月風穂

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2/4/2024, 12:26:11 PM

【Kiss】

私は映画が好きだ。
わりとどんな映画も観ていると自負している。
流石に評論家どもには勝とうとなど思っていないが、そこら辺の野良映画好きよりも映画が好きと言ってもよい。

子どもの頃などは地上波でも映画が流れており、キスシーンは気まずい思いをした。
洋画ではよくキスシーンがあるのだ。
恋愛映画はまああって当たり前である。
とりわけ内容のないアクション映画などは無駄にラブシーンが多い。
ホラー映画も必須である。つまらないホラー映画には顕著だが、ホラーシーン以外で見せ場を作らねばならないという理由がある。
なんとか観客の興味を惹くためという配慮があるのだ。

あとはヨーロッパ映画であろう。
日常生活でキスがよくあるようで、挨拶がてら軽いキスをするのは定番なのだ。
日本でそんなことをすれば殴られる。
殴られるで済めばよいが、捕まる恐れもある。
ヨーロッパ人のふりをしても無駄である。
文化とは不思議なものだ。

ヨーロッパでもとりわけフランス、イタリア辺りではよく見るが、ドイツやポーランド辺りはどうだったか…。
ヨーロッパでも文化が異なるため、ここは注意しておきたい点である。
フランスといえば私のなかでは、エリック・ロメールの映画のような人たちが多いと勝手に思っている。
恋愛に奔放でいくつになっても恋愛を楽しむ。
自分に自信があり、勝手気儘な姿は羨ましく思える反面、一種のだらしなさも感じさせる。
自由奔放なので後々面倒なことに巻き込まれたりもしていくのだが。
フランス人の恋愛のカジュアルさを感じながらも、同じ空の下誰もが恋愛をしている。
そう考えると微笑ましく思えてくるのだ。


たったひとつのキスでも、色々な意味が含まれている。
そこを口で語るのは野暮ってもんである。
まあホラー映画のキスシーンに意味はないことがほとんどであるが…。

2/3/2024, 12:33:23 PM

【1000年先も】

誰もかも1000年後には存在していないのだ。
地球だって1000年後にはないかもしれない。
今の私の悩みなど宇宙の塵も同然である。

落ち込んだりしたときに、
「お前はお前しかいないんだ。大切に思ってくれている人がいるんだから前向きに頑張れ!」
などと励まされることがある。
これは半分正解であり半分誤りである。
「お前はお前しかいない。」となぜ決めつけることができるのであろうか。
この人は1000年スパンで全人類ひとりひとりを観察でもしたのであろうか。
1000年である。全人類である。
私のような人間がなぜひとりもいないと断言できるのであろう。
私を激励してくれている気持ちは買うが、あまり確証のないことを発言してはいけない。

時代や人種が違っても、自分に似た人、というかそのままの人は存在していただろう。
たまたま私がこの時代に生まれ、育っているだけなのだ。
相手から見ても、「あ、あれ私やんけ。」とか「Oh,It's me!」などと少々喜ばしく思っているであろう。
言語や性別の違いはあったにしても、私は私だけではないと思う。
細かい特徴まで似ることはないだろうが、性格や考え方がそっくりならば、それは私そのものではないだろうか?
人間とは不思議なものである。


生まれ変わるならまた私だね。
と胸を張って言いたいが、どうせ生まれ変わるならもっと気の利いた私でありたい。
1000年先であれば、さすがにもっと気の利いた私となって生まれ変われるだろう。
その姿は人間ではないかもしれないが。
まあそれはそれで気楽であろう。

2/2/2024, 12:25:56 PM

【勿忘草(わすれなぐさ)】

花に詳しい人は素敵である。
普段「あぁ、あの花言葉はね…。」などと、貴族のような会話をしている人を私は見たことがない。
ドラマなんかではよく見るのであるが。

散歩していると、そこら辺に生えている花の名前が気になる。
そりゃチューリップやバラなんかはわかる。
私を侮ってもらっては困る。
問題は私が知らないその他大勢である。
「あの花ってなんだっけ?見たことあるんだけどな。」
「うーん、私もわかんない。」
という脳を1ミリも使用しない会話を幾度となく繰り返している。
花の名前を書いたボードを見て、そういう名前なのか!と思ったのも束の間、三歩歩けば忘れる。
「あれ、なんだったっけな」と三歩戻って再確認する。しかし明日には忘れる。全くもって無駄な時間である。


