「君の小説を原作にして、あの灯台で映画を撮りたいんだ」
夜の海風の中、僕は防波堤に並んで座る彼女に声をかけた。
岬の先に立つ古びた灯台は、彼女の掌編小説にたびたび登場する象徴的なモチーフだ。かつて遠くの海を照らしていた灯台は、老朽化により光を失い、今や過去の遺産となってただそこに聳えていた。
「私の短い小説が映画になんてなるのかしら」
淡々とした声で答える彼女の視線は、灯台よりも更に奥にある深い闇へと向かっているようだった。
長くて二千字以内で完結する彼女の小説は、その読みやすさと共感性の高さから、一部の若者から支持されていた。巷では、わずか数十秒のショート動画が大量生産・消費され、流行りに乗る音楽も年々短くなっていく。エンタメは短ければ短いほど喜ばれる時代。僕はどこかでそんな流れに憂いを感じていた。
「最近は『タイパ』なんて言葉が台頭してるけど、君が書く短い物語には、人の心に刺さる深みを持ってる。僕はそれをもっと深く掘り下げて長編映画にしたいと思ってるんだ」
「長編か……、憧れるなぁ」彼女の視線が夜の闇に吸い込まれるように溶けていく。「何度か書こうとしたんだけど、どうしても結末を急いでしまうの。きっとそういう性分なのね。結実しない状態が不安で、どうしても落ち着かない」
彼女はそう言って小さく微笑み、視線を遠く灯台の方へと飛ばす。
「――小説を書き始めたころね、夜の海で遥か遠くを照らす灯台になるのが夢だったの。暗闇の海を行きかう船が迷わないように道を照らしたい。それが私自身の存在を示す光にもなるんだって信じてた。――だけど、物語を書き進めるほどにいつも不安になるの。私の光はちゃんと誰かに届いているのか。照らす方向を間違えてるんじゃないのかって。このまま光は衰えていって、あの灯台のように、ただ闇に聳えるだけの存在になるんじゃないかって」
次第にか弱くなっていく彼女の声をすくい上げるように、僕は声を強めた。
「君の物語は確実に人々の心に届いてる。それは誇るべきことだよ。それに――僕は君と一緒なら、結末までの行間を映像で繋いでいける自信がある。ラストシーンはあの灯台のアップからカメラが引いて、満天の星空を映し出すんだ。それは君が届けてきた無数の光の象徴さ」
彼女が目に涙を溜めながら「ありがとう」と短く言う。僕は一度呼吸を整え、静かに言葉を紡ぎだす。
「僕が撮りたいのは君の小説だけじゃない。君の人生を、ずっと君の隣で撮り続けていたいんだ――」
言ってしまってから自分の熱に頬が赤くなるのを感じた。視線を砂浜に落としながら、ほとんど呟くように言葉を足す。
「――つ、つまり、死ぬまでずっと僕と一緒にいてほしい……」
しばしの沈黙に耐えきれなくなって、ちらりと彼女の顔を見る。彼女も顔を赤らめて俯いていた。
「うれしい……」沈黙を破る彼女の声の明るさに反して、表情には陰りが見える。「でも、途中で早く結末を知りたくなってしまうのが怖い」
「そのときは、僕が未来への伏線を用意するよ。人生の最後で回収されるとっておきの伏線さ。道に迷ったときはその都度プロットを書き直せばいい……」
彼女がコクリと頷いて、僕の肩へ頭を預ける。僕は彼女の体をぐっと引き寄せる。それからしばらくの間、夜の闇に浮かぶ灯台を二人一緒に眺めていた。
#僕と一緒に
境目のない雲が空一面を覆っていた。
黒くも白くもない、単純な灰色でもない曖昧な雲。
少し待てば晴れ間も見えそうな――でも、少し突付けば大粒の雨を落としそうな雲。
いつもの喫茶店。騒がしくも静かでもない、適度なノイズが心地いい。
私は、四人掛けのソファ席から窓の外を眺めながら、少し湯気の落ち着いたコーヒーを一口すする。
豆の種類も、煎り方も、抽出方法すらも知らない。でもそれでいい。はっきりとした輪郭も持たず、味の主張をすることもない。
店主のこだわりなども特になく、ブレンドと名前がついただけの、この万人受けしそうなありふれたブレンドコーヒーが私の好みである。
ドアベルが鳴り、ほんの少しの間をおいて、彼が静かな足音を立てて近づいてくる。
