月風穂

Open App
1/14/2025, 12:09:53 PM

【そっと】

蘇っと
蘇とはソ連の漢字表記である。
そこで今日は私とソ連について語ろう。

初めての出会いは小学6年生。
歴史の授業で突如現れた存在に私は興味を示さなかった。馴染みのない国に戸惑ったが、ロシアの系列という認識で納得した。
中学、高校でも同じく歴史の授業で出てきた。
スタリーンという名前と世界初の社会主義国家として、少しはまともな情報が入ってきたが、私はまだ心惹かれなかった。
私にとってソ連は当時、そこら辺にいるその他大勢と一緒だったのだ。

大学になると事態は一変する。
私は映画にはまり、ある国の作品群の沼にはまっていく。それがソ連の作品であった。
杜撰な社会主義構造と独裁国家。理想とは裏腹に国民は疲弊していた。
芸術家も同様で、ソ連の映画監督たちは国の検閲により作品の自由を奪われた。
彼らがとった行動は、作品の高度芸術化及び難解構造である。
ソ連当局への怒りは作品に込められ、難解さを伴うことで遠巻きに政府を批判していた。
そして国外へ逃亡し、海外で作品を作り続けた。
そうでないと生きていけなかったからだ。

もっと語りたいことは多いが、近年ウクライナ戦争によって語りすぎると身が危ういように思えてならないのでここらで止めておこう。
別に政治的立場を語りたいめんどくさい人間ではないからである。

ひとつかわいいところだけ。
文字がかわいい。
ё、ε、Ψとかめちゃくちゃかわいいではないか。
そういうとこがツンデレっぽくて好きなのだ。

1/13/2025, 12:17:28 PM

【まだ見ぬ景色】

愚問。
目を覚ました明日は既にまだ見ぬ景色だ。
…などと終わらせるのはつまらないので。

この世にはまだ見ぬ景色は数多い。
私がどう生きるかで見に行ける景色のルートは数多に分岐する。
連休明けの明日の仕事をサボり、電車で知らぬ地に行けば“仕事をサボれた上に”まだ見ぬ景色を見ることができる。一挙両得である。
そうはいかない生真面目な私は、その景色をいつ見ることができるのだろうか。

見に行けないまだ見ぬ景色はもうひとつ。
過去の景色だ。
私の父母が見ていた風景は雨風をうけたように流されてしまい、現在は見る影もない。
私が生きているこの景色も、いつかはきっと死んでしまう。
残しておけない景色を記憶に焼き付けよう。
この景色を語り継ごう。
まだ見ぬ未来へ。
この喜びも苦しみも、全てをありのままに。

一度しか見れない景色は憧れるが寂しい。
私はずっと見られる景色を大切にしたい。

1/12/2025, 2:44:16 PM

【あの夢のつづきを】

私は二度夢を見る。
一度目は子どもの頃。
二度目は夢から覚めた頃。

現実を知るとき、私は夢から覚める。
目を開いた先は暗く誰もいない。
暗闇を照らす灯りは私が握っている。
夢を見失った私には明るすぎる光だ。
だが子どもの頃よりも親しみを感じる輝きだと私の心は強く燃える。
やっと私は正しい夢を見られる。
皆と同じ夢ではなく私だけの夢だ。


私は三度目の夢を見る。
叶わなかった夢の残骸は私の心に積もっていた。
現実を知った先の夢は私の心の灯火となっていた。
すれ違っていく理想の中で、私は私が愛したいものを愛す。
ひとりで叶えるよりも大きな夢だ。
子どもの頃の夢とも大きく違っている。

三度目の夢は死ぬまで叶わない。
あなたが隣にいてくれるまで永遠に続く。
あの夢のつづきを見れるのは、この世ではないのだろう。

1/11/2025, 1:55:38 PM

【あたたかいね】

私は極端が嫌いだ。
寒いのは嫌い。すずしいのは好き。
暑いのは嫌い。あたたかいのは好き。

特にあたたかいのは好みだ。
大概人間はあたたかいものに触れれば幸せになる。
あたたかい飲み物。
あたたかい服。
あたたかい人。
あたたかい心。
あたたかい世界。

こんなに寒い冬でも外出イベントは多い。
イルミネーション、クリスマス、年末年始。
そんなときに頼りになるのはあたたかい物である。
地獄のような寒さを味わった後のあたたかさは、命のありがたみを感じさせる。
自分で望んで訪れた地であるのに、私は無意識のマゾヒストかもしれない。

「はぁ~あたたかいね。」
と言いながらあたたかい飲み物を少しずつ頂く。
この瞬間が私のあたたかいという概念の最高値である。
凍りついた異常値となった私の体が、じわじわとあたたまっていく様。
家族や友だちと心もあたたまっていくこの瞬間。
極端かもしれないが、この瞬間を越えるあたたかさを手に入れることはできない。

私は極端が嫌いだった。この表現は撤回する。

1/10/2025, 12:17:31 PM

【未来への鍵】

玄関の扉の鍵が開いている。
実家に帰省する度に気になるのだ。
「なんでいつも鍵あけてんの?無用心でしょ。」
「うちには盗られるものなんてないからね。」
そう豪語する親だが、さすがに夜は鍵を閉める。
そんな親は休日でもご近所さんと仲良くしている。
ご近所さんも日中は玄関が開いているらしい。
いつも楽しそうにしている。

思えば私は何にでも鍵をかけたがった。
自分の部屋。
大切な物が入った宝箱。
踏み入れられたくない私の心の扉。
親であれ、友だちであれ、私には私しか入れない心の部屋がある。
実家の玄関のように開け放すことはできない。
オートロックだからである。
鍵は私しか持っていない。
ほんとうは誰かに開けてほしいのだ。
土足じゃなく、靴下で部屋に上がってくれればそれでいい。スリッパ持ってきてくれれば最高。

そんな私に心からの親友などできるのだろうか。
笑いあう人たちをみると、いつも心の扉が開いている人のように見えて羨ましい。
だから親はご近所さんとも仲が良いのか、と腑に落ちる。
玄関の扉が開いているのは誰をも受け入れるからなのかと。
心の許容度が生活に染み出ているのだ。

私の心の扉に合う鍵を持っているのは誰ですか?
私の心の扉を開けてくれる人を探しています。
私の人生が豊かになる未来への鍵を。

Next