冬の終わりに真っ先に顔を出す花なんて、やたら生命力に満ち、力強く根を張っているに決まっているんだ。
「ごめんなさい、少し遅れてしまったわね」
 かくして、こいつは今日もいけしゃあしゃあと言い放つ。俺が散々かけてモーニングコールの回数も、なんならこいつの妹さんにまで連絡を入れて、言葉通りに叩き起こしてもらったということも、おくびにも出そうとはしない。
 だが、その図太さがあるからこそ、俺たちの「リーダー」足りうるともいえよう。
 大地にぶっとい根を張り、仮に手折られかけてもただでは終わらせないだろう我らがリーダーは、俺たちの顔を見渡して、花のような笑みを浮かべる。
「さあ、今日の潜航を始めましょう」


20250224 「一輪の花」

2/23/2025, 11:06:27 AM

 俺たち異界研究者は魔法という言葉が好きではない。定義しがたい、と言った方が実態に近いか。
 俺たちのいる『こちら側』ではあり得ない現象も、ここではない場所である『異界』の中では当然のものかもしれないわけで、「起こりえないこと」を示す「魔法」という言葉は相応しくない。
 仮に『異界』の不思議が『こちら側』に持ち込まれても、それは「異界の理」であり魔法ではない……、とまあ、俺たち異界研究者という人種は総じてクソめんどくさい思考の持ち主ってわけだ。
 さて、そんな俺たちでも「魔法」と定義するものがあるとすれば、あらゆる『異界』を自在に渡り歩く連中の能力なわけだが。
 もう一つ、俺が個人的に「魔法」と思っているものがある。
「なあ、X?」
「何ですか?」
 リーダーに発言を許可されている「生きた探査機」異界潜航サンプルXは、左右でちぐはぐな色をした目をこちらに向ける。
 その日本人らしからぬ琥珀色の左目にはどうも魔法が篭められているらしいのだが、Xに使いこなせないとかなんとか。
 だから、俺が「魔法」だというのは、全く別のところであって。
「どうして、言ってもいない俺の住所と彼女の住所を特定できるんすかね……?」
「伺った、お話の中で、特徴的なランドマークがいくつかあり、移動時間と乗り物から、距離の推定が可能でしたので。……不愉快に思われたなら、すみません」
 恐縮、を体現するかのように身を縮ませるXに、思わず溜息をつく。感嘆の吐息と言いかえた方がいいかもしれない。
 この、俺は名前も背景も知らない、ただ生まれも育ちも『こちら側』のはずの「生きた探査機」が、時折見せる人並みはずれた推理力。
 俺の知る中でもっとも不可思議なそれを、こっそり「魔法」と呼んだところで、きっとXを知る誰もが否定はしないだろう。そういうことだ。


20250223 「魔法」

2/22/2025, 11:35:08 PM

 止まない雨はないという。
 けれど、僕の心には長らく雨が降り続けている。
 その結果僕の中の不安も焦燥もわだかまりも何もかもを押し流してくれるならいいが、閉ざされた空間に降り続く雨は、ただただ澱んだ思いを飲み込んだ暗い池を作り出すばかり。
 どうして足元ばかり見ているんだ、とあいつは笑うだろうか。
 いつかの仕事明けの朝、ちょうど雨が上がったばかりの空を指差して、あいつは朗らかに言った。
「ほら、見ろよ、虹が出てる!」
 その言葉に目を上げれば、確かに見事な虹がかかっていた。僕の記憶の中では、初めて見る自然の虹だったかもしれない。
 今もなお、その鮮やかな色は僕の脳裏に焼き付いている。
 僕の心の中にも、あの虹が架かる日が来てくれるのだろうか。
 でも、あいつはもうここにはいないから、雨が止んで虹が出たことにも気づけないかもしれないな。
 今日も、雨は止まない。


20250223 「君と見た虹」

2/21/2025, 10:13:19 PM

 高らかに鈴の音が響く。
 星々瞬く夜空を駆けるのは橇を引くトナカイたち、そして橇の上でトナカイたちの手綱を引くのは、白い縁取りの赤い衣装に身を包んだXだ。
 私――『こちら側』からすれば季節はずれで、なおかつ物語の中でしかありえない光景も、少し位相のずれた『異界』なら「本当に起こりうる」ことであって。
 腰を痛めたサンタクロースに代わり、その役目を請け負った親切なXは、初めてとは思えぬ手綱さばきでトナカイたちを駆り立て、橇を虚空に走らせていた。
 橇の上いっぱいに積まれたプレゼントの配り先はトナカイたちが知っている、らしいけれど、本当だろうか?
 私はついそう思わずにはいられないが、Xに迷いはないだろう。愚直なまでに言葉通りに与えられた役目をこなす、それがXのあり方であり、彼の美徳でもあったから。
 ――『異界』。
 ここではないいずこか、此岸に対する彼岸、伝承の土地におとぎの国、もしくは、いくつも存在し得るといわれる並行世界。
 我々は今日も、「生きた探査機」死刑囚Xの目を通して、『異界』を観測する。
 Xの視界を映すディスプレイには、やがて子供たちの眠る街が見えてくる。
 あちこちに灯るあたたかな明かりが、夜空の星々に負けず煌めいていた。


20250222 「夜空を駆ける」

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