結城斗永

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 改札にICカードをタッチして駅を出ると、そこには見覚えのない光景が広がっていた。
 都会のど真ん中のはずなのに、視界に占める空の面積が大きかった。あたりを見渡して、それが十階建てより高い建物がほとんど見当たらないからだと気づく。ふと目に入った商業ビルの壁には『ビアガーデン』『大バーゲン』と書かれた垂れ幕がいくつも垂れ下がり、屋上からは気球のような丸い物体が同じく垂れ幕を下げて、いくつも打ちあがっている。
 上部が台形のように少し角ばった車が走る道路の中央を、二本の鉄のレールが走り、その上を小型の電車がこちらに向かって走ってくる。
『あれって、路面電車だよな。なんで、こんなところに』
 今から50年ほど前までは、この辺りにも路面電車が走っていたという話を親父から聞いたことがあった。二十二歳の俺にとっては、噂や書籍でしか見聞きしたことのない光景に、しばらく動揺して言葉を失った。
『もしかして、タイムスリップってやつか?』
 目の前の光景を写真に収めるため、スマホを取り出そうとポケットを探るが、あるはずの感触がそこにはなかった。
「マジかよ……」
 俺は焦った。16時から営業先での商談だというのに、こんなところで油を売っている場合ではない。そもそも、スマホがないので、いまが何時なのかもわからない。時間を確認できるものがないかとあたりを見渡すと、駅前広場の中央に時計を見つける。15時48分。
 俺はとりあえず、来た道を引き返し、再び改札を通ろうとするが、ICカードを読み取れる部分はない。
 仕方なく財布から夏目漱石の顔が描かれた千円札を取り出し、改札脇の売り場で切符を買う。久々に手にした紙の切符になぜか少しテンションが上がる。
 切符を改札機に通して奥へと進む。その瞬間、駅構内に入るはずの視界が明るく開けた。
 目の前には先ほどと同じ台形の車が行き交い、道路を挟んで向かい側に『本市場大通り』と書かれた看板と、その下に商店街が続いている。
 俺は何が起こっているのか理解できず、思わず髪をくしゃくしゃと掻きむしる。
「いったい、どうなってるんだよ」
 とにかく駅の中に戻ったところで帰れないとなれば、前に進むしかない。俺は道路を横切って商店街へと足を踏み入れた。
 見知らぬ街のはずなのに、どこか懐かしい感覚。どうやらまだしばらく、この不思議な世界は続きそうである。

#見知らぬ街

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『カクヨム』と『note』で、明日(8/25)にはこの続きを【後編】として公開する予定です。
よかったら『結城斗永』で検索してみてください。

8/24/2025, 1:46:57 PM