僕宛に手紙が届いた。
店の住所、そして僕の名前が綺麗な文字で書かれた、何の変哲もない封筒。
差出人の名前はない。
そもそも僕がここにいることは誰も知らないはずで、なのに店の主である彼女ではなく僕を名指しにして送られてきた手紙。
一体僕に何の用事なのだろう、手で封を開けかけたところで、
「不用心にすぎる」
と、彼女のしらじらとした指が僕の手から封筒を取り上げる。
「見るくらいなら、と思って」
「それが不用心だと言ってるんだ。封を開ける、あるいは文面を視認する、それを条件に降りかかる魔法だってある」
ああ、と、僕もやっと合点が行く。
そうだ、彼女は魔女であり、僕もまた彼女の魔法をひとかけら預けられた身。魔法に、僕の常識が通用するとは限らないのだった。
彼女はつまんだ封筒をためつすがめつしながら言う。
「こいつはトロイの木馬だな」
「コンピューターウイルスの?」
「お前は事件性のあるものにだけは詳しいな。とはいえ、これに限ってはその通り、古代ギリシアの伝承ではなく、かのウイルスのそれだ」
無害な手紙を装い、封を開けた瞬間に、開けた人間の脳裏に焼き付くウイルスめいた魔法なのだと彼女は言う。
「その結果、ウイルスがどういう活動をするかはここから見ただけではわからない、が、ろくなものではないだろうな」
「それが、どうして僕に?」
さあな、と彼女は笑う。魔女や魔法使いの恨みを買ったか、単に「遊び相手」に選ばれただけか。お前に心当たりがないなら私にわかるはずがあるまい、と。
「ただ、これは私が預かっておこう。お前には『まだ』手に負えない」
魔法の使い方もろくにわかっていないお前には。
そう言って、彼女は封筒とともに店の奥に消えた。
それきり、あの手紙の行方はわからない。僕宛の手紙も届かなくなった。
それは当然、僕の居場所なんて、彼女以外の誰も知らないはずなのだから――。
あの手紙をきっかけに、彼女から「お守り」として預けられた、羽の形のレターオープナーを手の中で回し、僕は今日の仕事を始める。
20250218 「手紙の行方」
強すぎる輝きは時に目を焼くものだ。
色の付いたフィルム越しに太陽の形を確かめたことを思い出す。
もしかすると、彼女を目にするときもそうすべきだったのだろうか。
僕の目に映る彼女はいつだって輝いていて、彼女のほんとうの形も、周囲のすべても、焼かれた僕の目にはどこかあやふやに映る。
ただ、彼女が僕の目から見ていつだって強く輝いて見えることだけは、確か。
その一挙一動のうつくしさ、僕の知らないものを見てきた深い色の目、弧を描く完璧な唇、何もかも何もかもが、僕にはまぶしすぎる。
けれど、焼かれるとわかっていながらも輝きに惹かれてしまうのは、きっと、人の性みたいなものだ。
20250218 「輝き」
時よ止まれ、お前は美しい。
……そんな言葉を、どこで聞いたっけか。
「どうかしましたか?」
傍らの監査官がつい足を止めたこちらを見て首を傾げてくるものだから、舌打ち一つ。
「クソったれなほど綺麗な夕焼けだなと思ってな」
研究室の窓には分厚いブラインドがかかっていて、基本的に開かれることはない。俺の住処である医務室も同様に。サンプルに外界の情報を必要以上に与えないため、という理屈はわかるが、時になんとも息苦しい気持ちになることは、否定できない。
だから、研究所の外に出た途端に視界いっぱいに飛び込んできた真っ赤な空に、思わず足を止めた。それだけの話。
「……景色を褒めるにしては表現おかしくないですか?」
「うるさいな」
「しかし、珍しいですね、ドクターがそんなことで足を止めるなんて」
理解はしてるさ、俺らしくもないってことは。更に舌打ちを重ねながら、しかし、眼鏡越しの視線を空から離せないままでいる。
沈みゆく夕日、紅に燃える空。
必ず太陽は沈み、夜がやってくる。夜が来るってことは、家に帰る刻限だということだ。今の俺はいくらでも研究所に居座ってクソつまらんレポートを書く権利を得ているが、そうでなかった時期の俺を思い返すと、つい、浮かぶ言葉。
時よ止まれ、お前は美しい。
帰るべき場所などないまま、永遠の夕焼けの下で遊ぶ子供の姿が自然と脳裏に浮かび、その、ちいさく痩せた二つの影を振り払うように、空から視線を引き剥がした。
20250217 「時間よ止まれ」
――振り返ってはいけないよ。
それは冥府をゆくオルフェウスに代表される、まあ、使い古されたエピソードなわけだが、使い古されているということは、それだけ人の心に触れるものなんだろう。
そうでなくとも、見てはいけない、振り返ってはいけない、と言われてしまえば意識せずにはいられない。今だってそう。
「久しぶり」
背後から、声がする。
「驚いたな、わざわざ俺を捜しに来たなんて」
忘れもしない、アタシをめちゃくちゃにしてくれたあいつの声。
忘れられるはずもない、その記憶だけをよすがに、アタシはあいつを求めて旅してるんだから。
「なあ、顔を見せてくれよ」
でも――。
「あいつなら、もっと素敵な口説き文句を言ってくれるわ。勉強して出直してらっしゃい」
言い切って、前だけを見据えて更に一歩。
世界と世界の境界線を越えて、ここではない場所へ、あいつを探す旅は続く。
20250215「君の声がする」
本当にそいつはルーズなやつで、僕は今日も待ち合わせ時間から30分は遅れてきたそいつを睨む。
けれど。
「ごめん! ほんっとーにごめん! この通り!」
心底申し訳ないという顔で、両手を合わせて深々と頭を下げるそいつを見てしまうと、なんだかいちいち怒るのも馬鹿馬鹿しくなって、溜息をつくことしかできない。
毎度のことなのだから、少しは反省してほしい。いや、反省だけでは意味がなく、なんなら反省はいらないから改善だけを頼みたいのだが、どうにもこのルーズの塊には伝わらないとみえる。
すると、そいつは顔を上げて、「あとさ」と口を開く。
「それでも、待っててくれて、ありがとう」
当然のことだ、ここで僕が帰ったら君だってひとりで途方に暮れていただろう、どちらもいい気持ちにはなれまい。
とはいえ、当然と思っていたところに告げられた感謝の言葉は、待ちの間ですっかり冷え切った体にあたたかく響いたのも、確か。
「どういたしまして」
それはそうと、次はせめて15分くらいの遅れにしてもらいたいものだ。僕だって別に暇じゃないんだぞ。
20250214「ありがとう」