旅路の果て。
僕の旅物語は、明石海峡の潮騒が響く兵庫県淡路島から始まる。
この島で生まれ育った。
山と海に囲まれた大自然の中にいるが、僕はインドア派なので興味なかった。
ちなみに淡路島はスターの産地、テレビ等で一度は目にした有名人がいます。
俳優の渡哲也さん、作詞家の阿久悠さん、女優の大地真央さん、朝比奈彩さん、お笑い芸人の上沼恵美子さん、ドラゴンクエストの堀井雄二さん、阪神の近本光司さん、村上頌樹さん等々錚々たるメンバーだ。
みんな嫌がって飛び出した田舎なのに、3年ぐらいすると静かに戻ってくる人が多い。
僕は都会暮らしが楽しいので彼らが不思議だ。
兵庫県のとある街に私は住んでいたが、若いうちに県外で経験を積むのもいいかなと思い、静岡県という新たな舞台で力を試す事になった。
その後、青森に転勤を経て宮崎県に異動移り現在にに至る。
本当は大阪府に住みたかった。
だが、当時の僕に実力はなかった。
静岡県に行った時は数年で兵庫県に帰郷するつもりだったのに、結果として故郷は遠ざかるばかりだ。
宮崎で恋人を得たなら、眩しい太陽を友として暮らすんだけどね…。
旅路の果ては神戸と決めている。
その時は、一軒家を借り地域猫の面倒をみるつもりです。
ああ、人生は上手く行かない。
あなたに届けたい。
ピンポ−ンと僕は家のインターホ−ンを押した。
十年ぶりに実家に戻った。
「はい」
母親が玄関を引き開けた。
「母さん、久し振りだね」
僕はそう言って頬を緩めた。
「おお、武士!ホンマ久し振りやな…」
母親は笑顔を浮かべた。
驚かせたい一心で、内緒にしていた。
「実は母さんに紹介したい人がいるんだ、おいで」
僕は、物陰に隠れていた女性を手招きして呼び寄せた。
「こちらは智恵さん、僕の恋人です」
「初めまして、智恵です。よろしくお願いします」
智恵は膝の上で指先を揃え、静かに上体を反らした。
「あら、こちらこそよろしくお願いします」
母親も彼女に倣ってお辞儀をした。
「とりあえず、中に入ろう」
三人はテ−ブルを挟んで椅子に腰を下ろした。
テ−ブルにはコ−ヒ−の香りが満ち、クッキーが丁寧にしつらえてあった。
「来年、イタリアで結婚式するから母さんも来てよ」
僕は言った。
「海外旅行は初めてだし、不安やな…」
母親は渋った。
「母さん、私がサポートするんで安心して下さい」
智恵は説得した。
母親は小さく頷き、「喜んで出席させてもらうわ」
と微笑んだ。
三人の弾んだ声が、静かな家を明るく塗り替えていった。
実現させたいが、出会いがないし、稼いでないから正直難しいです。
なので、母親には高級肉をアマゾンで注文して郵送しました。
うーん、現実は厳しい…。
I LOVE…。
202X年。
僕は自衛隊の特殊部隊「ニンジャ」の一員である。
拉致された日本人を救出する為、北朝鮮に潜入する。
危険な任務だ。
生きて帰るかどうか分からない…。
だが、誰がやらなければ解決しないのだ。
僕は恋人に電話した。
「ハロー、武士、グッドイブニング!」
ナターシャは電話に出た。
「グッドイブニング!実は今から北朝鮮に拉致被害者救出の為に潜入するんだ」
武士は言った。
「ええ!本当に?」
「ああ、もちろん、こんな事で嘘つかないよ。それでナターシャに伝えたい事がある」
「何?」
「I LOVE… 」
「私もよ、I LOVE…」
「今まで言えなかったけど、最後になるかもしれないから…」
「何バカな事を言ってるのよ!貴方は無事に任務を終えて私を幸せにする義務があるのよ!絶対に死なないで!生きて帰ってくるのよ!!」
「分かった!約束するよ!僕の帰りを待っててくれ!!」
僕は電話を切って潜水艦に乗り込んだ。
必ず生きて帰ると心に誓って…。
3ヶ月後、死闘の末、隊員に犠牲は出たが拉致被害者全員救出に成功した。
僕は重傷を負ったが、日本の土を踏むことが出来た。
「好き」などは言った事はあるが、I LOVEはない。
今の人はそう言ってるのでしょうか?
