未来のことを考えなさい。
建設的な話を。
過去のことを言ってなんになるんだ。
そんな言葉をたくさん浴びせられて、前向きになれたかというと、そんなことはない。
過去のことを思いかえす私は、私の肌のもう一層奥に逃げ込んで、そこにとどまっている。表にあらわさないよう努力するようになっただけ。
なぜあの時、何もできなかったんだろう。あんなに無力だったんだろう。もやもやした怒りとも悲しみともつかない感情が、自分の中でゆるく渦をまいている。
まだ若く、上手く対処できなかった自分。
咄嗟に怒れなかった自分。
悪意より善意を信じようとした甘さが、怒りの反射神経を鈍らせた。
でも悲しみは本当だし、この怒りは正当だ。少なくとも私にとっては。
前向きに楽しげに未来のことを話ながら、なかったことにはしない。
未来の話をする笑顔とともに、この暗い感情はいつもある。
これも含めて私。大事にしたい。
周りの人間が望む──というより強要する──明るい感情ではなくても。
なかったことにできない自分自身も。
「それは、どういう意味で?」
小首を傾げて。上目遣いで。彼女の前髪がサラリと私のおでこに触れる。
頬があつい。体中が心臓になったみたいに、ドキドキ──を通り越してバクバクと脈打つ鼓動がうるさい。
あちこちに泳がせていた視線が、彼女の視線に絡めとられる。もう目をそらせない。
『好きじゃなければ友だちやってないでしょ』
『意味って?好きは好きだよ。大好きな友だち』
『好きっていうのは──』
深夜。誰も邪魔しにこない。ワンルームのアパートで、私は岐路に立っている。
いや、実際には座っていて、アルコールのせいでまわらない頭をフル回転させて必死に考えているところ。
自分の失言に乗っかった彼女の勢いに、このまま流されていいのか。
流された先は、私の望むところなのか。
「好きって、どういう意味の好き?」
長いまつげが瞬いて、焦げ茶色の瞳が揺れる。
ハッキリしない態度に焦れたみたいに、唇を尖らせないで。この距離でそれはやめて。順番をすっとばしてキスしてしまいそうになる。
「だから、その……わたしの、好きは──……友だちじゃない好き……」
岐路
その人は、子ども時代の自分にとって、なによりの心の拠で、安心できる家そのものだった。
時折、生活に疲れた私が「帰りたい」「家にいるのに帰りたい」と思うのとセットで脳裏に浮かぶのは、彼女の生きていた頃の──いまはもうない生まれ育った家と、その周りの田んぼや畦道。
カラスノエンドウの紫がかったピンク色の花。
一面のれんげ畑。
透明な水が流れる水路。のぞきこめば、ちいさな魚や、タニシ、ハサミを振りあげるザリガニ。どこからやってきたのか、大人の手のひら程あるカメを見つけたこともある。
夏の夕方。
縁台と折りたたみの椅子を持って、家の前の道にでる。家に用事がある人間の車しか通らない、舗装のガタガタした道に、椅子と縁台を置いて、水田の上を吹きわたる水気を含んだ風の心地よさに目を細める。
思い出の中の情景は鮮やかで、興味があることに関しては殊更はっきりと頭の中に思い浮かべることができる。
なのに。
それなのに、いなくなってしまった人の声や姿。毎日のように甘えて抱きついたエプロンの模様。繋いだ手の感触。
確かに自分は知っていたはずなのに、どれだけ思い出そうとしても、浮かんでくるのは黒い額縁におさまった写真の笑顔ばかり。
鮮やかな思い出の中で、その人だけ輪郭を残して透明になってしまったようだ。
たくさん、愛してくれたことを知っているのに。
子どもだった私を、どれだけ大切にしてくれたか。
心配してくれていたか。
貴女がいなくなって、私は大人になって、いまならもっとちゃんと愛情を受け止められるのに、と思うときも、透明な──としか言いようのない面影が悲しい。
透明
いつもの帰り道。
何年も乗り続けているMTの軽自動車で、坂にさしかかる。
坂を進むにつれて苦しそうになるエンジン音。力不足を感じてギアを一つさげた。
ウゥ──……ン、と控えめな唸りをあげて、車は先程より少しのんびりと、でも力強く前に進んでいく。
車内は広くないし、装備も素っ気ない。
軽い車体とターボの組み合わせは、うっかりすると濡れた路面でタイヤを空回りさせる。だから、雨上がりはクラッチペダルを踏む足の力を、いつもより慎重に緩めるように気をつけて──その他諸々、こちらが車に合わせてやらなければいけないことが、最近の車と比べると沢山ある。
でもそこがいい。難しいところが大好きな私の愛車。
週五日、通勤の足となり、買い物や遊びに行くのも公共交通機関が少ない田舎ではこの車が頼りだ。
それに、私に悲しみに沈んだとき、立ち直るために必要な一人の時間をくれるのも、この車。