勿忘草も名前は聞いたことがあるが、どんな姿形かわからない。
調べてみると見たことがあるようなないようなどっち付かずである。
花言葉は「私を忘れないで」とのことである。
何とロマンチックであろうか。
そうは言っても記憶力の悪い私は明日には忘れてしまうのである。困ったものだ。

だがこういった花の名前も花言葉も、誰かが考えたものであるのだ。
ならばそこまで懸命に覚えなくてもよいのではないか。
そう思う私は愚かだ。身も蓋もありゃしない。

2/1/2024, 12:29:01 PM

【ブランコ】

ブランコとの思い出は幼少の頃ばかりだ。
私にとってブランコは公園のヒーローであった。
前後に動くだけの構造だが、不思議なことにブランコのファンは全国にいる。
かくいう私もファンのひとりだ。

私の実家の隣には少し大きい神社がある。
公民館のような母屋と相撲がとれる土俵があり、周りを取り囲むように木々がそびえたつ。
遊具はほぼないのだが、なぜかブランコだけがひっそりと存在している。
神社にブランコなどあるのだろうか?
私は今までに見たことがない。
佇まいはひっそりとしているがそこは公園のヒーロー。存在感はピカイチである。
大概ブランコは横に2つ並んでいるが、ここはなんと3つである。3つ。
奇数人で遊ぶことを念頭に置いたブランコとはなんとも珍しい。

だが神社という場所柄、昼間でもなかなか暗くひとりでは恐ろしい。
いつだったかひとりでブランコに乗っていると、隣のブランコが風もないのに揺れだした。
「一緒に遊びたいの?」などと話していた気もするが、私と遊ぶとはよっぽど暇な神様であろう。
何百年もこの神社を守っている神様は、どれだけの子どもと一緒に遊んでいたのだろう。

ブランコが3つあるのは私と友だち、神様があとひとつに一緒に乗るためなのかもしれない。
夕食の際こんな話を家族にしていた。
当時中学生の姉は、
「偶然揺れたんだよ、神様なんていないよ。」
などと現実的な話をしていた。
姉が無宗教者だったのである。
私は中学生は大人なんだなぁと思った。
と同時に、じゃあなぜ姉は毎年初詣に行っているのだろうとも思った。
中学生は複雑であるのだなぁとも思った。

1/31/2024, 12:13:52 PM

【旅路の果てに】

旅は始まりが良い。
果ては大して面白味はない。
友人たちとの旅は大概こんな感じである。

行きは揚々。
あの場所に行こう、あれを食べよう、あれを買おうなど夢は無限である。
実際観光地へ行くと気持ちは晴れやかとなる。
ひとりも良いが、このようなときの友人との会話はまた格別である。
泊まる旅館やホテルは4人が集まれば遊び場となり、狭い部屋も賑やかとなる。
問題はその後の果てである。

皆疲れきり、車中は死へと向かうように沈黙である。
私はまだ生者であるのだが、皆に語りかけても返事はない。屍のようである。
旅は道連れというがこんな道連れは真っ平ごめんなのだ。
あとはお家に帰るだけなのだが、本当にこの時間はつまらないの一言である。
運転してもらっている友人には悪いが、心なしかこの車のテンションも低い。
吹かすエンジンも力が抜けており、ブレーキは眠る寸前である。カーナビの声も弱々しく、ぷんすかと車両は大きく揺れる。
旅の思い出を噛み締めるわけでもなく、眠っているわけでもない。
この不思議な時間はいつどの旅でも大なり小なり訪れる。
私はこの時間が嫌いなのだ。
お家に帰るまで私は旅の気持ちを持っていたいが、周りがこうなるとどうしようもない。
皆天下一武道会に出た後のように疲労困憊であるのだ。
自分の力では何ともできない無力さを知る。


私にとって旅の果ては虚無である。
私は思考を重ねるがいまだに解を提示できない。
体力の問題なのだろうか。
皆まだ20代のはずだが、本当は60代くらいなのかもしれない。
ならばしょうがないであろう。

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