逆に知りたくなりました。
余談だが、福山雅治主演の大河ドラマ「龍馬伝」の最終回をたまたま見た時に、龍馬役の福山雅治が恋人のお龍に「I LOVE YOU」と手紙に書いて、意味も説明していた。
こんな事有り得ないし、伝わらない!
今でこそアメリカは世界の中心であり、憧れの存在だが、江戸時代は外国人を忌み嫌っていたのだ。
NHKの大河ドラマは歴史考証もおかしい、つまらないので一切見ない。
読者の皆様や関係者の方々で「I LOVE」と言う相手がいらっしゃるのなら、お幸せに…。
いない方は見つかる事を願っています。
街へ。
僕は淡路島出身なので、明石市に行くのが街へ繰り出す事になる。
明石に行くにはバスで船乗り場に行き、高速船に乗り込まなければならない。
その為、時間もお金もかかる。
初めて明石に行ったのは小学生の頃。
当然、お金がないから年に数回しか行けなかった。
明石にあるデパート内の様々な店舗に驚き、吉野家の牛丼を食した時の感動は今でも思い出す。
なので、吉野家の牛丼はいまだに大好物だ。
淡路島は残念ながら田舎である。
「淡路島にマクドナルドが出来るよ!」
「マジで!?」
「淡路島に吉野家が出来るよ!」
「嘘でしょう!?」
「淡路島にローソンが出来る!」
「本当に!?」
とニュースになるぐらいだ。
田舎は不便である。
都会に生まれて暮らしたかった。
人生観も変わったと思う。
現住所も田舎である。
都会へ行くには電車で1時30分乗車しなければならない。
普通車しかなく、新快速、快速がないのだ。
正確には快速はあるが、別途千円必要である。
兵庫県にいた頃には考えられない事だ。
「普通電車待ち合わせの為、5分停車します」
某駅に停車すると車掌のアナウンスが必ずある。
「誰もそんなの望んでねえよ!!タダでさえ遅いんだから、ササッと出発しろ!!」
そんな事を、車掌に言うと問題になるのでいつも心の中で突っ込んでる…。
会社の異動先はいつも田舎…。
僕はナチュラルカントリーリヴマスターなのだろうか?
こんな才能はいりません!
定年退職したら憧れの神戸で暮らしたいな…。
そう願う日々である。
優しさ
僕が小学生の頃は、この世界は優しさに包まれていると思っていた。
たが、心身共に成長するにつれてニュースを視聴するようになり、なんて冷たい世界なんだとガッカリした。
大人になって、社会に飛び込んで様々な挫折を経験して絶望した。
そんな時に阪神淡路大震災で被災した。
幸いウチの家族は僕を含めて怪我すらしなかった。
だが、家は半壊した。
修理に大金を払うことになったがまだマシな方である。
世間では家や家族を亡くした方が大勢いたのだ。
そんな時に僕に青年団からボランティアの誘いがあった。
しかし、僕は断った。
今の僕なら喜んで引き受けるが、当時は仕事ができない可哀想な男だったので足手まといになり、皆様に迷惑をかけると思ったからだ。
この選択はいまだに後悔している。
ボランティアをされてる方々には本当に頭が下がります。
僕が行ったボランティアと言えば献血を3〜5回ぐらいだ。
それで意を決して骨髄バンクにドナ−登録した。
2年後、骨髄が適合したドナ−が見つかった。
僕は喜んで骨髄移植手術を了承した。
だが、手術は本人の許諾だけでなく家族の合意が必要である。
手術は安全だ、成功率は高い、人の命を救う尊い行為だと母親に説明した。
しかし、母親は「断ってくれ!」と反対した。
残念ながら母親は悪い意味で考え方が古い。
僕は、母親の望みを何一つ叶えてないので受け入れるしかなかった。
これもいまだに悔やまれる出来事だ。
阪神淡路大震災で、世界の方々から援助していただいたのに恩返しが出来てないので、本日、セ−フ ザ チルドレンさんに少額ですが毎月寄付することにしました。
大したことはできませんが、社会に貢献します。