「これが最後のコンクールだ。悔いのないように最後まで走り抜けよう」
顧問の高田先生が合唱部の三年生を集めて告げた。私が部長として迎える最後のコンクール、三年生の部員のみんな、そして今年で定年を迎える先生にとっても最後の大舞台となる。
全員で力を合わせて最高の思い出を作ろう。みんな向いている方向は同じだった。
しかし、大会二日前。強大な台風が近づく中で、大会本部からの通告はあまりに残酷なものだった。
大会の中止。しかも時期をずらしての開催もまだ定かでないという。
「そんな……。あんなに頑張ったのに」
部員たちの間にも動揺と落胆が広がっていく。
「私も悔しいよ。君たちの努力は私が一番近くで見てきたんだから」
そう言う先生の肩は震えていた。私は部員たちが抱える行き場のない熱意をどうにかしたいと声を上げた。
「先生、せめて私たちの歌を誰かに聴いてもらう機会は作れませんか」
他の部員も次々と賛同の声を上げる。波は次第に大きくなり、学校を動かし、地域を動かした。
台風が過ぎ去って二週間後、地域交流行事として合唱発表会が実施されることになった。
短い期間での告知にも関わらず、発表会当日の体育館は多くの人で賑わっていた。
「君たちの歌声をみんなに届けられて本当にうれしいよ」
先生は無邪気な笑顔で喜んだ。部員たちの顔に浮かんでいた緊張の色が、先生のおかげで少し和らぐ。
発表会は、秋らしい童謡で幕を開けた。その後も様々な世代に合わせた曲を披露していく。ひとりひとりの声が響き合う度に、会場は柔らかく優しい熱に包まれていく。
みんなが笑顔になり、手拍子も聞こえてくる。その盛り上がりが声援になり、私たちの士気をより高めていく。
ラストはコンクールで披露するはずだった課題曲に決めていた。一番力を入れて練習を重ねてきた曲。
私は会場に向けてマイクを握った。
「今日は私たちの合唱発表会にお越しいただきありがとうございます」
背中に感じる部員たちの思いを一つ一つの言葉に乗せて声にする。
「最後の曲は、未来に向かって歩く人々へ希望と勇気を与えてくれる曲です――」私は舞台の袖へと視線を向ける。「この曲を、私たちの恩師、高田先生に捧げます」
先生が、部員に手を引かれながら、驚きと恥ずかしさを隠すように顔を伏せて舞台へと上がってくる。先生が舞台の脇に用意した椅子に腰掛けるのを見届けて、私は告げた。
「聴いてください。『Another Day of Sun』――」
舞台の照明が落ちる。
みんなの呼吸が一つになる。
――Ba-ba-da-ba、 da-ba-da-ba
暗闇の中、声だけで刻む軽快なイントロが始まる。伴奏はない。軽快なリズムに会場から自然と手拍子が響く。
スポットライトが部員の一人を照らし出し、歌声が放たれる。一人、また一人と歌声が重なるにつれ、ステージが光に満ちていく。
次第に歌は宙を駆け、天井を越え、あの日の台風を消し去るように空へと響いていく。
リズムを刻む声。
風のように流れるコーラス。
力強い歌詞を持った声。
すべての声が一つになる。
次第にラストが近づく。
視界の片隅に手拍子を打つ先生の姿。
涙で詰まりそうになる声を張り上げる。
渾身の力で最後の一節を振り絞る――。
――It's Another Day of Sun !
