【あなたに届けたい】
いつもの調子で書こうと思ったが、このお題であなたが頭から離れないので記す。
私のいとこの兄へ。
いとこの兄は私が高校2年生のときに亡くなった。
大学で寮暮らしをしていたあなたは、うつ病で休学をしていた。
私もそこまでは聞いていたが、大学に復帰して突然亡くなったと親から聞いた。あれは夏の夜ことだった。
飛び降り自殺なのだと。
小さい頃はお互いの家も遠くはなく、年に何回か遊ぶことがあった。
私の虫採りを手伝ってくれたり、一緒にゲームをしたり、勉強を見てくれたりした。
我が儘な私の面倒を見てくれた。
とても優しかったね。
中学頃には引っ越してしまい、年に一回程度しか会うことはなくなった。
ゲームやマンガが好きで、バスケをしていた。国立大学を目指しているあなたをすごいと思った。
話す機会は少なくなったが、姉しかいない私にとって本当の兄のようであった。
希望の大学に無事合格し、寮生活となったあなたが学校に馴染めないと聞いた。
不登校でうつ病となり、一度実家に戻ったのだと。
優しすぎるあなたは自分のことを主張できず、友だちもあまりできなかったみたいだ。
別に大学を辞めてもいいよという親からの言葉に、真面目なあなたは休学して大学に復帰した。
本当にあなたはすごいよ。
私はあなたに何か与えられただろうか?
苦しんでいたであろうあなたに、私は何もできなかった。
話をする機会も大学からなかった。
ただのいとこだが、昔からの友人も同然だ。
何もできなくてごめん。
たかがいとこの私にはそこまでの期待はなかったと思うけど、何かできたのではないかと常々思ってしまう。
こんな話をすることが、どこにも誰にもできなかったから、ここなら別に良いのかなと思う。
こんな形で伝えてごめん。
優しいあなたなら許してくれるでしょ?
あなたの死で学んだことがある。
私が関わることができる範囲で、誰かを大切にしようと。
友だちも恋人も家族もできる限り関わって大切にしようと。
私も友だちが多い方じゃないからそこは似ている。
この遺伝子の宿命なのかもしれない。
もちろんできていないこともあるが、大切な人が生きているだけでも良いのかと思えるのなら、それでも良いのかもしれない。
最後にひとつだけ。
あなたが好きだったHUNTER×HUNTERはまだ完結していない。
私が生きているうちに完結するかも怪しいのだ。
人生そんなもんだよね。
あなたの分まで私は生きようと思う。
【I LOVE...】
私はのんびりが好きだ。
いや、愛していると言っても過言ではない。
のんびりしているといえば牛。
闘牛ではなく乳牛あたりが妥当であろう。
私は丑年であり、山羊座なのだ。
計らずとも牧場との関連の深さがうかがえる。
とはいえ牧場で働くほど意欲もない私は、たまに行く名の知れない牧場へ行くのが好きだ。
公園の延長みたいな広場も好きだ。やけにリスとかがいるようなところである。
牛の何がいいか。
まずのんびりしているのである。
のんびりを愛している私からすれば、世間の荒波から逸脱した雄大さを感じさせる生物は希少だ。
命を削るほどの外敵もおらず籠の中の鳥も同然。いや、柵の中の牛であったか。
しっぽをぷらぷらしているところなども実に愛らしい。
彼らは人に好かれようとそのようなことをしているわけではない。
ここも素晴らしく、人に媚びない姿勢は自らの気高さを誇っているようである。
ぴょこんとした耳なども実にキュートである。
時に角を生やしたいかつい牛もいるが、本質は似ているようでのんびりとしている。
その点山羊などは飛び回り、ちょっと怖い。
馬は突如情緒不安定になり、やはり恐ろしい。
羊は目が怖い。
やっぱり牛がちょうど良くじーっといつまでも見ていられるのだ。
焼肉を食べている私からすれば、牛たちと会うのは少々気まずい。
牛乳やヨーグルトはまだしも肉である。ただ事ではない。
彼らと会うときは「ベジタリアンだぞ」と言いたげな雰囲気を醸し出し難を逃れる。
おそらく酪農家ですら焼肉を食しているであろう。
彼らはどんな気持ちで牛たちと関わっているのであろうか。
そう言いながらも、牛たちのおかげで私はここまで大きく育ったのだ。
ありがとう牛たちよ。
これからもよろしく。
のんびりしているあなたたちが好きだ。
【街へ】
街にはランクがある。
小街、中街、大街、特大街である。
私は幼い頃から小街に住んでいた。
