【どこにも行かないで】
【届かないのに】
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あの人はいつでも自分に厳しい。
決して現状に満足することはない。
あの人は“守られてばかりの弱い奴は気に食わない”と言っていた。あれ程自分に厳しいのだから、そう言うのも納得でしたし、彼らしいと微笑ましくすら思えた。
そんな彼に少しでも近づきたくて、強くなろうと鍛錬に明け暮れた。身体のつくりが違うのだから、どんなに頑張っても、私があの人に追い付くことはできない。
それでも、諦められなかった。
あの人が、“強くなったな”と言って笑ってくれるから。例え追い付けないとしても、それを理由に諦めたくなかった。停滞なんてしている場合ではない。
強いあの人に相応しくありたい。
隣に立つことが出来なくても、あの人に認めて貰えるだけで、私は救われるのだから。
だから私は、届かないとわかっていながら、
今日も鍛錬に身を入れるのだ。
【君だけのメロディ】
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あの人との出会いは思いがけないものだった。
どちらかというと、望まない出会いだった。
それでも、見つけてしまったものは仕方ない。
彼女を見殺しにすることはできなかった。
あの人は近寄り難い雰囲気を醸し出していた。
感情の起伏がなく、何を考えているのかもわからなかった。
だがそれも最初の頃だけだった。
会話を重ねる内に、意外と単純で素直な阿呆だと思い知った。
あの人の本質がわかり始めてからは、案外すぐに親しくなった。
彼女も心を開いてくれていたように感じた。
どんな物事が好きなのか、逆に嫌いなのか。
そんな初歩的なやり取りが出来るようになった。
あの人が奏でる音楽は、いつ聴いても不思議な気持ちになる。
あの感情をどう言い表せばいいのか、今でもわからない
初めて聴くはずなのに、何故か懐かしく感じた。
そして何故だか、まるで自分自身を表したような曲だと感じた。
あの人の旋律は不思議だ。
だがそれと同じくらい心地良い。
【光輝け、暗闇で】
この世は残酷だ。
少しでも“普通”と異なるだけで、異端者として扱われる。
自ら好んで“そう”なった訳ではないが、そんなことは周囲の人間にとっては問題ではない。
僕はただ、認めて欲しかっただけなのに。
何がいけなかったのだろう。
承認を得たいと思ってしまったことが間違っていたのだろうか。
“普通”と異なる僕は、皆んなと“同じ”であることさえも許されないのだろうか。
どこに行っても、僕は独りだった。
太陽が燦々と照りつけていても、僕の世界は真っ暗だった。
希望もない闇の世界で、ずっと独りで生きてきた。
これが僕の運命なのだと、諦めきっていた。
ある日、僕の世界に一筋の光が射し込んだ。
歌声が綺麗な子と出会ったのだ。
あの子の歌は、技術もまだ習得しきれていない上に、音程もやや不安定だった。だがそれ以上に、澄んだ音色で、とても美しかった。
気がつくと、僕はその子に声をかけていた。
思い返すと、随分と早まったマネをしたなと自分でも思う。
しかし、それは些細なことに過ぎなかった。
あの子は僕に応え、僕を受け入れてくれたのだ。
いつしかあの子は、僕にとっての救済になった。
あの子が歌えば、僕は救われるのだ。
入学式が終わり、部活動の見学が始まった。
僕が入部を決めている部活動の練習棟に行くと、あの子がいた。何という偶然だろう。まさか、同じ学校だったとは。
入部の決意をより強固にして、僕はまた、あの子に声をかける。
あの子の周りにいた女生徒たちは、僕を見た途端、顔色を変える。やはり、ここでも変わらないか。
そう思った刹那、あの子がにっこりと笑いかける。
やっぱり、この子は他の連中とは違う、特別だ。
真っ暗闇の世界の中で、あの子は光輝いていた。
【ただ君だけ】
君と過ごすようになったのは、中学校からだった。
小学生の頃から好きだった君と3年間、一緒に学校生活を送って、より好きになった。
高校に進学してからは、一緒の時間が増えた。
それ故なのか、君との時間を大事にできなかった。
毎日、君と過ごす時間があったのに、
勿体無いことをしていたなと、今では思う。
大学に進んでからは、君との時間は
かなり減ってしまった。
それでも君との時間は、相変わらず楽しかった。
社会に出てから、君とのは無くなってしまった。
君を好きな気持ちは変わらないのに、仕事に忙殺されて、君との時間を作る余裕が無くなった。
朝晩問わず必死に働いて、シフトが休みの日には勉強会に参加する。
命令されれば、片道2時間の道のりを運転してヘルプに入る。
そんな働き方をしているうちに、
心身が壊れてしまった。
仕事から離れてさえしまえば、体はすぐ回復した。
多少、体力は落ちていたのかもしれないし、免疫力も低下していたかもしれない。
けれど、そんなことは些細な問題だった。
心の回復には、どうやら時間がかかるらしい。
薬を服用していても、夜は不安で寝付けなかった。友人から気分転換にと遊びに誘われても、結局外に出られなかった。
こんな調子で前進できないでいた私を変えてくれたのは、君だった。
随分と久しぶりだったのに、君は変わっていなかった。楽しい時間も、温かい空間も、昔からずっと変わらなかった。
私はあの時、初めて気が付いた。
私には、君が必要不可欠なのだと。
ただ、君だけが。