結城斗永

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8/24/2025, 1:46:57 PM


 改札にICカードをタッチして駅を出ると、そこには見覚えのない光景が広がっていた。
 都会のど真ん中のはずなのに、視界に占める空の面積が大きかった。あたりを見渡して、それが十階建てより高い建物がほとんど見当たらないからだと気づく。ふと目に入った商業ビルの壁には『ビアガーデン』『大バーゲン』と書かれた垂れ幕がいくつも垂れ下がり、屋上からは気球のような丸い物体が同じく垂れ幕を下げて、いくつも打ちあがっている。
 上部が台形のように少し角ばった車が走る道路の中央を、二本の鉄のレールが走り、その上を小型の電車がこちらに向かって走ってくる。
『あれって、路面電車だよな。なんで、こんなところに』
 今から50年ほど前までは、この辺りにも路面電車が走っていたという話を親父から聞いたことがあった。二十二歳の俺にとっては、噂や書籍でしか見聞きしたことのない光景に、しばらく動揺して言葉を失った。
『もしかして、タイムスリップってやつか?』
 目の前の光景を写真に収めるため、スマホを取り出そうとポケットを探るが、あるはずの感触がそこにはなかった。
「マジかよ……」
 俺は焦った。16時から営業先での商談だというのに、こんなところで油を売っている場合ではない。そもそも、スマホがないので、いまが何時なのかもわからない。時間を確認できるものがないかとあたりを見渡すと、駅前広場の中央に時計を見つける。15時48分。
 俺はとりあえず、来た道を引き返し、再び改札を通ろうとするが、ICカードを読み取れる部分はない。
 仕方なく財布から夏目漱石の顔が描かれた千円札を取り出し、改札脇の売り場で切符を買う。久々に手にした紙の切符になぜか少しテンションが上がる。
 切符を改札機に通して奥へと進む。その瞬間、駅構内に入るはずの視界が明るく開けた。
 目の前には先ほどと同じ台形の車が行き交い、道路を挟んで向かい側に『本市場大通り』と書かれた看板と、その下に商店街が続いている。
 俺は何が起こっているのか理解できず、思わず髪をくしゃくしゃと掻きむしる。
「いったい、どうなってるんだよ」
 とにかく駅の中に戻ったところで帰れないとなれば、前に進むしかない。俺は道路を横切って商店街へと足を踏み入れた。
 見知らぬ街のはずなのに、どこか懐かしい感覚。どうやらまだしばらく、この不思議な世界は続きそうである。

#見知らぬ街

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『カクヨム』と『note』で、明日(8/25)にはこの続きを【後編】として公開する予定です。
よかったら『結城斗永』で検索してみてください。

8/23/2025, 2:27:36 PM

 『怒りを買う』っていう言葉があるけど、もし本当に怒りを買ってくれる人がいるのなら、まさに今、この胸の中でくすぶっている怒りは、いったいいくらで売れるんだろう。
 優太はそんなことを考えながら、団地の片隅にある小さな空き地でサッカーボールを蹴り上げた。ボールを追いかけるように見上げた空には、先ほどから水気を多く含んだ黒っぽい雲が立ち込め、小さなゴロゴロという音が、文句を垂らすようにどこからか響いている。
 
 近づいている嵐のせいで、明日の球技大会はどうやら中止になりそうだった。
 勉強ではどうやったって勝てないアイツに、一泡吹かせてやるはずだったのに。好きなあの子に、アイツより自分のほうがカッコいいって示すチャンスだったのに。
 優太は怒りに任せてもう一度ボールを蹴り上げる。湿気に濡れた草で軸足を滑らせて足先が狂う。コントロールを失ったボールは、雲の隙間に届きそうな勢いであらぬ方向へと飛んでいった。

 ――ガシャン。
 団地の二階から聞こえてはいけない音がする。ガラリと窓が開く音がして、遠くでおじさんのドスの利いた怒鳴り声がする。
「ヘタクソが! 余所でやれや!」
 ヘタクソじゃないやい、滑っただけだ――と優太は心の中で子供じみた言い訳をして、咄嗟に逃げるように空き地をあとにする。でも、なんだか遠くから雷様に見られているような気がして、足が止まる。
 優太は、急に自分のズルさが恥ずかしくなって、おじさんの家まで謝りに行く。おじさんは「二度とすんなよ」とだけ言って、サッカーボールを優太に返すと、特にそれ以上咎めることはしなかった。
 
 また遠くでゴロゴロと音がする。
 ――もうすこし鍛錬が必要だな。
 雷様がそんなことを言ってる気がして、優太は込み上げてくる恥ずかしさに思わず苦笑いをした。

#遠雷

8/22/2025, 5:41:27 PM

深夜二時を過ぎても尚、煌々と夜空を照らしている街の明かりのせいで、空には星ひとつ見ることができなかった。あの闇の先には、本当に宇宙というものが存在しているのか、果たしてそこには本当に地球以外の星があるのだろうか、と疑いたくなる。
 あの夜、皮肉めいた口調で「優しいのね」と言い放った君の心は、まさにいま目の前に広がる夜空と同じように、深く、暗く、冷たい空気で満たされていたに違いない。 

