安心と不安
ドタドタと乱暴な足音に目を覚ました。
ゆっくりとベッドから起き上がると同時に、強く開けられたドア。その先に、彼はこちらを見ていた。
「あ、あぁ……ただ、いま」
肩で息をしながらそう言う彼に、私は内心呆れながらもおかえりなさいと返事をする。
「生、きてる、生き、生きてる」
彼はこちらへふらふらと近付くと、私を力強く抱き締める。痛みに顔を歪め、抵抗するように背中を叩くがビクともしない。寧ろ、嬉しそうに笑うだけだ。
「はは、あっははは!生きてる!!君はまだ生きている!!!」
当たり前だ。勝手に殺すな。
そんな事を言えば彼はまた嬉しそうに頬を緩ませた。
その後ひとしきり笑った彼は、今度はそっと優しく私から離れると
「はー、ごめんな。今から飯作ってくるから」
そう言って部屋から出ていった。
彼が居なくなった部屋は再び静寂に包まれた。
“ここ”に監禁されてから、もう5年は経とうとしている。
理由は私を無駄な争いに巻き込んで死なせたくないとか、監禁され始めの時に彼は話していた。
無駄な争いが何なのかは分からないが、私がいつ死ぬというのだろうか。
そんな事を思ったが、その訳の分からない所が彼らしくて、脱出する気も起きなくなった私は、今も監禁され続けている。
「悪い!待たせたな」
暫くすると彼は、チーズリゾットが盛られた皿とスープを手にし部屋に入ってきた。
ありがとう。と短折にお礼を言うと彼は照れたように料理を机に置いた。
「最近、動物達にもかかる流行病で、牛乳とかチーズとかあまり入手できてないんだよなー。あ、でも今日はたまたまルドルフおじさんが安く売ってくれてさ!」
彼の話を聞きながら1口チーズリゾットを口に入れる。
ふわりとチーズの香りが広がり食欲がそそられたのか、はたまた彼の話が微笑ましくて気が逸れたのか。
どちらにせよ油断した私は舌を火傷し、思わずスプーンも落としてしまった。しまった。
「え……あ、だ、大丈夫か!?」
一瞬放心状態になった彼は、落としたスプーンをそっちのけで私の肩に掴んで大きく揺らした。
「舌を火傷したのか!?あぁ俺のせいだ出来たての状態で食べさせたかったから、冷ましてなかったから!!スプーンも金属だったから痛かっただろうに、木製のスプーンにすれば良かったんだ俺のせいで、そうだ。俺が冷ましてたら俺がチーズリゾットなんて選ばなければ俺がチーズを買わなければ俺がお前をこんなところに閉じ込めてなければ俺が魔王を倒してれば、あぁなんで俺のせいで俺のせいで俺のせいで俺のせいでおれのせいで!!!!!」
狂ったように「おれのせいで」と繰り返し、叫び声を出す彼を私は急いで抱きしめる。
「いやだ死なないでくれどうかお願いだから君だけは、君だけは逝かないで」
優しく抱き締めかえす彼を私はあやす様に、背中をリズム良く叩く。
どうして、こんな事になってしまったのだろう。
勇者である彼が魔王を倒し損ね、世界の片隅に人類が追いやられてから、もう5年だ。
沢山の人々、彼の大切な仲間、家族はみな魔王に殺され、何もかもを奪われた彼の唯一の安心は、私が生きている事でしかなくなってしまった。
かつて世界中の人々が揺るがないであろうと安心していた希望は、今は世界の絶望的な不安に怯えるただの男になってしまったのだ。
私の背中にヒヤリとした冷たい感触が広がる。
ズッ、と鼻をすする音と共に彼は重く、でもこの崩壊した世界よりずっと軽い呪いの言葉を吐いた。
「すきだ。……だからどうか、お願いだから。
おれのそばにいて」
逆光
「なぁ、それまだかかるのか?」
太く低い声と共に男は、特徴的な太眉を下げてこちらを覗く。突然の登場に驚いた私は、ノートとのにらめっこ負け、顔を上げた。
男……いや、クラスメイトの大島君は、快活な笑い声と共に「驚きすぎ」と言う。
