【距離】
こんなに、近くにいるのに。
同じ部活で、すぐ隣で
一緒に練習しているのに。
とても、追いつけそうにない。
元々の経験値が違ったから、
簡単に追いつけるとは思っていない。
でも、それでも…。
あまりにも遠いところにいる気がする。
自分で独りだけが、置いていかれている気がする。
(もっとリズムに合わせて、テンポを保つ 。)
(もっと音を聴いて、音程を合わせるんだ。)
((少しでも近づくには、まだ練習が足りない。))
今日は部活動もお休みの日。
それでも2人は、同じ教室で自主練習に励む。
遠く感じていても、すぐ近くにいる、お互いに負けないように。
これからも、肩を並べていられるように。
【泣かないで】
先輩方が引退されてから、早数ヶ月。
近々行われる合同演奏会に向けての練習中、
同級生のあいつが泣いているのを見つけた。
「…グスッ…。」
平気な顔をしようとしていても、
目が充血しているうえに潤んでいる。
誰が見ても、泣くのを我慢しているとわかる。
更に、既にわかっていること。
それは、こいつは"大丈夫か?"と聞くと
必ず"大丈夫"と答えること。
本当は大丈夫じゃなくても、そう言えないやつだ。
『なぁ、セッティングの確認をしたいんだが、少しいいか?』
「…うん。」
『よし。ここだとうるさいから、場所を移すぞ。』
人が集まりつつある部室を出て、誰も来ない楽器庫へ向かう。
「…わざわざ鍵まで開けて…。」
『いいだろ。この部屋は俺たちの管轄なんだ。』
「まぁ…そう、だけど…。」
ほんの少しの躊躇いの後、室内へと足を踏み入れる。
…合奏が始まるまで、まだ時間はある。
『で?何があったんだよ。』
「…何が?」
『…話しにくいなら、話さなくてもいい。
だけど、無理だけはするな。』
「…。」
お前が泣いていても、
俺は、何もしてやれない。
先輩みたいに、笑わせてやることはできない。
気の利いた言葉をかけてやることも、俺にはできない。
お前が落ち着くまで、側にいることしかできないんだ。
だから、頼む。
――泣かないでくれ…。
【冬のはじまり】
吹奏楽部員にとって"冬"といえば…
「「「『全日本アンサンブルコンテスト!!』」」」
「我々は卒業しているのだから、"部員"とは少々違うがな。」
『まあまあいいじゃない。細かいことはさ。』
「そうだそうだ。気にするな。」
「君たちは本当に、先輩からの影響がすごいね。」
同じ高校で吹奏楽部に所属していた私たちは今年、
とある社会人バンドで偶然再会した。
今は「せっかく再会したのだから」ということで、
4人でアンサンブルチームを組むことになった。
「で、曲はどうするんだよ?」
『楽しいのがいい!』
「お前は曲の前に楽器を決めろ。」
「最近はフレキシブルの楽譜も多いんだね。」
「そうだな…。でも、簡単すぎやしないか?」
「確かに、少々物足りないな。」
『楽譜がないなら作ればいいじゃない。』
「簡単に言うなバカタレ!」
「まぁいいじゃない、楽しそうだし!」
「そうだ。ノリが悪いぞ。」
「やかましい!」
練習終わりの寒空の下。
話はまだまだ尽きそうにもない。
私たちの冬は、もう始まっている。
【終わらせないで】
高校3年生として挑む、全日本吹奏楽コンクール地方大会。
この大会の結果で、引退の時期が変わる。
―――
最後のリハーサルを終え、大会会場へと向かうバスの中。
隣の席で深く深呼吸をした、同じパートの同級生に声をかけた。
『緊張するか?』
「少しね。まだ、実感が湧いてないのかも。」
『俺もだ。』
ふと、カバンに付けたストラップが目についた。
『それにしても、よく作ったよな。』
「ん?…あぁそれね。頑張ったよ。」
地方大会前には、手作りのものを用意して
お守りとして交換し合う風習があった。
こいつが作ったミサンガには、透明感のある飾りが付いていた。
フレームに液垂れの跡が残っているところを見るに、
どうやらこれも手作りのようだ。
