【手を繋いで】
始めての登校日。
小学1年生だから、本当に始めて学校に行く日。
同じ登校班のお姉さんが、手を繋ぎながら
歩幅を合わせて歩いてくれた。
生憎の雨模様寒かったけど、
暖かかったあの手は、今でも覚えている。
【ありがとう、ごめんね】
『お疲れ。コレ、今朝配られた分だ。置いとくぞ。』
「うん、ごめん、ありがと。」
これは、あいつの口癖みたいなものだ。
"ありがとう"には必ず"ごめん"が付いている。
『あのな…。前から言ってるけど、何で謝るんだよ。』
「えー、何でって言われても…。」
『何も悪いことはしてないんだから、いちいち謝るなよ。』
「んー。でも、手間掛けさせてるわけだし…。」
『これくらい、どうってことねぇよ。』
こいつは真面目で義理堅いやつだが、
頭も固いし聞き分けが悪い。
それに加えて、性分がそうさせているのだろう。
"ごめん"の回数が減ることはなかった。
知り合って間もない頃は、感謝の言葉と共に告げられる
謝罪の言葉が腑に落ちなかったし、
正直なところ、気に食わないとさえ思っていた。
しかし慣れとは恐ろしいもので、今では
それも"あいつらしさ"の1つだと思うようになっていた。
『それにしても、珍しいな。お前が遅れて来るなんて。』
「あぁ〜、まぁ、ちょっと…ね。」
『なんだ、何かあったんだろ?』
「そう、なんだけど…。」
『…言いにくいことか?』
「うん、ごめん。」
『いや、いいんだ。
ただ、無理はするなよ。俺も、出来るだけ力になる。』
「…。ありがとう、…ごめんね。」
そう言って力なく笑うこいつに、違和感を覚えた。
(何かを隠しているんじゃないか…?)
そんな予感がしながらも、追求はしなかった。
こいつの口は良くも悪くも固い。
無理に問い詰めても、また適当にはぐらかされるだろう。
(全く話をしないわけではないんだ。
必要があれば、その時に話してくれるだろう。)
そう呑気に考えていた。
…今は、そのことを後悔して止まない。
【夢と現実】
嫌な夢を見た。
尊敬する、憧れの先輩から、
本物の先輩からは信じられないような、
そんな、酷い暴言をぶつけられた。
激しく罵られた。
夢の中の先輩は、知らない人なんじゃないかと、
別人なのではと思いたくなるほど、怖かった。
(今日、練習日だ…。)
夢は所詮、夢だ。
そうわかっていても、怖かった。
―――
あっという間に練習の時間が訪れる。
先輩はお仕事がお休みだったのか、
いつもより早い到着だった。
楽器を運びながら、先輩の背中に声をかける。
振り向いた先輩は、見慣れた笑顔を浮かべていた。
私が知っている、優しい声。
いつもと同じように、"重いだろ?"と言いながら、
楽器の運搬を手伝ってくれる。
(よかった。先輩は先輩だ。)
同級生にこの話をしたら、
"疲れているんじゃない?"とか
"先輩をなんだと思ってるんだ…"とか
"内容はどうあれ、ついに夢を見るようになったか"とか…。
心配してくれたり、いつも通りに軽口を
叩いてからかったり、反応は三者三様だった。
優しい先輩に愉快な友人たち。
彼らがいるこの現実が、私はたまらなく好きだ。
【さよならは言わないで】
ついに向かえた、市民合同演奏会当日。
足りない人数でパートを分担して、
限られた時間の中で必死に練習して、
なんとか曲を仕上げられた。
そして本番の演奏も、無事に終えることができた。
「お疲れさん。」
『お疲れ様です。ありがとうござました。』
「いや、こちらこそ。いい経験をさせて貰った。」
どうしても人手が足りなくて、ダメ元で高校時代の先輩に、
エキストラ出演のお願いをしてみたら、快く了承してくれた。
お仕事の都合上、合奏練習にはなかなか参加できなかったけど、
それでも、ゲネプロ前には完璧だった。
『お忙しい中、本当にありがとうござました。
先輩にお願いできてよかったです。』
「あぁ俺も、久しぶりにお前たちと演奏できて楽しかったよ。」
昔から先輩は優しかった。
同級生からは、"後輩に甘い"なんて言われていたらしいけど…。
『また、お願いしても、いいですか?』
「ああ、もちろんだ。…まぁ仕事の都合が付けば、だけどな。」
今回の1回で終わらせたくない。
また、先輩と一緒に音楽がしたい。
だから、…。
「じゃあ、またな。」
『はい。また、よろしくお願いします。お疲れ様でした。』
"さよなら"でなんか終わらせない。
【光と闇の狭間で】
社会に出てから、2年と数カ月が過ぎた。
今日は高校時代の友人と会う約束があった。
お気に入りの服に着替えて、いつもより時間をかけてメイクもした。
出かける準備はバッチリだ。
…だけど、そこから、身体が動かない。
LINEグループでは、連絡が飛び交っている。
私も返信しなければ…とは思うものの、何をどう返せばいいのか、わからない。
既読をつけてしまうのが怖い。
そもそも、私が遊びに行っていいの?
