「新しく出来た駅前のカフェ、あそこはいいよ。店員の接客がとにかく丁寧で、内装もこざっぱりとしてる。木製のテーブルとダイニングチェアに、木目調のインテリア、観葉植物なんかも置いてあって、まさにナチュラルテイストの内装だった。ドリンクも最高で、あそこまで美味しいアッサムティーは飲んだことが無いよ。いや、本当に良い場所だった」
「聞いてるだけでも凄く素敵な場所だって分かったわ。内装も私好みだし、ちょうど美味しい茶を飲みたいとも思っていたの。是非行ってみたいわ」
「それは良かった。それで、ちょうど前回行った際に、オープン記念でペア限定の割引券を貰ったんだ。それでもし、嫌じゃなかったら、僕と一緒に行ってみないか?」
「それは何とも魅力的な提案だわ。喜んでご一緒させていただきますわ」
空に向かって大きな声で叫んだ。僕の内側にある弱い部分を茫漠とした自然に返したいと強く思ったからだ。でも、そんなことをしたって、僕の弱さは消えないし、空はちっともこちらを慮ってはくれない。電柱の上に止まっているカラスやムクドリに白い目を向けられるくらいだ。自然の悩みを分かち合えたらと思うけど、生憎と自然は僕1人なんかは相手にしないし、そもそも人間という瑣末な生き物を相手にすることさえ無いだろう。僕らは彼らにとってはあまりにも小さいし、儀礼的な恩恵を賜ろうとするには文明が発達しすぎている。この21世紀においては、我々は自分の力だけでどうにか乗り越えるしかないんだ。
「はじめまして、私の名前は田中隼人です。好きなことはサッカーで、嫌いなことは勉強です。好きな歌手?は普段あんまり音楽を聞かないので分かりませんが、yoasobiとかは好きだと思います。1年間よろしくお願いします」
「はじめまして、田邊美香です。好きなことはライブに行くことで、良くあいみょんのライブに行ってます。嫌いなことは運動です。好きな歌手はもちろんあいみょんです!よろしくお願いします!」
順々にクラスメイトの自己紹介が行われているが、とても冗長で退屈だ。そもそも僕はこのクラスで人と仲良くするつもりは無いし、学校に通うかすらも決めかねている。残念だが、クラスメイトの名前を覚えるくらいなら、カラマーゾフの兄弟の相関図を覚えたい。おっと、そろそろ僕の番だ。
「どうも、真鍋学だ。好きなことは本を読むことで、嫌いなことは人と話すことだ。音楽はドヴォルザーク、ブラームスかな。仲良くする気はないので、僕のことは居ないものとして扱ってくれ」
久しぶりに読んだ本がここまで粗末だと、やはり本の選別には一定の時間と労力を注ぎ込むべきだと分かる。僕は別にジャンルによって好き嫌いがある訳でもないし、そこに優劣をつけるつもりも毛頭ない。ただ、1つの作品としての造りや調子を見ているに過ぎないんだ。こういう、青年期特有の自意識の強さだったり、さもしい自己顕示欲はある意味では健全だし、それ自体はむしろ作品に深みを与える。しかし、やはり大事なのはそれをどう表すかであり、どう伝えるかなのだ。もっと奥ゆかしさがある、侘しい雰囲気ややり取りがあれば、全体としてはもっといいテンポになるはずだ。
まあしかし、こう批判しているだけでは説得力というものが無いな。例えば僕ならこう書く
「はじめまして……」
「もう行ってしまうのかい?」
「ああ。特に長居する理由もないからな」
「淋しいけど、君が決めたことなら仕方ないな。そう言えば、行き先は聞いてないけど、目的地はあるの?」
「そうだな、今のところは無い。ただ、俺は昔から見切り発車で上手くいってきた奴なんだ。歩けばそこが道となるってやつだ」
「そうかい。でもまあ、君が言うんなら大丈夫なんだろう。君以外の人が言ってもただの戯言にしか聞こえないけど、君が言うとそこには一定の説得力がある。何故だろう」
「さあね。でも1つ言えることは、俺は誰よりも俺を信じてるってことだ。無論、随分と俺を買っているお前よりもな」
「そうだろうね。そうじゃなきゃ、こんな時期に1人で国を出るなんて無茶はしない」
「もちろん」
「少し長く話し過ぎたな。僕は僕で元気にやってくから、君もどうにか頑張ってくれよ」
「お互い死なねえ程度にな」
「またね」
「また」
4月というのはいつも僕に捉えようのない生きづらさを感じさせる。僕の周辺にある色んな物事がバレないように変わろうとしていて、僕だけがそれに気づけないでいる。とうとうその変化に気づけた時には既に次の年を跨いでる。そして、そんな変わっていく世界に当の僕は何も変われていない。七五三と成人式の写真を比べても、衣装と背景しか変わっていないような感じだ。
変化には気づけないのに、置いていかれてるという寂寥感は年々増大していく。毎年何かしらでまぎらわしていたけど、生憎と今年はちょうど4.5月が忙しくなっている。
現実から黒い手が伸びてきて、僕の首根っこを抑えつけてくるようだ。
こんな憂鬱な気持ちさえも、春風とともに流れてくれれば。