桃から生まれたとなれば、鬼を退治しに行くしかありません。それがこの世界の定説であり桃太郎に課せられた役割だからです。しかし、いまの桃太郎はそれどころではありません。なぜなら、その鬼と心が通じてしまったからです。
桃太郎が鬼ヶ島で鬼姫と出会ったのは、初めての鬼退治の日でした。火照ったような赤い顔に、頭から生えた二本のツノ、そして、笑った時に覗く八重歯に桃太郎は一目惚れしてしまいました。彼女の親は鬼族の長でしたが、彼が無類の登山好きだと知った桃太郎は、鬼ヶ島に行くたびに長と一緒に鬼山に登っては交流を深めました。
そうして、桃太郎は鬼退治を口実に何度も鬼ヶ島を訪れては、鬼姫との秘密の関係を深めていったのです。
桃太郎は、村人に「今日も鬼退治は順調に進んでいる」と報告していましたが、いつまでも成果が出なければ、村人も黙ってはいません。「こんな無能な桃太郎を、これ以上鬼ヶ島に行かせても意味がない」という声が出てきたころから桃太郎は焦りはじめます。
これは桃太郎にとっても大問題。鬼ヶ島に行けないということは、彼女に会えなくなるということを意味します。
そこで桃太郎はとある作戦を企てました。まずは犬、猿、雉をきび団子で釣り、仲間に引き入れます。犬は村内では正直者として最も信頼されていました。猿は巧みな話術で人を垂らし込むのが得意。雉は偵察のプロで情報操作が得意でした。
目的はもちろん、村中に桃太郎の英雄譚を広めて回らせるためです。
次に桃太郎は鬼ヶ島に出向き、鬼に協力を要請しました。犬の前で一芝居打ってもらい、桃太郎は鬼と戦っていると信じ込ませました。転んで頭をぶつけた鬼から、ツノの欠片を分けてもらい、猿に渡して村一番の目利きに証拠として届けさせます。猿の話術に、目利きはあることないこと全て信じてしまいました。そして、村の波止場に雉を配置し、島を出ようとする村人に、鬼ヶ島の恐ろしさを吹き込ませたのです。
最後に、桃太郎は鬼ヶ島に通い続ける口実をつくるために、鬼たちに農業を教え、産業を与えました。鬼は自給自足で生きられるようになり、村を襲わなくなりました。鬼山で採れる資源を使って、農作業用の道具や民芸品を作り、それを村に輸出することで、村人も大いに喜びました。
そうして、村も鬼ヶ島もともに潤い、世界は平和になったのでした。
それからしばらくして、桃太郎と鬼姫は村人や鬼たちに祝福されながら、めでたく結婚することとなりました。犬、猿、雉が結婚式の余興に披露した、桃太郎と鬼姫の秘密の恋のお話は、大いに式場を沸かせましたとさ。
めでたしめでたし。
#secret love
放課後になると、いつもこの図書館に来てくれるあなた。
あなたが初めてこの図書館を訪れたとき、私の心は大きく弾んだ。
そしてあの日から、いつもあなたのことばかり考えてしまうの。
あなたが私の存在に気付いてくれなくても、私はいつでもあなたを見てる。
でも、私はあなたに触れられない。あなたの温もりをこの肌で感じられない。
触れようとしてもすり抜けてしまう感覚。それがとてももどかしい。
あなたと一緒になれる日を思いながら、書き始めた小説。
今日、ようやくあなたはこの本を手に取ってくれた。
今この瞬間も、私はあなたを見ているわ。
ページをめくるたびに震えるあなたの指先。額に浮かぶ汗。
なんて愛しいの。すべてが、私だけの宝物。
このまま、あなたがこの本を読み進めて
最後のページをめくったとき、私が後ろから優しく抱きしめてあげる。
そしてあなたは、私と一緒にこの本の住人になるの。
ページをめくるのが怖い?
