【行かないでと、願ったのに】
祖父の葬儀は滞りなく過ぎ去った。
寒空の下吹き付ける風は、私の悲しみまでも凍てつかせた。
祖父にとって私とは何だったのだろう。
イベント事で年に数回会う孫。
私の心の内までも祖父に伝えることはできていたのだろうか。
上部だけの会話だった気がする。
どうでもいいような話ばかりしていた。
話下手だった私の話題はすぐに尽きる。
いくつになっても私は伝えるのが下手くそだ。
祖父は亡くなる一年程前から認知症となり、私のことは記憶から失われていった。
その後がんが見つかり、寝たきりになった姿には、もうあの時の面影は存在し得なかった。
行かないでと願った。
その反面、行かなくても祖父の中に私は存在していないと感じると、その思いは揺らいでいた。
祖父にしてみれば無理に生きるのは苦しみになっていくのではないか。
大切な存在が記憶から消えていくなかで、思うようにいかない心と体は、その行く先を見つけられず、闇のなかを漂っていたのではないか。
今にして思えば、もっとしておけばよかったことは山ほどある。
でも今になってもできることは少なかったのかもしれない。
しんしんと降る雪は祖父の旅立ちの気配を残している。
「名残雪だね。」と母は泣いていた。
【これで最後】
最後という言葉は苦手だった。
別れを連想させる最後という言葉は、私の気持ちを何度も波立たせた。
私が一人でいる時間はこれで最後。
もう少しであなたといられる時間が始まる。
また最後が来ても、また始まりがある。
そう考えたとき私は一人ではなくなったように感じた。
私が寂しいのもこれで最後だ。
【君の名前を呼んだ日】
君の名前を呼んだ日。
いつかなんて覚えていないけど、いつまでも呼ぶことができるこの日が永遠であれと私は願う。
君もそう思ってくれると嬉しい。
この世界は名前がなくても生きていけるのに、名前があってとても幸せだと感じた。
その言葉は私だけのもの。
私だけの幸せ。
【やさしい雨音】
目が覚める。
目覚ましが鳴るよりも早く。
朝の段階で既に疲れきっている身体を持ち上げる。
雨だ。
ベッドから眺め見る景色は、たいして広くもない部屋に比べ雄大だ。
ざーっと降りしきる雨は、私の頭の中みたいにうるさい。
昨日の仕事を思い出し途端に不安になるが今日は休みだ。
いつも起きる時間を知らせてくれる目覚ましを消すのすら忘れていた。
何も予定がない日は怖くなる。
休みの日でも何かしなくてはいけない。
自分がより良い社会人として活躍するために、自分のスキルをもっと磨かなくては。
ずっと怖いのだ。
歳を重ねて何もできなくなって取り残されていく私のことが。
一人前の考え方をしているだけあって、こんな風に疲れている日は本当に憂鬱になる。
「ざーっ」
屋根を伝っていく雨音を聞きながら、私の心は冷たくなる。
私はずっとこんな不安を抱えながら生きていくのだろうか。
「もっとゆっくり生きてみたら?」
そんな声が聞こえた気がする。
じゃあもっと寝るね。
私はもう一度ベットにくるまった。
「そんなあなたでも良いんじゃない。」
今日の雨は味方だ。
やさしい雨音に包まれながら、もう一度眠りに落ちた。
【透明な涙】
すーっとこぼれ落ちる涙。
悲しみにくれる表情には強さと美しさがある。
これだ、これこそが透明な涙だ。
ドラマを見ながら私は確信した。
現実の私はこうも美しい涙を流せない。
悲哀に満ちた表情に強さはなく、泣き腫らした瞼には美しさを微塵も感じさせない。
「えっぐ、えっぐ。泣」と声をつまらせ、EGGと発音しているように聞こえる様は、誰がどう見ても醜悪の権化のようである。
まあ私は人前でほとんど泣かないため、さして問題はない。
この程度のことで落ち込む私ではないのだ。
嫌なことがあるなら泣くよりも私は寝る。
zzz…。
すーっとこぼれ落ちるよだれ。
寝ぼけた表情には間抜けさと緩慢さがある。
液体が流れる部位でこうも印象が違うのか。
とぼけた私にはこれくらいがお似合いである。
鏡を見ながら私は確信した。