「ご、ごめん。すぐに終わらせるから」
「あぁ、いや。急かすつもりじゃないんだ。いつもは俺が君を待たせてるし」
そう話す大島君は柔道部だ。今日は部活が休みだと言っていたから、こうして律儀に私を待っているのだろう。
かくいう私は日直で、日誌を書くという仕事を終わらせるべく必死に筆を走らせる。
「日直の仕事も大変だな」
「あはは……日誌、書くの苦手で……」
「国語成績5なのにか?」
「それとこれは別なんですよ大島君」
苦笑いをする私の頭上に影が落ちる。
そこで私ははっ、と気付いた。
しまった。
「敬語」
元々低い声がさらに低くなって私の耳へと届く。
顔は上げられない。表情は怖ばり、頬からは冷や汗が流れている。恐怖を、彼に悟られてはいけないのだ。
「いま、敬語使ったよな」
「ち、違うの。その、えっと」
「それに、呼び方も違うだろ」
大きな手が頭に伸びるのを感じる。
怒った大島君は怖い。彼は人懐っこく爽やかで老若男女好かれる青年。
でも、私にだけは違う。
「ごめん、ごめんね。総くん」
刺激を与えてはいけないのだ。怒った大島君は私を気が狂ったように暴力で支配し、食い散らかす。
もうあんな思いはしたくない。
「……そうだよな」
大島君の手は私の頭に置くと、1つ間を置いてくしゃりと撫でた。
優しげな声に顔を上げる。大島君の表情は逆光でよく分からなかったが、口元が歪んで笑っているように見えた。
「早く日誌、書き終わらせて帰ろう。俺、下駄箱で待ってるから」
「う、ん」
大島君は私の頭から手を離すと、リュックを背負い直して教室を出ていった。
私は書き途中だった日誌を書き終えると、急いで職員室へと日誌を返しに向かう。
どうか日誌を読んだ先生が、私のSOSに気付きますように。
そして出来ることなら、彼がクラスメイトとしての本来の距離感を思い出してくれますように。
『今日は嬉しいニュースがありました。
林先生の子供の誕生日みたいです。
5歳で元気いっぱいらしいのでまだまだケ
ガも多いかもしれませんが、5歳を楽しんで!』
子猫
パァン
引き裂くような銃声が部屋に響く。弾丸は私のすぐ真横の壁に埋まっていた。弾丸が掠ったのか右頬からたらりと血が流れる。
「ほら、てめぇが俺を選ばねぇからこうなったんだ」
引き金を引いた男はふっと銃から出た煙を吹くと今度は銃口を私の額へと当てた。それだけで私の体感温度はマイナス10度。体は震え上がりガチガチと歯を鳴らすことしか出来ない。
「震えてるな。寒いのか?」
男は恐怖で震える私を勘違いしたのか右頬の傷をひと舐めする。ヒリヒリと痛むのか、男の行動にさらに恐怖したのか私の目から涙が溢れ出した。
「おね、お願いです…!かえ、って。わ、わた、しの家から、出てって…!」
「はぁ?てめぇの家はもうここじゃねぇよ。今日からは、俺と一緒に海がきれーなところに住むんだ」
額に銃口をグリグリと当てる。それは抵抗するなと言っているようだった。いや、そのつもりだろう。
「うっうぅぅぅ……いや……うぅぅ……」
涙と鼻水だらけの私をさらに追い打ちをかけるかのように男は目元をべろべろと舐め回す。涙で顔は分からないが、たしかに嬉しそうに舐めていた。
「なぁ、俺と一緒に幸せになろうぜ」
かちゃり、銃の安全装置が外された。
私が拒めば男は即座に撃ってくるだろう。
「う、うぅっ…」
返事の代わりに私は頷いた。頷いて、しまった。
「!!本当か!本当に来てくれるんだな!?」
男は問いかけるようにこちらに話してくるがもう私の否定の声など届かない。男は銃から手を離し私の首に首輪をつけ手首には手錠をかける。
「あぁ…!漸く俺の物になった!!俺だけの、俺だけの……!!」
俺だけの“キティ”!!
