この関係性とこの感情に形なんてないと
自制するための言い訳でしかなかった。
嫌われたら。
疎まれたら。
いなくなってしまったら。
いつどうなるか、明日のことさえもわからないのに浮ついてるみたいで嫌だからというのは己の自尊心の高さで。
そんな馬鹿みたいに高い壁なんて、基地のバリケードよろしく建てることないと、あの人は言っていた。
叶うならば連れ戻したい。
叶うならば側におきたい。
両手に収まっていてくれるような彼女ではないことはわかっているけれど。
「俺は、あの人が──なんだ」
EoS914/『形のないもの』
ふわり、と香るサンダルウッドの香りにぴく、とまつ毛が動くのはごく自然なことだった。
人の名前も顔も覚えるのは苦手だ。
でも、その人が持つ香りなら何となく覚えることができる。
香水は人の体を表す、そんな気がした。
似合っていようが似合わなかろうが、その人の個性が香りとなって記憶に刻まれるからであった。
爽やかな森の木々の中に、時折見せる彼の好戦的でスパイシーなほろ苦さが感じられる。
感じるままに漂う香りをすんすんと嗅いでいると、匂いの主の顔がみるみる赤くなっていくのに全く気が付かない。
同僚とはいえ、異性に至近距離ですんすんと嗅がれ続けるのは流石の『軍師』も心中穏やかじゃないのかもしれない。
「…あの」
黒いTシャツのインナーが覗くワイシャツの襟元を片手で手繰り寄せる困惑の表情に、不覚にも『萌え』てしまっただなんてmirinは言えなかった。
─────『香水』
「────〜〜♪」
イソヒヨドリのように澄んだアカペラの唄声に、過去の色々が走馬灯となって脳裏に思い起こされた。
初めて出会った時のこと。
背中合わせに戦ったこと。
PTSDで歌えなくなってしばらくして、また歌えるようになったこと。
背中に羽根でも生えているのかと言うくらいに跳び回る美しさ。
命を挺して護ってくれたこと。
悲しみに涙を溢して生まれた地を離れざるを得なかったこと。
自由に世界を飛び回った。渡り鳥のように。
でももう、そんなことはしなくていい。
俺が一生を賭けて貴女を護るから。
「…戻ってきてください、914に」
EoS914 / ???
『鳥のように』
『LETTERS』
【親愛なる、こはく色の髪の指揮官様へ】と書き出した手紙を、もう何枚も引き出しの中に溜めてしまっていることに気がついたのは3ヶ月をすぎた頃だった。
───私はあの人が居なくなった時のことを今でも覚えている。
前日の夜、最後のオアシスバトルの試合を終えて彼女の部屋に行った。
薄く空いた扉の隙間から中を覗くと、机に向かってなにか手紙を書いているようだった。それは翌日別れる同盟の仲間に向けたものだったと、後で知った。
手を止めては目頭を押さえて、肩を震わせていた。
目頭を押さえる手からは、大粒の滴がいくつもいくつも零れていた。
声を殺して、あの人は泣いていた。
いつも笑顔を絶やさなかった彼女が、声を殺して泣いていた。
居てもたってもいられず、私は彼女の部屋のドアを叩いた。
「っ!……誰……?」
「mirinちゃん、私だよ、マディだよ」
「っ、マディ、ちゃん……っ」
駆け寄って、ぎゅうっと抱きしめるとmirinちゃんは震えていた。温かいなみだのぬくもりが、私の肩にいくつもいくつも染みていく。
肩越しに見つけた、インクが涙で濡れて滲む紙。
ニホンゴ、mirinちゃんがよく教えてくれたから、少し読めるようになったはずなのに、こんなに濡れてたら読めないよ…。
でも、これだけはわかる。
文章のなかに、「ごめんなさい」「思い出」「楽しかった」……「大好き」と「本当にありがとう」を見つけた。
彼らの中にいたmirinちゃんは本当に幸せそうだったのだ。
誰かと戦うことに怯えていた彼女に勇気を与えてくれた。
mirinちゃんはそんな彼らのことを本当に大切に想っていたのだ。
私はmirinちゃんがいつもそうしてくれたように、背中を優しく撫でた。
「……マディ…ありがとう……」
それだけ言うと、声を上げて子供のように泣きじゃくった。私もこらえきれなくなって一緒に泣いた。
こんな終末の中でも、この基地の中心にいた彼女が断腸の思いで決めたことを、最後まで私は止めることができなかったのだから。
私も寂しいよ。
いつ帰って来るかもわからない。
あなたがずっとここにいてほしい。
また魔女のほうきに乗って一緒に出かけようよ。
一緒にフランクのお散歩に行こうよ。
一緒にゴーストと3人で絵を描こうよ。
夜空の下でたき火を囲んで歌を歌ってよ。
おいしいごはんを作って皆で食べようよ。
ひとしきり泣いたあと、私は彼女と一緒のベッドで眠った。
これが私と指揮官・mirinとの最後の夜だった。
─────EoS914 SS/LETTERS
『さよならを言う前に』
───State914・CapitalWESTCITY・AREA JAPAN
JST 19:00 20xx.09.27
外のスカイ・ホロシールドが日本標準時間(JST)に合わせて夜の空を映し出している。
今夜は月に一度の"満月の夜(フルムーン・ナイト)"の日。
薄く開いた窓から入る涼しい風が寝室のカーテンを揺らし、隙間から人工の月明かりが差し込む濃紺色の夜。
右手首のリストバンド型デバイスがバイブレーションアラームを鳴らし、mirinはゆっくりと目を覚ました。
のそりと持ち上げた左手が3Dホロの停止ボタンに触れるとアラームが止まり、睡眠時間が表示される。
【3H53M/Low】と書かれているのを見て、彼女はまた絶望した。
睡眠時間が4時間を超えたのはいつなのか、もう覚えていない。
睡眠時間よりも長く包まったブランケットはあたたかく、mirinは未だぼんやりとした頭のまま、隣で空になっている枕を見つめた。
───EoS914 Ep01/フルムーン・アンデッド・ナイト
『空模様』