中街へは電車に揺られて20分ほどで到着する。
小学生の時に初めて目にした中街は、こんな世界があるのかと驚いたものだ。
岩倉使節団が目にした世界と同等である。
明治維新の改革は、大したこともないこの街にまで影響していたのだ。
この感動は後世まで語り継がれるであろう。
街へ出るとき恐れるのは目的地までたどり着けるかということである。
大街、特大街はやたらに複雑怪奇なのだ。
何度私の心を挫けさせたであろう。
だが私は諦めない。スマホという名のドラえもんがいるのだ。
スマホで検索し、目的地までちょちょいのちょいってな具合である。特大街も大したことはない。
街へ出るなら外見にも気を使う。
誰のためと言われれば解を窮するが、こんな洒落た場所にいるのなら洒落た姿でいたい。
私の遺伝子に刻まれた見栄という、ここでしか発揮できない柔軟性のない能力である。
颯爽と風に乗りスマートな佇まいを披露すれば、今日の私は満足する。
あとはしょうもない用事を済ませて完了である。
こんな街でも数多の人の思い出がある。
私のような田舎者からクールな都会人まで。
私が行く街はどこもきっと素敵な街なのだ。
次に行く街はどこにしようか。
にこやかに笑っている街に行きたいのだ。
【優しさ】
他人を優しいと評す人間は間抜けである。
私は幾度となく「優しい」と言われたことがあるが、「優しさ」の定義は何だろうか。
間抜けはその意味も知らず発言している。
私は優しいと直接相手に言う人は信用できない。
荘子曰く「面と向かって人を褒めたがる奴は、影に回ると悪口を言いたがる」だそうだ。
同感だ。いつの世もこのような人間がいる。
私も荘子側の人間であると思うと、位が10ほど上がった心地である。
大概「優しい」と言う人は相手のことを真剣にみていない。
どこが優しいかと詰問すれば口ごもるだろう。
特段相手に良いところがないから「優しい」という耳触りの良い言葉に逃げるのだ。愚かである。
何をもって優しさとするのか、具体性を伝えれば良いのだ。
誉めるところがないからといって「君には良いところがないね。バイバ-イ。」と言えば良いものでもない。
そんなことを言えばバイバイされるのはあんたの方だ。正直すぎるのも困ったものである。
私にとって優しさとは、私の心が喜ぶもの。
私が好きだと思えるものが優しさ。
私は私が優しさだと思えることをする。
私が優しければ、誰かも優しくなるかもしれない。
すべては私から始まると思えば、優しさの重要さは計り知れない。
誰かから受け取る優しさも私は好きだ。
心が一瞬にして晴れる感覚はこの時に訪れる。
私の優しさなど大したことはないが、意図しない人の優しさはなぜか心が喜ぶ。
荘子曰く「自ら其の適を適とす。」である。
【ミッドナイト】
嫌なことがあった日はミッドナイトを満喫する。
普段の私のミッドナイトは大概夢の中だ。
自慢ではないが私の夜は短い。
爺さん婆さんに勝つことはできないが、そこら辺の若者には確実に勝てる。
嫌なことがあったとき。
私は誰とも会いたくないし語りたくもない。
励ましの言葉など要らぬ。
お前に私の気持ちはわからない。
このときの私は殺人事件の犯人そのものである。
ひとりで物思いに耽り、絶望の縁までに自分を追い込む。
そのときだけ私は心を鬼にする。イメージはハートマン軍曹である。
このままの気持ちで明日を迎えたくない。
嫌なことを嫌なままで終わらせたくない。
わざとポジティブにすると、私の気持ちは空回りして意味がないのだ。
ここまで気持ちを沈めると、不思議なことにいつの間にかまぁよいという心地になる。
パアッと気が軽くなるのは、自分次第であるのだなと嫌なことに真摯に向かい合った私を讃える。
眠気に耐えきれず布団に沈み込むと、私は布団の寛容さに感動する。
何時の時も暖かく私を包み込む布団は、何物にも代えがたい親友そのものだ。
私の目標は今日から布団である。
そう思ったのも束の間、目覚める頃には夜更かしをした昨日を悔やむのである。
こうしたルーティーンはいつからだったか思い出せない。
私はこうして下らないミッドナイトを過ごしている。
嫌なことがあったときはさっさと寝るほうが良いのだが、いつ悔やんでもこの習慣を辞めることなどできない。
私の気持ちはこの時間によって救われているのかもしれない。
そう思うと辞めることはできない。
タバコ常習者と同じである。
と思うと途端につまらぬことをしているなという気にもなる。