好きな音楽をききながら、田舎の道を夜中に走る。途中、あらわれる点滅信号に気をつけながら、音楽と車の音をききながら運転していると、ゴチャゴチャに絡みついていた悲しみの糸がするりと解けていくような気がするのだ。
そんな、ささやかなストレス発散に、長年付き合わせてきた。
楽しいばかりで走れたら良いのにと思ったこともあるけれど、悲しいときに寄り添ってくれた──車にそんな気はないのだろうが──からこそ、私はこの車を手放せない。
坂の途中で道路横の防音壁が途切れて、オレンジ色の光が車内に射し込む。
夕陽だ。
車内に流れる音楽も相まって、オレンジ色の光が照らす田んぼや住宅がとても美しく見える。
エモいってこんな感じかなぁ……と考えながら、近づく坂道の終わりに備えて、ギアをもう一つさげて減速。坂の終わりから、そう遠くない場所に信号がある。
安全運転、安全運転。いつかこの車を手放すとしたら、私が納得いくかたちで手放したい。
坂道でスピードを殺しきれずに単独事故からの廃車は絶対に嫌だ。
どんどん伸びていく走行距離に、沈む夕日をかさねてしまう感傷を、音楽で消し飛ばす。
周りに車も人もいないのを良いことに、大きな声で歌う。
明日も明後日も、この先もずっと限界まで私と一緒に走ってくれよ。
大事にするから。部品だってオイルだってホイホイかえてやるから、お願いだよ──とかなんとか、もう数え切れないくらいくれ返したプロポーズまがいの言葉を胸の中で叫びながら。
もうダメだと思って、酒を煽った。
といっても、普段、酒を飲まない──ではなく、飲めない人間がどうにかして飲もうと考えた結果の、3対7くらいの割合で薄めた甘い果実酒だ。もちろん、3が酒で7がお湯である。
お湯で薄めたせいで、チビチビと飲むことになり、どうにもならないヤケクソな気持ちが、更にどうにもならなくなった。
あぁ、もどかしい。
私が酒飲みであったなら、この瓶に直接口をつけてラッパ飲みしてやるものを。
親から遺伝した体質が恨めしい。
もしかしたら、水で割ったほうが飲みやすいんだろうか。少なくともちびちびと飲まなくてすむ。
私は果実酒をお湯で割ってゆっくりと飲む丁寧な暮らしがしたいのではなく、できることならプハーッ!と酒臭い息を吐きながら、中身の減った瓶を台所のワークトップにダン!と置くような飲み方を望んでいるのだ。
なにせ、いま私は人生に行き詰まってて、ヤケクソな気持ちで、四面楚歌の八方塞がり。客観的に見ても詰んでいる。
もう少し若ければ、人生仕切り直しを考えたかもしれない。
でももう、元気に仕切り直せない程度に年をとり、生活の中で擦りきれた末に残った残りカスだという自覚があるのだ。
ここから仕切り直せる人間は、きっとたくさんいる。でも自分はそちら側ではない。
(あーーーー……、あーー……今度は水にしよ)
無意味な声を頭の中で弄びながら、マグカップに果実酒を半分、水半分を注ぐ。
一口飲んで、お湯で果実酒を割ったのは飲みなれてない人間の選択ミスだったと思った。こちらのほうが飲みやすい。
かっと頬が熱くなり、頭がぼんやりとする。
瓶をワークトップにダン!と置くような飲み方はできそうにないが、ヤケクソな気持ちに体が少し近づいてきたように思う。
いいぞ。
精神は異常なのに、体が通常では精神と体の状態のズレが気持ち悪い。酒の力で作り出した状態異常でバランスをとっていかなければ。
(家で飲むんじゃなかったかな)
桜の季節だ。公園の桜は満開で、風に揺られた枝がハラハラと桜吹雪を降らせている。
満開の桜の間から星空を眺めながら酒を飲んで、ベンチに転がったら最高だったんじゃないか。
願はくば花の下にて春──だし、星空の下でもある。
最高に思いを馳せつつ、根が真面目なので、酒を飲んだ状態で──おまけに酒の瓶をぶらさげて公園までふらふらと歩いていくのは気がとがめる。見回りをしている自警団のお年寄りに、心配をかけるのはよくない。
台所にしゃがみこんで、目を閉じて満開の桜のことを考える。
花が好きだった、もうこの世にいない優しい人のこと。マニュアルの小さな車にその人を乗せて、花を見に出かけていた人のこと。
お出かけならなんでも大喜びしていた、犬のこと。
もう、みんないない。みんないないから、故郷はなくなったと思っている。
いなくなった人たちのことと桜、それからすべてを上から見おろす星空を思う。
天国というくらいだから、あっち──上空──方面にあるのだろうか。
桜を通り過ぎた先にある星空を想像してみる。
あっちにいった人たちは、星空から桜をみているんだろうか。
頭の中がまとまらない。でも、桜と星空を見られる。
これ以上、奪われたり失くさないように、生きていこう。