過ぎた日を想う
「なぁ、あの頃の俺たちはさ。とにかく周りに合わせようとして、必死だったよな」
私は首だけを振り返り、後ろから抱きしめる彼のことを見上げる。彼はふはっと笑い抱きしめる力を強めるので、私はそのまま身体を彼に預けた。
あの頃というと、きっと彼は高校生である10年前のことを指しているのだろう。
「俺は高校デビューで今まで喋った事もない陽キャグループに入ってて、虐められないようにひたすらにこにこ…にこにこ……」
更に抱きしめる力が強くなる。声のトーンが落ち、顔は見えないがその時の情景を思い出してきっと彼は苦虫を噛み潰したような顔をしているはず。
「流行りのバンド曲なんて興味無いのに、ファッションにも興味無いのに必死に勉強しちゃってさ。」
「そんな時、お前に出会った。」
「お前はお前で慣れない学級委員長なんて役柄ついて、皆から『いいんちょー!』なんて慕われてたけど。」
「……慕われてたかな。」
私が発言をするとうん。と短い返事をして抱きしめる力を強める。私は苦しくなり顔を歪めるが、彼は気付いていない。発言は許可されていない様だ。
「でも、お前の学級委員長が嘘で良かった。」
「お前も俺と一緒なんだなーって……。お前も必死だったんだって。」
ふと、身体の束縛が解け苦しさから開放される。代わりに両手を絡めるように繋がれた。彼はすりすり私の手の撫でる。
「だから今、幸せ。こうやってもっとお前と一緒にいられることが。」
「お前も、一緒だろ?」
彼の言葉に私は一瞬の間を置かずに頷いた。
再びふはと笑う彼は私の返答に満足したようで「夕飯、作ってくるな」とキッチンへ向かっていった。
危なかった。今、彼は、私の首へと手が伸びかけていた。あの問いに一瞬でも間があったら。彼の言う“嘘”をついていたら。私は絞め殺されていただろう。
「10年前……か。」
手首にかけられた手錠の鎖がじゃらりと音を立てる。
もしあの時、彼と出会っていなかったら。
もしあの時、彼と友人にならなければ。
「なんて、過ぎた日だよね」
雪
「くしゅっ」
「おー、こりゃまた可愛いくしゃみだこと」
「うるさいな」
私はニヤニヤと笑う男に鋭い睨みを利かせる。言葉は白い息となり凍りついた。
今日の登校ルートは昨日の雪によって作られた白銀の住宅街。空気の冷たさが肌を刺し、足の先から頭のてっぺんまで締め付ける寒さだ。まさに今月1番の寒さとニュースで報道されるだけあると言ったところ。
「はぁ、なんで冬ってこんなに寒いわけ?雪も凍ったら滑りやすくなるし、嫌になっちゃう」
「ははっ、俺は好きだけどなぁ」
「なんでよ」
吹き荒れる風の寒さに身を震わせ、ザクザクと雪を踏みしめる度に靴を介して伝わる冷たさ。私はどうにもこの時期の気候が苦手で仕方がない。むしろ彼が冬を好きだなんて意外だ。きっとこの派手好きのお調子者なら「祭りがある夏が好きだ!」とか言いそうなのに。
「いやもちろん夏も好きだぜ?でもよぉ…」
彼はそう言うと、私の左手を手に取り自分のコートのポケットに突っ込んだ。
「こうやってイチャつけるじゃん?」
私は咄嗟に手を引っ込めるが、彼は私の手を握る力を強くし私を逃がさなかった。
やはりこうなったか。私は溜息をつき歩き始める。彼は抵抗をしない私に対して調子が良くなったのか、恋人のように手を絡める。そもそも彼とは“そういった”関係では無いのだが。
「ね、良いでしょ?こういうのも!」
ニカッと爽やかな笑みを零すも雪が溶けるほどの熱い視線を送る彼。彼の右手は私の手と恋人繋ぎ、左手は右手と同様にコートのポケットに突っ込んでいるが、その手にはナイフを携えていると私は知っている。まるで逃げるなと言っているようだ。
「……尚更嫌いになったわ」
冬も、貴方も。