俺は手芸が得意ではなかったが、手製のお守りを作るという
この風習は、案外楽しいものだった。
「このミサンガもさ、1年の時より綺麗になったじゃん。」
『まぁな。俺だって練習したからな。』
「…効果、あるといいな。」
『…そうだな。』
今日、これから、全国大会出場の可否が決まる。
全国大会に進出できればその分、俺たちの引退も先延ばしになる。
もし全国へ行けなければ、ここで終わりだ。
『俺たちは、やるべきことはやったんだ。大丈夫だ。』
「そう、だね…。うん、私たちは練習頑張った!」
『あぁ。あとは全力をぶつけるだけだ。10月まで続けるぞ!』
もし、手作りのお守りでも効果があるのなら…。
もし、願いを叶えてくれるのなら…。
どうか、まだ、仲間と本気で音楽に向き合うこの時間を、
終わらせないでくれ。
―――
地方大会の全行程が終わって、帰りのバスの中。
隣の席で深いため息をついた、同じパートの同級生に声をかける。
『終わっちゃったね。』
「…そうだな。まだ、実感が湧かないけどな。」
『うん、私も。』
今日で、私たちの部活動引退が決まった。
『…お守り、効果あったよ。』
「ん?…そう、なのか?」
大会前に貰った、手作りのミサンガ。
彼が作ったミサンガは、2年前とは見違えるほど上達していた。
手作り感はもちろんあるけど、色合わせのセンスも悪くない。
私は元々手芸が好きだったから、お手製のお守りをお互いに作る
この風習も、案外好きだった。
「…確かに、演奏に後悔はないな。」
『うん。練習の成果は出せたから。』
「そうだな。」
『うん。そうだよ。』
今日、ついさっき、全国大会への道が閉ざされた。
悔しいのは当たり前だけど、後悔の残るような演奏はしていない。
だから、ここで終わることに不満はない。
『…悔しくはないけど、寂しい。』
「そう、だな。」
『あぁ。10月まで、続けたかったな…。』
もし、手作りのお守りでも効果があるのなら…。
もし、願いを叶えてくれるのなら…。
どうか、まだ、本気で音楽に向き合えた仲間との時間を、
終わらせないで。
【微熱】
『なぁ、本当に大丈夫なのか?』
「大丈夫だってば。これくらい、大したことないし。」
そう言うこいつの顔は、いつもより赤い。
熱でもあるんじゃないかと思い、問い詰めてみても
"熱はない"、"大丈夫"の一点張りだ。
『大丈夫に見えねぇから言ってんだよ。
休んだ方が良いんじゃないか?』
「…大会も近いのに、休んでなんかいられないよ。」
『だからこそだろ。大人しく休んで、早く元気になれ。』
保健室に連れて行こうと、軽く背を押して誘導する。
一歩踏み出したそいつは、バランスを崩してもたれ掛かる。
「…ごめん。」
『ったく。これのどこが"大丈夫"なんだよ。』
力なく俯くこいつの顔は、数分前より赤い。
(…もっと早くに、無理矢理にでも
休ませてやるんだったな。)
そんなことを考えながら、ゆっくりと保健室へ向かう。
「ほら、もう少しで保健室だ。もう少しだ、頑張れ。」
『…ん…。』
保健室に着く頃には、声を出すのも辛そうだった。
『失礼します。』
「どうぞ…って、どうしたんだい?さぁ、ここに寝かせて。」
『こいつ、朝から熱っぽかったんです。口では大丈夫って
言ったんですけど、そうは見えなくて…。』
「そっか。よく連れて来てくれたね。」
ベッドに寝かせて、改めて顔色をうかがうと、
目元に涙が浮かんでいた。
『…俺が、もっと早く保健室に行かせていたら、
ここまで無理させることも、なかったのに。』
「君はよくやってくれたよ。
ちゃんと休めばすぐに元気になるから大丈夫だよ。」
『はい。…ありがとうございます。』
再び様子を見たとき、そいつがうっすらと目を開けた。
「……ごめん…。」
『大丈夫だ、気にするな。それより、今はゆっくり休め。』
「…ん……ありがと…。」
そう呟いたこいつの顔は、更に赤くなっていた。
――その赤面は微熱のせいか、それとも…。