でも、あなたはもう好奇心を止められない。
最後のページに何が書かれているのか、気になってしょうがないはずよ。
ああ、あなたがこの状況を理解していくその過程がたまらない。
気味悪さと恐怖を感じながらも、あなたはもう私から目が離せなくなってる。
さあ、最後のページにすすみましょう。
あなたの震える指先にそっと手を添えて、一緒にページをめくる。
あなたがこちらの世界にやってくる。初めて感じるあなたの温もり。
もうあなたを離さない。これからはずっと一緒にいてあげる。
#ページをめくる
「はぁ、もう見つからないのかな……」
新学期初日だというのに、朝食はまったく手に付かなかった。
私はテーブルに頬杖をつきながら、小さな天使のキーホルダーを目の前で揺らす。
根元についた鈴のチリンという音があの夏祭りの記憶を呼び起こす。
一週間前の夏祭りは多くの人で賑わっていた。人混みの中を、浴衣に履きなれない下駄姿で歩いていた私は、ふとした拍子に地面に足を突っかけてバランスを崩してしまった。
その時、私の背中を、男の子の大きな腕が支えてくれた。
耳元でチリンと小さく鳴った鈴の音に合わせて、私の心臓もトクンと音を立てた。
「大丈夫?」
優しく声をかけてくれた彼に、どう答えたのかは思い出せない。彼と目が合った瞬間、耳の端まで熱くなってそれどころじゃなくなってたから。
「気をつけて」
そう言って立ち去る彼を、放心状態で見送った私が、ふと足元を見下ろすと、天使のキーホルダーが落ちていた。
名前も聞けなかったし、どこに住んでるかも分からない。私を支えていた腕の感触と温もりが、まだほんのりと残っているだけ。
何度か、あの公園にも行ってみたけど、祭りの終わった公園に彼の姿があるはずもなく……。
もうあれから一週間が経って、気づけば夏休みも昨日で終わり。時間が経てば経つほど、再会も難しくなるんだろうな……なんて思いながら、それでもこのキーホルダーを手放せないでいる。
なんだか自分の心が、紐に繋がれた風船のように、中心から離れたところでふわふわと浮いているような感じがする。
「ねえ、天使さん。あなたの持ち主はどこにいるのかしら」
私は目の前にぶら下がる天使に問いかける。
朝礼前の教室は賑やかだった。久しぶりに顔を合わせる友達とのおしゃべりに花が咲くなか、ガラガラ……と教室のドアが開いて担任が入ってくる。
その後ろをついてくる長身で整った顔立ちの男の子を見てハッとした。
転校生として紹介された彼は、紛れもなく、夏祭りで出会ったあの彼だった。
「えっ、運命……?」
心の声が思わず外に出てしまう。
私はとっさにポケットのキーホルダー取り出して、チラリと彼の方にかざして見せる。
それを見つけて、驚いたような表情で嬉しそうに笑う彼の顔が、こと更に愛おしくて、思わず笑みが溢れる。
天使さん。あなたの持ち主、やっと見つかったね。そして、ありがとう。
九月の風に揺られて、天使の鈴がチリンと音を立てる。こうして私たちの新学期が幕を開けたのだった。
#夏の忘れ物を探しに
学校でちょっとした噂の都市伝説がある。
『八月の精霊』
街の片隅にある小さな公園の藤棚の下で、八月三十一日の午後五時に願い事をすると、翌日それが叶うというのだ。
僕はそんなオカルトじみた話は信じていなかったが、クラスメイトのハルカはめちゃめちゃ信じていた。
夏休みも終盤に差し掛かった頃、ハルカから『八月の精霊』に会いに行こうと誘われる。どうやら精霊は恥ずかしがり屋で、一対一だと姿を現さないらしい。
僕以外の友達数人にも声をかけたらしく、八月最後の日の公園には、僕とハルカを含めて五人の同級生が集まっていた。
ハルカ、マサキ、ユウトの三人は噂を信じていて、僕とミカは半信半疑だった。
時間は午後四時四十五分。
「みんな何をお願いするの?」
とマサキが問いかける。
「オレはね、明日になったら宿題が全部終わってますように」
ユウトの願いにミカが思わず吹き出す。
「なにそれ、もったいない」
「ハルカは?」
俺が問いかけると、ハルカは人差し指を唇の前に立てながら言う。
「こういうのは言ったら叶わないのよ」
ハルカの言葉にユウトは肩を落として「そういうのは先に言えよな」と嘆いた。
「シンヤは何かお願いするの?」
ミカがこちらを見る。