全員の声がピタリと止み、しんと空気が静まる。
刹那、堰を切ったように会場が大きな拍手に包まれた。全身の毛が逆立つような感覚に思わず涙が溢れてくる。感謝が沸き上がり自然と会場に向けて深く一礼をしていた。
「今までで一番のステージだったよ」
椅子から立ち上がる先生に、思わず部員全員で駆け寄った。先生も私たちもたくさん泣いた。
これは悲しい涙じゃない。みんなで成し遂げた達成感の涙だ。
先生、みんな、ありがとう。いつかまた今日みたいに一緒に歌おうね。
今日という日が終わっても、私たちはきっとまだ走っている。また昇ってくる新しい太陽の下で――。
#LaLaLa GoodBye
すべてが嫌になった夜、あてもなく線路沿いの道を歩いていると、ポツポツとアスファルトに雨が落ちてきた。その後急激に雨脚が増し、あっという間に土砂降りになる。まるでここ数日の俺の代わりに泣いているような雨だった。
一昨日、ひょんなことから上司といざこざがあり勢いで仕事を辞めた。こんな時にそばにいてほしいはずの恋人にも別れを告げられ、まるで世界から切り離されたみたいに、真っ暗な道をただ歩いていた。
雨から逃れようと逃げ込んだ公園の東屋には、先客がいた。チェスターコートを着た整った身なりの老紳士が、静かにベンチに腰を下ろしている。
「どこまで行くんだい?」
老紳士の唐突な問いに、反射的に答える。
「もう、どこでもいいです」
投げ出すように放った声は、自分でも驚くほど乾いていた。
「どこでもいいか」老紳士がふっと笑う。「それもまたいい。行きたいところがない時は、足が進むままに行けばいい」
激しい雨音の中で、彼の深く優しい声ははっきりとした輪郭を持って耳に入ってくる。
「私にも今の君みたいな顔をしてた時期があったよ」
老紳士が昔を懐かしむように、雲に覆われた雨の空を見上げる。
「失敗ばかりしてる顔ですか?」
「いや、まだ『正解』を探してる顔だ」
その言葉が、不思議と胸に引っかかった。俺はずっと間違えないことを心がけて生きてきた。それなりの大学を出て、無難な会社に就職し、期待通りに働いて、誰かに恥じないように。
でも気づけば、この有り様だ。ふとした瞬間にそれまで積み上げてきたものは脆くも崩れ去る。
「こんな道でも、歩く意味はありますか」
「そんなものはないさ」老紳士がぼそりと呟く。「『意味』なんてものは、あとから振り返った時に見えてくるものだ。人生はどの地点に立っていても、その先に待つ数多の『正解』の分岐点。どの道を選ぼうと、必ず意味を持つようにできている」
少しずつ弱まってきた雨脚に、老紳士は帽子をかぶり直してゆっくりと立ち上がると、東屋の外へと歩みを進めた。道端にできた水溜りのそばに立ち、まっすぐ見下ろす。
「水溜りに映る自分を見てごらんなさい。そこに映る自分がどんな表情をして、どんな装いをしているか。それが意味ってやつだ」
その言葉に、思わず息をのむ。
「笑っていようが、泣いていようが、たとえみすぼらしい格好をしていようが、そこにいくらでも意味は見いだせる」
老紳士の背中がとても大きく広く見えた。
俺は老紳士の隣まで歩き、水溜りを見下ろした。絶望に満ちた表情の中に、わずかな希望が残っているような気がする。
「俺は、まだ歩けますか」
「人間というのは歩かずに生きることはできないよ。歩くことに意味を求めすぎないことだ。歩けるなら歩けばいい。疲れたら休めばいい。こうして自分と向き合うことがあれば、その時意味を考えればいい」
彼の言葉が、肩を打つ雨とともに俺の中へと染みていく。彼のように生きたい――そう思った。
しばらくその場で水溜りと向き合っていた。これまで流されるように生きてきた人生は、大した抑揚もなく、平坦な道だった。本当に意味のない人生だったのかと考えながらも、ただ見えていないだけの様な気もしてくる。
会社を辞めたのも、彼女と別れたのも、ただレールが切り変わっただけ。この道の先もどこかにつながっている。
気づけば雨はすっかり上がり、老紳士は姿を消していた。雲の切れ間から差した光が、濡れた地面をきらきらと輝かせる。
地面を照らすこの光が『意味』なのかな――ふとそんなことを考える。
この道がどこに続いているのかはわからない。でもこの先にあの老紳士の姿があるかもしれない。俺は再び歩き始めた。
#どこまでも。
他人が無理してるのがわかるから
わたしがその状況に置かれていなくても
まるで自分がその場にいるように