彼はいつものように無言で私の向かいの席に座り、水を持ってきた店員にその場でブレンドコーヒーを注文する。私は視線を窓の外に向けたまま、彼が発する音に耳を傾ける。ショルダーバッグのファスナーが開く音、文庫本のページがめくれる音。
程なくして彼が低く渋い声で呟く。
「最近、毎日こんな空模様だね」
視界の先にある曇り空は、相変わらずどちらに転ぶかわからない不安定さを抱きながら、それでいて落ち着いていた。
「私は嫌いじゃないわ」
「僕もだよ」
特に待ち合わせをするでもなく、入店時に互いを認識すれば、こうして同じ席について話をする。単にそれだけの関係。
どちらの口からも、この関係に名前を付けるような話は出てこない。会って話をするのはこの場だけ。外で会うこともないし、互いに深く干渉することもしない。
そんな不安定だけど曖昧な関係は、私にとって別に苦ではなかった。
コーヒーに手を伸ばしながら、ちらりと目にした彼のブックカバーに、エッジの効いた黒猫のシルエットが映える。
「ブックカバ―変えたのね」
確か、前回ここで会ったときに本を覆っていたのはモネの絵画だった。
「君はこういう変化によく気づくよね」
「意外だなって思っただけ」
生成りの綿麻で織られた立ち襟のシャツに、細い縁の丸メガネ。彼の佇まいには、なんとなくモネが似合っていた。
「娘からの贈り物なんだ。父の日の――」
彼がそう言って小さく息を漏らすように笑う。
「へぇ、結婚してたんだ」
「言ってなかったっけ――」
そうして今日もまたひとつ、二人の間に新しい情報が更新される。そこに嫉妬や妬みのような感情は微塵もない。
――ただ、ブックカバーの変化になんて気が付かなければよかったという後悔が頭を巡る。彼についてひとつ何かを知る度に、私たちの関係性が名前を持ってしまいそうになるのが不安だった。
しばらく互いに干渉しない時間が続く。
沈黙の中で見上げた雲が風を受けてわずかに動きを早める。
「雨、降らなければいいけど――」
思わず口にした言葉が、私の本音の端から端を振り子のように行き来する。いっそ雨が降ってくれたら、少なくとも雨が止むまでは、この時間が続くだろうか――なんてことを考えてしまう。
「コーヒーもう一杯頼むかい?」
彼がほとんど空になった私のカップを視線で示しながら言う。
「そうね。もう一杯だけ」
私は底に残しておいた最後の一口を飲み干す。舌の上に残った微かな滓は、しばらくのあいだ曇天のように、ぼんやりとした苦みを漂わせ続けていた。
#cloudy
夢見る高校生を応援する就活マガジン『夢のチカラ』
◆巻頭インタビュー『仕事の裏側教えてください!』
王国の都市をつなぐ『虹の橋』は、人々の暮らしに欠かせないライフライン。その裏で、橋を生み出し支える専門職「虹の橋梁技士」が日々活躍しています。
今回は、主任技士のグレイ・エルデンさんにお話を伺いました。
インタビュアー(以下I):本日はありがとうございます。まず、『虹の橋梁技士』というお仕事について、簡単に教えていただけますか?
グレイ氏(以下G):こちらこそよろしくお願いします。『虹の橋』は、人々が渡っても崩れないだけの強度を持っていなければなりません。しかし、自然に現れるだけでは不安定なんです。なので、我々橋梁技士は、『精霊との契約』によって七色の魔力を束ね、安定した橋を建設しているのです。言わば、『虹を支える』力と言ってもいいでしょう。
I:なるほど。高校生の読者には『虹を支える』という響きにとても夢がありますね。
G:ええ。特に若い世代は、とても澄んだ心を持っています。そうした力が、橋を作るうえではとても重要なんですよ。
I:では、グレイさんが技士を目指したきっかけは?
G:子どものころ、虹の橋を渡りながら、人々が安心に満ちた表情をしていることに気づきました。そして、それを支えているのが、この虹の橋だと感じたんです。あの人々の笑顔を守るために、自分がその支えの一員になれる。そんなすばらしい職業だと言う確信があったんだと思います。
I:人々の支えになれる素敵なお仕事ですね。では実際に橋を作る際、どんな手順があるのでしょうか?