 片側三車線の幹線道路には、夜中だというのに多くの車が行き交っていた。この時間の彼らにとって、制限速度なんていうものは無縁のようである。車が通り過ぎていくたびに、湿った空気を含んだ風が歩道を歩く俺の右頬をはたいていく。
 あの夜、いっそ頬をはたかれでもしていれば、俺は君の悲しみに気付けただろうか。何を考えたところで、誰からも答えが返ってこないことは俺が一番わかっている。

 通りの脇に神社の鳥居を見つけ、気づけば吸い込まれるように短い階段を上がっていた。幹線道路の喧騒から幾分か離れた境内は、すっと風がやんだように落ち着いて、それが尚更に俺自身も見つめられなかった心の奥の闇を浮き彫りにした。
 あの夜、俺が君の隣できちんと寄り添ってやれていれば、君は車の波に身を投げることもなかったのだろうか。今となっては、神に何を問うたところで、彼女が返ってこないことは痛いほどわかっている。

 明かりからも離れ、しんと音の止んだ境内でふと夜空を見上げる。気を抜けば漆黒に変わってしまうほどの、仄かな青みを帯びた空に、先ほどは見えなかった小さな星々が、点々と浮かび上がる。
 ああ、そうか。あの夜を境に暗闇へと転じた俺の心が、いつも仄かに青いのは、君が遥か遠くでぼんやりと光っているからなのか。もう会うことの叶わない君に手を伸ばす。指の間をすり抜ける風が、わずかに湿っていて、わずかに温かかった。

#midnight blue

8/21/2025, 10:59:19 AM

「ヤバい、挟まれた」
 都市にそびえる展望塔の最上部には、俺とシエラが背中合わせでようやく立てるほどの狭いスペースしかない。まさかこんなところで、最大のピンチを迎えることになろうとは。
「グラン、そっちの状況はどうかしら?」
 後ろからシエラの声がする。下を向くと塔の側面に設置されたはしごを、全身真っ黒な戦闘服に身を包んだ集団が登ってくるのが見える。
「武装部隊が10人ほど。そっちは?」
「こっちも同じ程度よ。どうする?」
 後ろからシエラが答える。
「ここにいても大きくは動けない。体制を立て直さないと」

「でも、この風が厄介ね……」
 シエルの言葉で空を見上げる。上空には雲が大きく動くほどの風が吹く。
「そうだな、二人一緒には飛べない」
 俺は背中に背負った小型の収納式スカイグライダーを確認する。紐を引けば翼が飛び出し、ここから飛び立つことはできる。しかし、重量制限があり、シエラを抱えて飛ぶのはリスクがでかい。
「そっちは飛べるか?」
 俺がシエラに問いかけると、シエラは背中を少し動かす。
「翼を広げられないこともないけど、あなたを抱えてはムリね」
 状況は同じか。こうなれば方法はひとつしかない。
「場所を変えて落ち合おう。今は二手に分かれるのが正解だ」
 俺は地面を蹴り、同時に紐を引く。背中の装置から勢いよく翼が飛び出し、俺は、地上に向けて飛び立った。

 俺が空中で振り返ると、シエラも飛び立つ準備をしていた。シエラの前方に10人ほどの堕天使が迫っている。
「分かったわ。例の場所で落ち合いましょう」
 シエラは背中を小さく揺らすと、バサリと白く雄大な翼を広げる。白い羽がひらひらと落ち、はしごを登る武装部隊の顔をかすめる。
 シエラは俺の方をちらりと振り返って軽く微笑むと、大きな翼を羽ばたかせながら空へと飛び立っていった。

#君と飛び立つ

8/20/2025, 1:01:10 PM

 最近、忘れ物が多くなったような気がする。買い物袋を玄関に置いたまま出かけたり、ガスの元栓をを消し忘れたり。
「年かしら……」なんて、ごまかしていたけれど、子どもの授業参観日を忘れていた時には、さすがにヤバいと思った。

 そんなとき目にしたのが、“ForgetMeNot”というアプリ。
記憶をアップロードしておけば、あなたはもう忘れ物知らず――そんなうたい文句に、半信半疑で指を伸ばした。

 卵を買うのを忘れないように、アプリに「卵」と声を吹き込む。すると翌日、通知が届き、買い物リストを思い出せる。
 覚えておかなくていいって、こんなにも頭が軽くなるものなのね。こんな便利なものを知らずに生きてきたなんて。
 これがあれば、どんなに些細なことも、きっと忘れないわ。

     ◆◇◆

 最近、お母さんがなんか変なんだ。
 いつもスマホばっかり見てるし、時々僕が呼んでも不思議そうな顔で首を傾げて、慌ててまたスマホを見るんだ。
 スマホを見た後はちゃんと僕の名前を呼んでくれるんだけど……。
 もしかして、お母さん……僕のこと忘れてないよね。
 まさか、そんな事あるはずない。だって僕とお母さんは家族だもん。家族の顔なんて、きっと忘れないよね……。

#きっと忘れない

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