「半袖」と聞いて思い出したエピソードを一つ。
中学に上がってすぐの6月、冬服から夏服に変わるタイミング。
ブレザーを着用する必要がなくなり、私は意気揚々と半袖シャツ1枚で登校した。
学校に近づくにつれて気が付く。
周りを歩く生徒たちは皆、
シャツの上にベストあるいはセーターを着ていた。
おそらく自分の意思のみで行う初めての衣替え、制服の作法など未知な中学生には充分に恥じらいを与える体験である。
浮いていたであろう私は、
「暑いからあえてこのスタイルで着こなしているんですよ?」
という顔をしてどうにか1日を過ごした。
失敗を開示することもなく、指摘する隙も与えず。
*
その後の学生生活では、シャツの上には必ずセーターを着るようになった。
夏でも、余程暑くない限りは半袖シャツにセーター。
冬でも、室内は暖房が効いているということ、腕に直接柔らかい生地が当たる感覚が好きという理由で半袖シャツにセーター。
本当は暑がりのくせに、
「寒くてセーターを着ています」
みたいな顔をして学校生活を全うした。
背中や脇に汗をかいていても、なぜか汗をかかない顔にあやかって涼しげな表情をかましていた。
今思えば、中1の初夏のあの体験が根底にあったのかもしれない
誰も、私が本当は汗っかきなことを知らない
私も、誰にも知られないように振る舞っている
なんか、ずっと、そんな感じの人生
本格的な暑さが訪れようとしている5月中旬。
賑やかな校庭で、体操服を着た子供たちを囲むように親や教師たちが見守っている。
("かけっこといえば"のあの曲も、流石にもう定番ではなくなってるよなあ)
最近では徒競走のような順位がつく種目をやらない学校もあるようだが、我が子の活躍がほぼ約束されているとなったら現代の教育理念など後回しだ。
──息子は俺に似て脚の速い子に育った。
中学に上がれば陸上部のエース…いや、今頃からサッカーをやらせて脚力を鍛えるのもアリだな。
ゴールの瞬間がよく見えるポジショニングも完璧。
カメラだって、最高の瞬間を切り取れるよう一級品を用意した。
『お、〇〇くんじゃあないか』
「(…まずい)」
「奇遇ですね、会長もいらっしゃるとは」
『うちの子の出番、次なんだよ』
…運命とは時に残酷だ。
我が社の当代会長のご子息が俺の息子と同じクラスってだけでも息が詰まるのに、こんなときにも当たるなんて。
『私の息子は随分と脚が速くてね、毎年一等賞でゴールするんだ』
「それは期待できますね。ご活躍が楽しみです」
遠くでスタートを知らせるピストル音が鳴るのが聞こえる。
いつか息子が聞いてきたっけ。
『どうして天国はお空にあって、地獄は地面の下にあるの?』
息子が一番にゴールしたとき、そこは天国なはずだ。
そうでなければいけない。
一瞬でも息子の負けを描いた己を憎んだ。
いや……勝ったら天国で、負けたら地獄なのか?
天国も地獄も同じ場所にある表裏一体の世界ではないのか?
(……勝って味わう地獄も悪くないな)
【天国と地獄】
泣かないで。
あなたの涙はもらってしまうから。
悲しみは脳のエラー。
感情はすべて一過性のもの。
涙の数だけ強くなれる、なんて信じない。
そうしていつしか涙の流し方を忘れてしまった私でも
あなたの前ではもらい泣きをしてしまうの。
『どうして貴方も泣くの?』
「……あなたが、泣いているから」
『ふふ、なにそれ笑』
"泣かないで"と、口に出すまでもなかったみたいだ。
自らの泣き方がわからなかった私には
その涙の止め方もわからない。
でも大丈夫。あなたと一緒にいるだけ。
もらい泣きしやすいなら、もらい笑いもしやすいかもね。
「…どうすればいい?」
血を流して目の前に横たわる男は君の婚約者。
修羅場の揉み合いの末の…というわけだ。
「ひとまず救急車だ!早く!」
『死んでる…?息してないよ…』
「じゃあ警察か?とにかく早く!」
『警察が来たら何て言えばいいの!?私やってないからね』
「俺がやったっていうから」
『それも嫌!私たちの関係がバレたらどうすんのよ』
そうか。この女が考えているのは保身だけ。
どうせ俺のこともそのうち飽きるに違いない。
頭に登っていた血も、胸の奥もサーっと冷める感覚がした。
捨てるならいっそ、利用してから。
「お前の親父が持ってる山、立ち入り禁止のところあったよな」
『え?まさか…』
「俺はこいつを殺したことを隠したい、お前は俺が家にいたことを隠したい」
「なら共通する解決策は、これだ」
こいつ自体を隠す。
さあ、自分を守りたい君はどうでるかな。
俺に協力するか、全てを捨てる覚悟を決めるか。
『…どうすればいいの?』
あなたの宝物は何ですか?
そう質問されたとき、
即答できる人はどのくらいいるのだろう
少なくとも私は、できない側の人間である
幼い頃の宝物
キラキラひかるおもちゃの指輪
ともだちからの手紙
パパに買ってもらったアニメの変身グッズ
タカラモノバコに詰めていた、あるいは大事にしまっていたものたち
大人になってからの宝物
家族?
周りにいる大切な人たち?
時間?
どれも宝物のようで
どれもそうではないような
しっくりと来ない感覚
パッケージのかわいい化粧品やアクセサリー、
ブランドものを集めたくなる理由がわかる
見るたびにときめきをくれる
価値があることが共通認識である
わかりやすく"宝物"と言いたくなる
自分の手で稼いだお金でそれらを買うのだから、
さながらトレジャーハントである
私も、自分にとっての宝物を見つけていきたい