G:空気中を漂う『水精粒子』に『聖なる光』がぶつかることで虹が出来上がるのですが、それだけでは安定せず、人が足をかけた途端に虹は消えてしまいます。安定した『橋』にするためには、まず光の精霊との契約が必要です。精霊は、新鮮な命のきらめきを力の源にしていますので、私たちはそのきらめきを捧げることで、聖霊の魔力を貸していただくんです。
I:新鮮な命のきらめき……まさに高校生たちが溢れるほど持っているパワーですね。
G:(微笑み)そう、君たちが持っている心のきらめきはまっすぐで、濁りがない。その純粋な心こそが、強く美しく橋をつくるんです。君たちがこの都市のインフラの担い手として最も適した存在なんです。
I:やりがいを感じる瞬間は?
G:やはり、虹の橋を渡る人々の笑顔を見るときですね。大変なことも多い仕事ですが、自分のすべてを捧げて得られる対価としては、それに勝る喜びがあります。
I:最後に、読者である高校生にメッセージをお願いします。
G:虹の橋梁技士は未来を築く仕事です。もし少しでも興味を持ったなら、ぜひ養成校の説明会に足を運んでください。高校生の今こそ、もっとも輝く時期。君のきらめきが、きっと将来虹の橋を支えることになるでしょう。
I:本日はありがとうございました。
G:こちらこそ。いい記事になることを祈っています。
◆インターン生の声
※実際に職場体験を行った高校生の声をお届けする予定でしたが、事情により、掲載を見合わせていただきます。
◆編集後記
今回は、虹の橋梁技士の裏側を取材しました!
未来のインフラを支える大切なお仕事。
王国は若い力を必要としています。
未経験でも大丈夫。光の精霊に気に入っていただけるよう、専任技士がしっかりサポートします。
気になった高校生諸君は、ぜひ職場体験に応募してみましょう。
#虹の架け橋
「ったく、なにが『夢とロマン』だよ。未読無視前提で毎日メッセージを送らなきゃならないこっちの身にもなってみろっつうの」
山間の小さな天体観測所。俺はいつものように宇宙に愚痴を放り投げていた。
初めに言っておくが、これは比喩ではない。
俺がマイクに向けて声を発すると、観測所のアンテナから、宇宙へと信号が飛ばされる。宇宙にメッセージを送り続ける。それが俺の仕事だった。
俺も最初は返事を期待して、メッセージのようなものを投げかけたりもした。しかし、三か月経っても一向にスピーカーから返事はなく、相手に届いている感触すら分からなかった。
どうせ誰も聞いていないんじゃないかという諦めと、こんなことを続けさせられている事への苛立ちが募り始め、とうとう宇宙に向けて愚痴を発信するという異常行動にでたのだ。
「すみませんね。あなたたちもこんな愚痴聞かされたって、返事したくないですよね」
俺はラジオのパーソナリティか。――いや、それならまだ相手がいるだけマシな方だ。本日もお便りは届いておりませんし、リクエストもございません。
いっそ、なにかテーマのひとつでも与えられたほうが、この不毛な毎日を続ける理由にもなるだろうに……。
そんなある日、俺は休日に立ち寄ったオープンカフェで、一人の少女と出会った。
彼女はテラスのテーブル席に置いた小さなラジオに向かって、笑顔で言葉を投げかけている。
「そうなのよ。あなたなら分かってくれると思ったわ」
よくよく耳を澄ませてみるが、ラジオから聞こえてくるのは、砂利を磨り潰したようなノイズの音ばかり。
街ゆく人々は彼女のことを『宇宙人』と呼んで小馬鹿にしていたが、いまの俺にはとてつもなく興味を惹かれる対象だった。
「相席いいですか?」
俺は気づけば彼女に声をかけていた。
ノイズとの会話を邪魔されたのが、よほど気に障ったのか、「どちら様?」と俺を見る顔に、少しばかりの苛立ちが見えた。
「邪魔してしまったんなら謝るよ。でも、君がラジオと何を話しているのか気になって……」
俺は屈せず彼女に話を続ける。
「まぁ、ラジオだなんて失礼ね」彼女がラジオを慰めるように言う。そして「彼にはあなたが見えていないんだわ」と、ノイズに再び語りかける。
俺はその後も、彼女とノイズの会話を聞き続けた。次第に、同じように聞こえる砂利のような音も、わずかな抑揚の違いで言葉のように聞こえる瞬間があることに気づく。
「そちらの天気はどう?」
彼女がノイズに問いかけると、……ザ、ザザ、とわずかに高いピッチで短く波を打つ。
「待って」俺はノイズとの会話に割って入る。「いま、なんて言ったか当ててみる」
彼女は俺を見て「なんて言ってた?」と挑発するように軽く微笑む。
「……『快晴だ』って言ってる」
俺は自信を持って答えるが、彼女は小さく首を傾げる。
「今日は『風が強くて仕事が手につかないから、一日休暇を取ってのんびり過ごしてる』って言ってるわ――」
――そんな長いこと言ってたの?
