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その人は、子ども時代の自分にとって、なによりの心の拠で、安心できる家そのものだった。

時折、生活に疲れた私が「帰りたい」「家にいるのに帰りたい」と思うのとセットで脳裏に浮かぶのは、彼女の生きていた頃の──いまはもうない生まれ育った家と、その周りの田んぼや畦道。

カラスノエンドウの紫がかったピンク色の花。
一面のれんげ畑。

透明な水が流れる水路。のぞきこめば、ちいさな魚や、タニシ、ハサミを振りあげるザリガニ。どこからやってきたのか、大人の手のひら程あるカメを見つけたこともある。

夏の夕方。
縁台と折りたたみの椅子を持って、家の前の道にでる。家に用事がある人間の車しか通らない、舗装のガタガタした道に、椅子と縁台を置いて、水田の上を吹きわたる水気を含んだ風の心地よさに目を細める。

思い出の中の情景は鮮やかで、興味があることに関しては殊更はっきりと頭の中に思い浮かべることができる。

なのに。

それなのに、いなくなってしまった人の声や姿。毎日のように甘えて抱きついたエプロンの模様。繋いだ手の感触。
確かに自分は知っていたはずなのに、どれだけ思い出そうとしても、浮かんでくるのは黒い額縁におさまった写真の笑顔ばかり。
鮮やかな思い出の中で、その人だけ輪郭を残して透明になってしまったようだ。

たくさん、愛してくれたことを知っているのに。
子どもだった私を、どれだけ大切にしてくれたか。
心配してくれていたか。
貴女がいなくなって、私は大人になって、いまならもっとちゃんと愛情を受け止められるのに、と思うときも、透明な──としか言いようのない面影が悲しい。



透明

5/21/2024, 12:43:24 PM