高校生の頃、僕は1日の半分を大学受験の合格を妄想することに使っていた。
ある夏の日の自習室の帰り、自転車に乗りながらいつものごとく、難関大学へ合格し周りに賞賛される妄想をしていた。夜空を見上げながら、お願いだから成功するようにと祈っていた。その時、流れ星が2.3個夜空を遮っていった。目のゴミとか、飛行物体との見間違えとかそういう疑いは無かった。それはあまりにも、クッキリとした光の尾を引いていたからだ。
家に帰ると、直ぐに流星群の日付を確認した。ちょうどペルセウス座流星群が極大になる時間帯だったのだ。
僕は確かに、流れ星の最中に願い事を唱えていた。それは、天上の力に頼ると言うよりは、もっと純粋な形での願いだった。これで合格しなかったら、今後の人生で超常的なものを信じることは無いだろうと思った。
そして月日は経ち、僕はくだらない結末を辿っていった。どんな象徴的な伏線だって、現実世界ではなんの意味もなさなかった。結局のところ、それらは我々の捉え方であり、感じ方なのだ。
君の背中は品のいい滑り台のように、白くツルツルしていて、滑らかな曲線を描いていた。僕はそれを眺めるのが好きだった。君はいつも不思議がっていたけど、その困惑した顔がよりその白い背中を引き立たせていた。
彼女も美しい女性だった。僕が今まで付き合ってきた女性は誰もが、自分を代表とさせる権威的な部位を持っていた。ある人は手首だったし、ある人は首筋だった。そして、彼女は背中だった。そういった類まれなる美しさというのは、感心や感動を通り越して、畏怖の念まで抱くこともある。それは、人が作り出す、ある意味で人工的で、同時に自然的な美しさなのである。
僕にはお気に入りの崖があった。家から自転車で30分ほどする所に密林があり、そこの小径を10分ほど歩いていくと、海を一望できる開けた崖にでれた。それは海という手をつけられない程巨大な力を町から守っているみたいに、海と町とを力強く隔てていた。
僕は近くにある小さな展望台から、自前の双眼鏡で海の向こう側を見るのが好きだった。レンズ越しの世界では海と空の2つの単一的な概念のみで成り立っていて、そこは、僕の居る複雑で無駄な世界とは全く違うものだった。
僕には誰にも言っていない秘密があるんだ。生きてて今まで、一度も誰かに相談したり、共感しようとしたりはしてこなかった。なぜなら、それはあまりにもおかしな話だからである。どうせ、理解されないだろうし、もしかしたらバカにされるかもしれない。それなら、自分のうちに秘めておいた方がずっと楽だ。
それで、その秘密って言うのは、僕は人混みの中でつまずくと恥ずかしいと感じてしまうというところだ。こんな事で恥ずかしいと感じるのは、この世界できっと僕ぐらいだろう。だって、僕は生きていて躓いた後に恥ずかしそうな顔をする人を見た事がない。みんな、平然と何事も無かったかのように歩き始める。
どうして、僕だけがこんなことで恥ずかしいという感情を抱かないといけないんだろう。どうして、他の人たちはあんなにも平然とした顔が出来るのだろう。まだ、見たことは無いが、きっと躓いた後の僕の顔はそれは酷く恥ずかしそうな顔をしているに違いない。
崖から見下ろすと、そこには広大な海と登りかけの朝日があった。波が岩に当たる音だけがやけに響く。まるで、それ以外の音という音が取り除かれたみたいに、空気を振動させている。
僕は深呼吸をする。冷たい空気を肺にいっぱいにいれ、その状態を少し維持する。そして、味わうように長く息を吐く。これで、僕もこの場所に認められた。
波の音と僕の呼吸する音、そして時折聞こえてくる鳥のさえずり。日の周りの空がやけに赤くなった。朝日と地平線は円と接線のように最後までお互いに触れ合っていた。朝日は責任をもって、時間を前に進めている。世界はそれを辛抱強く待っている。