気心の知れた仲だけど、だからこそ、怖い。
何が?何が怖いの?この感情は本当に恐怖?なんで自分のことなのにわからないの?私は、今、何を考えているの?
思考がグルグルと悪循環していたとき、電話がかかってきた。
(…電話。せめて、電話くらい出なきゃ。)
意を決して、画面をタップする。
「よう。そろそろ出発だけど、大丈夫か?」
『…ごめん、今日…行けない。』
ちゃんと話さないといけないのに、
声の震えを抑えられない。視界がぼやける。
「おい大丈夫なのか?」
『うん…、大丈夫。』
「そうか。……無理、するなよ。」
『…うん。ほんと…ごめん。』
「気にするな。大丈夫だから。な?今日はゆっくり休め。」
『うん。…ありがと…ごめん。』
「ああ。それじゃ、またな。」
"また"…か。
連絡もまともにできなくて、当日にドタキャンするような、電話口で泣き出すような面倒なやつに、
"また"の機会なんて、あるのだろうか。
一度悪い思考に囚われてしまうと、そう簡単には抜け出せない。
自分はなんて弱い人間なんだろう。
―――
いつの間に眠っていたんだろう。
気が付くと、外は既に暗くなっていた。
スマホで時間を確認して、そのまま何となく動画を漁ってみる。
少しすると、LINEの通知が表示された。
"調子はどうだ?"
"今、家の近くなんだが
少し会えないか?"
"今朝はごめんね
もう大丈夫"
"どれくらいで着くの?"
"5分もかからないと思う"
"了解、待ってるね"
やり取りを終えて、外に出てみる。
夜風は冷たく、雲がかかって月も見えない。
真っ暗な空を見上げていると、
遠くから眩しい2つの光が向かって来た。
「なんだ、外で待ってたのか?寒いだろ。」
『うん、平気。』
車を停めて駆け寄って来る。
吐き出される息は真っ白だった。
『中、入る?』
「いや、今日はコレ渡しに来ただけなんだ。」
『なに?』
そう言って手渡された紙袋。
「甘いの好きだろ?みんなで買ったんだ。」
『うん。…ごめんね、わざわざ「謝るなよ。」…うん…ありがとう。』
「おう。」
『中、見ていい?』
「あぁ、もちろんだ。」
中に入っていたのはバウムクーヘン。
『…米粉?』
「そうだ。米粉のバウムクーヘン。ショッピングモールで出張販売してたんだ。3種類あるぞ。」
『へぇ〜、美味しそう。』
「それなりに日持ちするから、少しずつ食べろよ。」
『うん、ありがとう。』
「…やっと笑ったな。」
『ん?何?』
「いや、何でもない。」
暗闇に独り、取り残されてしまったような気持ちと共に、曇っていた空も晴れていく。
満月が辺りを明るく照らす。
あなたの優しさが、私に光を宿してくれた。