結城斗永

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8/19/2025, 1:33:37 PM

「鴉の勝手でしょ」
 幼馴染の円香(まどか)が僕を庇うように言った。円香は何かあるといつも僕を守ってくれる。恥ずかしながら、鴉(からす)というのは僕のあだ名だ……。
「だって、鴉みたいなのが、さゆみと釣り合うわけないじゃん」
 クラスメイトの裕二(ゆうじ)が『ない』のところだけやけに語気を強めて言う。
 すべての発端は、僕がさゆみちゃんへの手紙を書いているところを、裕二に見られたからだった。
「さゆみちゃんはクラスで一番ビジンなんだ。お前みたいなビンボー人は相手にもされないさ」
 僕が鴉と呼ばれているのは、『拾いグセ』のせいだった。学校の校庭や帰り道に、きれいな石ころや、空き缶のプルトップ、ビンの蓋を拾っては、ポケットに入れるクセがある。
「あんた、鴉のこと何もわかっちゃいない」
 円香は裕二を指さしながら続ける。
「鴉はとっても優しいんだから。それにただ何でもかんでも拾ってるわけじゃないの!」
「は、恥ずかしいから、もういいよ……」
 僕は袖で涙をぬぐってから、円香の腕を小さく引く。
「この際だから言っとくけど、裕二なんかよりも鴉のほうがずっと頭もいいし、心も綺麗なんだから」
「それとこれとは別だろ!」
 その時、ガラガラと教室のドアが開き、タイミングがいいのか悪いのか、さゆみちゃんが入ってくる。
「おい、さゆみ。ちょうどいいところに来た! おまえ鴉になんか興味ないよな?」
 裕二が強い口調で言う。さゆみちゃんは怯えたように首を反らしてる。
「ゆ、裕二くん……。そんな風に言ったらさゆみちゃんが怖がるよ」
 僕がそう言うと、裕二がこちらをギラリと睨む。さゆみちゃんの震える声が聞こえてくる。
「山野くん……を、いじめないで」
 山野っていうのは僕の苗字。僕をそう呼んでくれるのは、さゆみちゃんだけだ。さゆみちゃんがポケットから小さな指輪を取り出す。僕が校庭で見つけた綺麗な小石を磨いて作った指輪。ビンの蓋を加工して作った石座に、アルミのプルトップを溶かして作ったリングの自信作。
「昨日はありがとう。これ、大事にする」
 さゆみちゃんが僕を見てニコリと笑う。裕二がケッと吐き捨てて去っていく。円香が僕を見て親指を立てる。
「さすが、鴉!」
 僕は、鴉というあだ名が少し気に入っている。

#なぜ泣くの?と聞かれたから

8/18/2025, 10:28:16 AM

いつもの喫茶店。いつもの席。
今日も午後三時が近づいている。

私はベルベットのソファ席でいつものようにアイスコーヒーを飲みながら、右腕にはめた腕時計を見る。
もうそろそろ聞こえてくる頃だ。

カツ……カツ……カツ……

一定のリズムを刻んで床を踏み鳴らしながら近づいてくる革靴の音。
姿は見えない。聞こえるのは足音だけ。
今日も私の席の真横で止まり、キュッと床をこする音がして、机の下で短く足をそろえるようにコツンと鳴る。

おそらく私の向かいに座っているはずの彼は、いったいどんな顔をしているんだろう。
どんな格好で、どんな仕草をしているんだろう。
好きな本でも読んでるのかな。それとも、ただただ外を眺めて佇んでいるのかな。

今日も私は誰もいない正面を見つめながら、何もない虚空にただひとり見とれている。

#足音

8/17/2025, 12:09:01 PM

「早く夏休み終わらないかな……」
 じいちゃん家の畳間。幼馴染の四人でトランプの最中、僕がそういうと、友達みんなから猛反発を受けた。
「タケル、それマジで言ってる?」「俺はもう一ヶ月くらい欲しい」「ずっと夏休みならいいのに」

 そりゃあ、そうだよな。
 夏休みが終わるまで、あと一週間もある。まだまだ長そうな七日間。
 いつ夏休みが終わってもいいように、宿題は全部終わらせてある。自由研究もやった。

 別に夏が嫌いなわけじゃない。
 夏にしかできない思い出もたくさん作った。海水浴も行ったし、花火大会も行った。盆踊りも、かき氷も、スイカの種飛ばしも。
 今日だって、朝早くに集まって、名古屋から岐阜の山奥くんだりまで、半日かけて自転車を走らせてきた。田舎のじいちゃん家でお泊まり会だなんて、やっぱり夏休みじゃないとできない。

「あっ、お前、ゆみこ先生に会いたいんだろ」
 友達の一人がそう言って、僕は思わず顔を伏せた。
「タケル、先生のこと好きだもんな」
「えっ、そうなの? 知らなかった」
「や、やめろよ……。そんなんじゃないよ」
 僕は自分の耳が熱くなっていくのを感じながら、「風呂入ってこよ」と部屋をあとにした。
 障子戸の向こうから友達のキャッキャと笑う声が聞こえてくる。

 早く終わってほしいような、終わってほしくないような、あと一週間の夏休み。

#終わらない夏

8/16/2025, 2:14:44 PM

夜空を見上げると、僕の上空だけぽっかりと穴があいていた。

そう見えたのは、雲が周りを取り囲むように低い位置にあって、見上げた先に雲が一切なかったからだ。

僕の半径数キロだけが世界であって、その上に覆いかぶさった半円球のプラスチックが、星や月やその先の暗闇を映し出しているみたいだ。

僕が足を踏み出すと、天球の中の世界がぐぐぐと動く。
僕が歩みを進めるたびに、前から世界が湧いて出て、後ろへと沈むように消えていく。

それでも夜空は変わらない。
月はずっと同じ位置にあり、僕はずっと天球の中心にいる。

見上げた夜空の一番膨らんだところ、一番遠くて深い宇宙から、この世界を形作る全てのものが、僕のために降り注いでいるみたいだ。

#遠くの空へ