気をすり減らしてしまうの
早くこの場を離れたい
盛り上がってる人たちは
相手のエネルギーを削ってることに気づいてない。
むしろ助けてるくらいに思ってる。
そんな状況
互いに相容れるわけなんてない。
そもそも理解し合えない関係
でもなんで……
お前はバカだよ。
がんばりすぎなんだよ。
そんな言葉が………
だめだ。
やめてくれよ。
なんで笑わせるんだよ。
結局笑顔で終わってるんじゃねえか。
やめてくれよ。
明日からまた頑張っちまうじゃねえか。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ごめんなさい、飲み会です。
今日は掌編書けるテンションじゃないです。
飲み会です。すみません。
とりあえず今日思ったことを書きます。
掌編連作『寄り道』第四話
※2025.10.04投稿『今日だけ許して』の続きです。
【前回までのあらすじ】
孝雄から父に女がいたことを知った二人は
彼女の店がある港町を目指す。母との記憶が頭をよぎる中、港町に向かうママさんもまた、決意めいたものを胸に秘めていた。
※第四話はママさん視点で描かれます。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
潮風の中に土埃と排気ガスが香る港町を、私は茂の息子・優(まさる)と2人で歩いていた。
優が父親を探しに店を訪ねてきた時は少し驚いたけれど、彼の健気な姿を見ていたら助けずにはいられなかった。でもまさか、巡り巡って自分の過去に向き合うことになるなんて。神様ってのはホントに意地悪だ。
「ママさん、大丈夫ですか?」
優の声で我に返る。この子を不安にさせちゃいけない。私は勤めて笑顔を作って答えた。
「あぁ、何でもないよ。ただ、昔のことを少し思い出してね」
どうせ隠したところで、これから向かうのはあの玲子姉さんのところ。何を取り繕う必要があるのか。
だけど、過去の清算はしなきゃいけない。
「この辺のはずだけどね……」
昔の記憶を頼りに細い路地に入っていく。通りのゲートにある『白帆』の店名を見つけたところから、少しずつ緊張が増してくる。
店名の書かれた電飾看板の前で思わず足が止まる。店はお世辞にもキレイだとは言えなかった。白壁はところどころで塗装が剥げ、壁のポスターも端が破れて捲れている。ただ、木の扉だけは磨かれたようにピカピカで、どこか上品な佇まいをしていた。
「とうとう来ちまったね……」
一度深く息を吐いて、ドアノブをひねる。乾いた風にドアベルの音が響く。
扉の先では、深い茶色と臙脂色の空間に、カウンターだけがぼんやりと照らされていた。店に並べられた酒瓶が照明にキラキラと揺れ、甘いお香が仄かに香る。
カウンターの奥でグラスを磨いていた和服姿の姉さんがこちらに気づく。
「あら、珍しいお客さんね」
姉さんの記憶よりも低い声が聞こえてくる。
「ご無沙汰してます。玲子姉さん」
私が返事をすると、姉さんは優の方をちらりと見る。
「そっちの子は? あんたの子には見えないけど」
「この子の父親を一緒に探してるんです。お客さんの子で……」
「お人好しなところは変わってないのね」
姉さんが私の顔を見て小さく笑う。その言葉があの日への皮肉にも聞こえる。
ふとカウンターに、グラスに刺さった一輪の白い秋桜を見つける。
「あぁ、店開ける前に見つけたのよ。茎が折れかかってたから放っておけなくて」
姉さんが誰に促されるでもなくそう告げた。
「ごめんなさい……」
思わず頭を下げた私に、姉さんが「どうしたの急に」と戸惑ったような声を出す。
十年前。私は姉さんの店でチーママとして働いていた。当時は今よりも立地のいい街で、それなりに大きな店を構えていた。
ある日、ホステスの一人が客の財布に手を付けてトンズラした。翌日、客からの通報で警察沙汰になり、店の評判はがた落ち。次第に客足も減っていった。
――私はあの日、彼女が財布から現金を抜き出すところを目撃していた。
もちろん犯罪で許されないこと。でも、当時の私は甘かった。幼い息子をもつシングルマザーの彼女を、どうしても警察に引き渡すことができなかった。
姉さんにも打ち明けられず、結局、私は見て見ぬふりをして、彼女は朝方の街へと消えていった。その後の彼女の行方は知らない。
姉さんの店を辞めて独立してからも、その事がずっと心に残っていた。姉さんが新たに店を開いたと人づてに聞いたときも、結局会わす顔もなく、今日まで来てしまった。