俺がノイズの言葉を理解できるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだった。
翌日、俺はいつものように観測所のマイクに向かう。
ふと、スピーカーから小さなノイズが漏れているのに気がついた。きっとそれは、今までだって漏れ出していた僅かな音だった。だけどそこに言葉のようなものを感じている自分がいる。
「君の言葉が理解できるようになるまで、もう少し話を続けてもいいかな」
そう問いかけるとノイズがわずかに抑揚を見せる。
俺が気づかなかっただけで、今までだって既読はついていたんだ。その日を境に、俺の発信は愚痴から問いかけに変わった。
――いつか、君とちゃんと話せるようになりたいな。
俺の脳裏には、あの少女の姿が浮かんでいた――。
#既読がつかないメッセージ
夏と冬の間に、色を持った季節があったことを、もう誰も覚えていなかった。
二十一世紀の半ばから、世界は夏と冬だけになった。二十二世紀が迫るころには宇宙規模の変革により、地球を取り巻く環境は一気に不安定になった。
それでも世界は安定を求め、人類は叡智によって気候を制御し、夏と冬を維持しようとした。
夏は今日で最後を迎える。そして明日には極寒の冬が訪れる。
僕は絵画修復技師として、博物館に収められた古い風景画の修復に携わっていた。
今、目の前にあるのは二十世紀の終わりに描かれた「晩夏の庭園」と題された絵画だった。かつては強い彩度を放っていたであろう緑の芝生は枯れたように色褪せ、白い日傘は強い日差しに焼かれて黄ばんでいた。
僕はパレットに絞り出された純色の絵の具を、そのままキャンバスに塗り重ねていく。
数時間ののち、間もなく修復も終わろうという頃だ。
誰もいないはずの地下のライブラリから物音がした。不思議に思って降りていくと、本棚から一冊の詩集が転げ落ちていた。
『Fall』
シンプルな表紙を開くと、そこには見たこともない言葉が連なっていた――。
「紅に燃える森」
「群青の空」
「金色の穂波」
紡がれた言葉の一つ一つが、脳裏にありもしない風景を想起させる。赤い葉が風に舞い、星を宿した空が群青へと変わっていく。涼しく乾いた風が黄金の稲穂を揺らしながら、心の奥を吹き抜けていく。
――この風景を描かなければ。
そう思った瞬間、修復していた夏の風景が、白い余白のように物足りなく見えた。
僕は再び筆を取り、ためらうことなく、夏の庭園の上に赤を置いた。パレットの上で鮮やかな純色が混ざり合い、生まれた橙や茶が芝生に広がっていく。日傘の黄ばみは輪郭を持って落葉となり、金の穂波が画面の奥からせり上がってくる。
それはもはや修復ではなく、上塗りだった。けれど僕の手は止まらなかった。
まるであの詩集に導かれるように、知らぬはずの『Fall』を確信をもって描いていく。
ふと窓の外にどこからか一枚の葉が舞い落ちた。この都市には存在しないはずの、赤い楓の葉だった。僕は息を呑み、筆を握り直した。
筆を進めるごとに、外の世界が揺らいでいく。
街の木々はキャンバスと響き合うように色を変え、そこから金色の葉がこぼれ落ちる。
子どもたちはキャッキャと声を上げて葉を追いかけ、老女は哀愁のまなざしで空を見上げた。
制御されているはずの夏の湿った風は、次第にカラリとした涼しさをまとい、人々の頬を撫でていく。
群衆は戸惑いながらもその心地よさに立ち尽くした。
僕はキャンバスの空に最後の星を描き込んだ。すると、都市の空は澄んだ群青に変わり、瞬く星を宿しはじめた。
明日、冬に切り替わるはずだった世界は異なる色を持った。遠い昔に忘れられた夏と冬の間にある季節が再び姿をあらわす。
すべてを描き終えた僕は筆を置き、絵を見つめながら確信する。
――これは間違いなく『秋』という季節だ。
秋の色が人々の心に深く染み込んでいく。それはこれからやってくる極寒を和らげるような、柔らかく静かな余韻をもたらしていた。
#秋色