「僕は、特に考えてなかったけど……」
僕はハルカの顔をチラリと見る。
「へぇ……」
ミカが変な笑みを浮かべる。
「いよいよだ」
マサキがみんなを藤棚の下に呼び寄せて、両手を合わせる。
秒針が真上を向いた瞬間、遠くで午後五時を知らせるチャイムが鳴る。
僕は半信半疑ながらも『明日以降もハルカと遊べますように』と願った。
翌日のホームルーム。担任が両手をパンパンと叩きながら、みんなの注目を前方に向ける。
「ほーら、みんな前を向いてください。中園さん、ちょっと前へ」
みんなの視線がハルカに集中する。ハルカは席から立ち上がると、恥ずかしそうに教壇の隣へと歩いていく。
「先日の出校日にお話した、中園さんの転校の件ですが……」
担任の声で顔を上げたハルカは顔を赤らめて笑顔を見せている。
「親御さんの都合で、来年に延期になりました」
クラスの何人かがガッツポーズをする。
ハルカと目が合ったが、すぐに恥ずかしそうに目をそらす。僕も窓の外に視線を向けながら思わず笑みがこぼれる。
「あの噂、続きがあるらしいの」隣の席のミカが言う。「願いが叶うのは、二人以上が同じ願い事をした時なんだって」
僕は「へぇ」と短く返事をする。
空にはまだ夏のような積乱雲がもくもくと立ち上がっていた。
#8月31日、午後5時
僕は彼女に送るメッセージを途中まで入力して指を止める。変なことを入力してないか、言葉が足りなすぎやしないかと不安になっているところに、僕の中の現実主義な部分が話しかけてくる。
「おいおい、まずは結論からってのが定説だろ? だから、冒頭は『一緒に住みたい』だ。そして、相手を納得させる条件が必要だ。家賃はこっちが出す。部屋は別々にするし、いま住んでる家より職場も近くなる」
そこに直感的な部分が口出しをする。
「ちょっと待ちなよ。そんな不動産チラシみたいな誘いで一緒に住みたくなると思う? 『一緒に住みたい』だけでいい。そのあとはあまりに現実的すぎるよ」
「それだけじゃ相手は納得しないだろ。もっと納得できる理由がないと」
「彼女を想う気持ちとか、彼女のこちらに対する気持ちとか……。あるでしょ、そういうの」
「ふん、そんな不確実なものに意志を委ねるなんてバカバカしいな。もし、相手にその気がなかったらどうする? 傷つくのはお前だぞ」
「傷つきたくないのは分かるけど、家賃とか持ち出されたら、まるで興冷めじゃない」
「じゃあ、それ以外に相手を納得させられる条件はあるのか?」
ふたりの口論がヒートアップする。僕はそれを遮るようにふたりに告げた。
「僕はただ、帰る家に彼女がいてくれたらうれしいんだ」
「いや、それはマズイ。あまりに利己的だ。まるで『俺のために家にいろ』って言っているようだ」
「それはあまりに曲解だよ」
再びふたりの話は平行線を辿る。
僕は、ふたりの意見を考慮しながらスマホの画面上に指を動かす。
『結論から言うと、一緒に住みたいんだ。
帰る家に君がいてくれると嬉しいから。
でも、誤解しないでほしい。僕は仕事をしてる君が好きだから、家にずっといてくれってことじゃないんだ。
職場までも今の家より近くなるし、家賃に関しても君に負担をかけないようにするよ。
僕は君と一緒に暮らしたいんだ。考えてみてほしい』
そこまで文字を打ちこんで、僕は大きくため息をつく。
「彼女をもっと信じてあげたら?」
直感的な部分が言う。
「言葉足らずで誤解されたらどうする?」
現実主義の僕が問う。
「彼女はそんな子じゃないよ」
「お前は楽観的すぎる。誤解されてからでは遅いんだ」
僕の中でふたりが言い争う。
「ふたりともケンカしないで」
僕は直感を信じて『一緒に暮らさないか?』の十文字だけで送信ボタンを押す。
「おい、本気か? 俺は不安で仕方がない」
現実主義の部分がうろたえる。
「うん、それでいい」
直感的な部分が大きく頷く。
しばらくして彼女からの返事。
『突然のことでびっくりだけど、うれしい』
僕は小さくガッツポーズをする。そして、僕の中の現実主義な部分に声をかける。
「ここからは君の出番だ。僕と彼女、ふたりの不安を埋める作業は君にしかできない」
僕の中にいる『ふたり』は全く正反対だけど、どちらかが欠けてもいけない。僕は、彼女との『ふたり』の関係を、僕の中の『ふたり』と一緒にこれからも続けていく。
#ふたり