結城斗永

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掌編連作『寄り道』第四話
※2025.10.04投稿『今日だけ許して』の続きです。

【前回までのあらすじ】
 孝雄から父に女がいたことを知った二人は
 彼女の店がある港町を目指す。母との記憶が頭をよぎる中、港町に向かうママさんもまた、決意めいたものを胸に秘めていた。
 ※第四話はママさん視点で描かれます。
 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 潮風の中に土埃と排気ガスが香る港町を、私は茂の息子・優(まさる)と2人で歩いていた。
 優が父親を探しに店を訪ねてきた時は少し驚いたけれど、彼の健気な姿を見ていたら助けずにはいられなかった。でもまさか、巡り巡って自分の過去に向き合うことになるなんて。神様ってのはホントに意地悪だ。
「ママさん、大丈夫ですか?」
 優の声で我に返る。この子を不安にさせちゃいけない。私は勤めて笑顔を作って答えた。
「あぁ、何でもないよ。ただ、昔のことを少し思い出してね」
 どうせ隠したところで、これから向かうのはあの玲子姉さんのところ。何を取り繕う必要があるのか。
 だけど、過去の清算はしなきゃいけない。
「この辺のはずだけどね……」
 昔の記憶を頼りに細い路地に入っていく。通りのゲートにある『白帆』の店名を見つけたところから、少しずつ緊張が増してくる。

 店名の書かれた電飾看板の前で思わず足が止まる。店はお世辞にもキレイだとは言えなかった。白壁はところどころで塗装が剥げ、壁のポスターも端が破れて捲れている。ただ、木の扉だけは磨かれたようにピカピカで、どこか上品な佇まいをしていた。
「とうとう来ちまったね……」
 一度深く息を吐いて、ドアノブをひねる。乾いた風にドアベルの音が響く。

 扉の先では、深い茶色と臙脂色の空間に、カウンターだけがぼんやりと照らされていた。店に並べられた酒瓶が照明にキラキラと揺れ、甘いお香が仄かに香る。
 カウンターの奥でグラスを磨いていた和服姿の姉さんがこちらに気づく。
「あら、珍しいお客さんね」
 姉さんの記憶よりも低い声が聞こえてくる。
「ご無沙汰してます。玲子姉さん」
 私が返事をすると、姉さんは優の方をちらりと見る。
「そっちの子は? あんたの子には見えないけど」
「この子の父親を一緒に探してるんです。お客さんの子で……」
「お人好しなところは変わってないのね」
 姉さんが私の顔を見て小さく笑う。その言葉があの日への皮肉にも聞こえる。
 ふとカウンターに、グラスに刺さった一輪の白い秋桜を見つける。
「あぁ、店開ける前に見つけたのよ。茎が折れかかってたから放っておけなくて」
 姉さんが誰に促されるでもなくそう告げた。
「ごめんなさい……」
 思わず頭を下げた私に、姉さんが「どうしたの急に」と戸惑ったような声を出す。

 十年前。私は姉さんの店でチーママとして働いていた。当時は今よりも立地のいい街で、それなりに大きな店を構えていた。
 ある日、ホステスの一人が客の財布に手を付けてトンズラした。翌日、客からの通報で警察沙汰になり、店の評判はがた落ち。次第に客足も減っていった。 
 ――私はあの日、彼女が財布から現金を抜き出すところを目撃していた。
 もちろん犯罪で許されないこと。でも、当時の私は甘かった。幼い息子をもつシングルマザーの彼女を、どうしても警察に引き渡すことができなかった。
 姉さんにも打ち明けられず、結局、私は見て見ぬふりをして、彼女は朝方の街へと消えていった。その後の彼女の行方は知らない。
 姉さんの店を辞めて独立してからも、その事がずっと心に残っていた。姉さんが新たに店を開いたと人づてに聞いたときも、結局会わす顔もなく、今日まで来てしまった。

 私はその全てを姉さんに告白した。
「分かってたわよ、そんなの。あんた全部顔に出るんだから……」
 意外な言葉に顔を上げると、姉さんは呆れたように笑っていた。
 まったく、私はそれまで姉さんの何を見てきたんだろう。姉さんは私よりもずっと人の細かいところを見てたじゃない――。そして、誰よりも情に厚い人だったじゃない。
 カウンターの秋桜が照明に照らされ、艶やかな白が輝く。まるで姉さんのように謙虚で美しい花。

「それより、座ったら?」
 姉さんがカウンター越しにスツールを目で示す。 
 視界の片隅では優が居心地悪そうに目を伏せていた。
 この子の父親探しは、私の罪滅ぼしだったのかもしれない。カウンターに向かう優の背中を見ながら、私は彼にとことん付き合うことを改めて決意した。

#一輪のコスモス

10/10/2025, 1:28:02 PM