私はその全てを姉さんに告白した。
「分かってたわよ、そんなの。あんた全部顔に出るんだから……」
意外な言葉に顔を上げると、姉さんは呆れたように笑っていた。
まったく、私はそれまで姉さんの何を見てきたんだろう。姉さんは私よりもずっと人の細かいところを見てたじゃない――。そして、誰よりも情に厚い人だったじゃない。
カウンターの秋桜が照明に照らされ、艶やかな白が輝く。まるで姉さんのように謙虚で美しい花。
「それより、座ったら?」
姉さんがカウンター越しにスツールを目で示す。
視界の片隅では優が居心地悪そうに目を伏せていた。
この子の父親探しは、私の罪滅ぼしだったのかもしれない。カウンターに向かう優の背中を見ながら、私は彼にとことん付き合うことを改めて決意した。
#一輪のコスモス
十月に入り、夏には涼を求めて通っていた喫茶店に暖かさを感じるようになってきた。
店内に流れる微かなボサノヴァと、コーヒーとトーストの香りはあの時と変わらず心地いい。
私は秋の柔らかい光が差し込む窓側の席に座り、いつものようにメニューを開く。
まだ夏の余韻を感じていたくてアイスカフェオレを注文し、彼の到着を待った。
私と徹(とおる)がこの喫茶店で出会ったのは七月の中旬。まだ夏の真っ只中だった。
うだるような夏の暑さに耐えかねてこの喫茶店に飛び込んだ私は、カウンターに座る彼を一目見て恋をした。
何度か通ううちに私の方からアプローチをして、二人の関係に名前が付いた。
夏に始まった情熱的な恋は、秋の訪れとともに少し落ち着き、これから深まっていくだろう矢先、彼から十月付けで福岡へ転勤になると話を聞いたのが九月の初め。
東京から福岡、地図上で見るよりもはるかに遠い距離。そして、あまりに唐突な遠距離恋愛のはじまりから、今日でちょうど二週間になる。
「美香(みか)、お待たせ」
そう言って徹(とおる)が店に入ってくる。荷物の少なさがこうして会える時間の短さを物語る。
「ううん、来てくれてありがとう」
二人の休みがたまたま合った平日、飛行機と電車を乗り継いで会いに来てくれた徹は、二週間前と変わらない笑顔を見せながらジャケットの上着を脱いで席に着く。
徹の注文したホットコーヒーが運ばれてくる。立ちのぼる湯気がコーヒーの香りをまとって二人の間に満ちた。
「向こうの生活には慣れた?」
「全然、忙しくてまだ荷ほどきも終わらないよ。美香の方は?」
「あなたと会えないこと以外はいつも通り」
二週間の空白を埋めるように会話が続く。自然と私の手が伸びて、徹の温かい手に重なる。同時に、私の心が彼の温かさで満たされていく。とても長く寂しかった日々がぐっと温度をもって思い出になる。
外では黄色く色づく銀杏並木が秋の風に揺れる。行き交う人々が風に肩を縮める中、二人の空間は温かさに包まれていた。
永遠に続いてほしいとを感じる時間ほど、どうしてこんなにも早く過ぎ去っていくのだろう。
気づけば、彼のコーヒーはすっかり冷め、私のアイスカフェオレの氷も溶けきっていた。
時計の針は午後四時を少し回ったころ。窓の外では、秋の陽が街並みに長い影を落とし始めている。
「そろそろ行かないと、飛行機の時間が……」
徹が申し訳なさそうに言う。
「うん、わかってる」
私は『行かないで』の言葉を飲み込んで、ただ笑ってうなずく。
会計を済ませて外に出ると、夕方の風が一層冷たくなっていた。
駅へ向かう道の途中、銀杏の葉が二人の肩にひらりと舞い落ちる。
徹はその一枚を拾い上げ、少し照れたように笑って私の手のひらにそっと乗せた。
「またすぐ会えるよ」
彼の言葉にも笑顔でうなずく。肩に回された手のひらが大きくて温かい。
夕暮れの駅、改札の向こうに彼の姿が小さくなっていく。
手を振る指先がかすかに震えるのは、風のせいか、それとも心の奥の寂しさのせいか。
アナウンスの声にまぎれて、胸の奥で小さく「いってらっしゃい」と呟いた。
秋の夕暮れは早い。空の色が群青へと変わっていく。
街頭の銀杏並木には小さな豆電球の列が光り、街は既にクリスマスの気配を漂わせている。
私は手の中の銀杏の葉を見つめながら、やがて来る冬を思う。
――マフラー、編んであげようかな……。
次に彼に会うその日まで、今日蓄えた温かさをゆっくり編んでいこう。きっとそうしている間は、彼のことを考えている時間だから。
私は彼の手の温もりとその姿を頭の中に描きながら、銀杏の実が香る並木道をひとりゆっくり歩いていく。
#秋恋