誇らしさは、自分自身に対してではなく他者の存在から感じてしまう。
○○大卒であんな大企業に行った友人がいる。
あの有名人とこんな風に関わりがあって。
相手のステータスで自分の誇らしさを感じるときは、自分を卑下しているとき。
私に対してあんなに心を開いてくれる友人がいる。
ズッ友、なんて今どき聞かない言葉で私を大事に扱ってくれる。
片手で数える程度の友人の中に、私を含めてくれる。
相手の愛情深さに誇らしさを感じるときは、心が満たされたとき。
自分自身のステータスや経験、中身に誇らしさは中々感じられないけれど
「他者から深い愛情を注いでもらえる私」として捉えるならば、
私の中に隠れた誇らしさがあるのかもしれない。
学生時代、どうしようも無い気持ちでいっぱいになったときは1人で夜の海を見に行った。
親には危ないと怒られるから、いつも黙って寄り道をした。
浜辺の波打ち際まで寄って、波の音に耳を傾けながら歩く。
人はほとんど居ない。
というか暗闇でほとんど見えない。
波がざばーん、と打ち寄せては引いていく一定のリズムに耳を傾けて
砂浜の不安定で重たい感じに意識を向けたら
余計な思考が消えていく。
人もいないから人目を気にしなくていいし
暗闇なお陰で五感に集中できる。
そうしてしばらく歩いて、もう疲れたってところまで来る頃には
少し心の余白が出来ている。
私にとって夜の海は
私だけの特別なもの。
人生で1番自転車を漕いだ日は、ママチャリで往復40kmくらい走った。
何故そんな距離を走ったかというと、
隣の市にある綺麗な海を観に行きたかったから。
隣の市にあるその海は、昔付き合っていた人がよく行っていた場所。
海が透き通っていて、少し波があって、サーフィンなんかにもってこいの場所。
私は車の運転が苦手だから、決まって彼に運転してもらっていた。
*
自転車を1番漕いだその日は、彼と別れてすぐの頃。
彼が居なくても1人であの海まで行けるんだって証明したくて、馬鹿みたいに自転車を漕いだ。
あわよくば道中彼に会えるんじゃないかと期待して、漕いだ。
思い出を噛み締めるように、そしてかき消すように、ゆっくりと力強く漕いだ。
途中ずっと続く坂道が登れなくて、自転車を押しながら、それでも進んだ。
*
片道3時間ほどかけて、やっと辿り着いた海。
綺麗な海に癒されて、
空っぽな心にたった1つの達成感が満ちた。
寂しくて仕方なくて、でもこれからは1人で生きるのだと噛み締めた。
結局その日彼に会うことはなく、その先も会うことはなかった。
踏ん切りをつけるためには40km漕ぐくらいが、ちょうど良かった。
心の健康を保つってとても難しい。
傷つきやすい心の人は、ただ心を強く持つのが正解なのだろうか。
心を鈍感にするのが正解だろうか。
今は正解が見いだせなくて
頑張らねばならない場面では心を強く持ち
そうでない場面からは極力逃げるようにしている。
全てから逃げてる訳では無いから良い、そう言い聞かせて。
皆自分に合った方法で心の健康を守ろうね。
君の奏でる音色
君の奏でる音色を独り占めしたかった。
小学校のお昼休みになると、決まってオルガンを弾いていたあの子。
私は決まってあの子と向き合う形でピアノを眺めていた。
本当はあの子の指先や音色を私だけが独り占めしたかった。
だけど人気なあの子は決まって何人かに囲まれていた。
そしてピアノが弾ける子はあの子と距離を縮めて楽しそうに弾き合っていた。
私は楽譜が殆ど読めないから、その輪の中に入れずに眺めることしかできなかった。
代わりにその子の指を、音を記憶していた。
弾くのは大抵何曲かに決まっていて、そのうちの1曲は音楽の教科書にも載っている分かりやすい曲。
覚えやすかったその1曲を、ひたすら眺めては記憶し、家でこっそりと練習した。
そして弾けるようになった。
けれどどこまで頑張ってもその子の真似しか出来ない私は、「弾けるよ」と言い出すことも出来なかった。
そしてそうしているうちに、飽きられたのかその1曲が弾かれることはなくなった。
もっとピアノが弾けたらあの子が奏でる音色を独り占め出来たのだろうか。
そしてあの子を独り占め出来たのだろうか。
君の奏でる軽やかな音色が、君が、憧れで、大好きだった。