ある冬の晴れた日。日課の庭掃除を終えたミナミは、自分の家のポストを開けた。
「あーあ。もう。」
そこには『広告お断り』のシールを無視して投函された広告が沢山入っている。どうして、こんな街はずれまで広告を入れに来るのかしら。ピアノ教室、学習塾。うちに小さい子は居ないのに。ピザ屋に、野菜の配達。私なら箒でひとっ飛びよ?一緒に住むガク師匠なら、お店に行かずとも転移魔法が使えそう。
「あら?誰かしら?」
そんな広告に混じって、一通の封筒が入っている。秋に見たイチョウの葉のように、綺麗な黄色い封筒。宛先は、ガク師匠では無く、ミナミ宛て。
「おかえり。外は寒いだろう。」
「ただいま。今日も寒いわ。お茶でも淹れる?」
「ああ。カフェオレが良い。お湯を沸かそうか?」
書斎から顔を出しているガク師匠は、指先を擦り合わせて見せる。ガク師匠ともなれば、魔法で、パッとお湯を沸かすことも出来てしまうのだ。
「いいわ。ポットで沸かすから。湯気が出た方が、湿度も上がって良いでしょ?」
「そうか。ミナミに任せるよ。」
ガク師匠は、にっこり笑って、リビングのソファーへと腰掛ける。ちょいちょいと指を振ると、今まで読んでいたのだろう、読みかけの本が書斎から優雅な蝶のように飛んでくる。
「面倒くさがりなんだから。」
ミナミは台所に立つと、ポットに水を入れて、コンロに乗せる。火を付けて、棚からは紅茶の茶葉とお茶を淹れる用のポットを取り出して、お茶を淹れる準備を始めた。今日はウバにしよう。沸いたお湯を茶葉に注いで、蓋を閉める。と、ミナミは、エプロンのポケットから、小さな人型の紙を取り出した。ミナミが祝詞を唱えると、紙が動き出す。
「えっと、後はお願い出来る?」
紙に宿った式(妖精のような者)は、ひとつ頷くと、ポットの見張りを始めた。ミナミは、台所にある丸椅子に腰掛け、作業台に置いておいた広告を魔法でゴミ箱へと飛ばしながら、届いた黄色い封筒を手にした。
「私に手紙を送って来る人なんて居たかしら?」
しかも、差出人が書いていない。たまに届く、弟弟子ニシの家からの手紙(中には彼の使い魔のファキュラが書いてくれた可愛い手紙が入っている)には、毎回、ニシの几帳面な字で差出人が書いてあるし。
「中身は何かしら?危険な物じゃないといいんだけど。」
こんなに綺麗な手紙から、危険な物は出て来ないと思いつつ。万が一を考え、ミナミは祝詞を唱え、手紙を透明な隔離空間へ入れて、そのまま封を開く魔法をかける。封が開くと、中から出てきたのは、1枚のカードだった。隔離空間を消して、カードを手に取る。二つ折りのカードを開くとと音楽が鳴り始めた。誕生日を祝う歌声は、ミナミの親友の声。
「アメ?」
『ミナミ、誕生日おめでとう!』
ミナミは顔を上げて、台所にあるカレンダーを見る。そうか!今日は私の誕生日だ。
「ミナミ、冷蔵庫の中を見てご覧。」
「え?」
リビングに座っていたガク師匠から声がかかる。冷蔵庫に何かあったかしら?今日は買い出しの日で、食材は殆ど無かったハズだ。ミナミが、パカッと冷蔵庫の扉を開くと、ポンっと軽快な音が鳴って、箱が現れる。
「わっ!」
「お誕生日おめでとう。今年はショートケーキだよ。一緒に食べよう。」
出てきたケーキの箱を取り出すと、今度はリビングで、トンっと音がする。振り返ると、そこにニシとファキュラが居た。
「ミナミさん!おたんじょうび、おめでとうです!」
ファキュラが駆け寄ってくる。
「これ、プレゼント!」
「まぁ、ありがとう!」
ファキュラがミナミの前で広げて見せた画用紙には、女の人が書いてあり、横には「ミナミさん」と拙い字で書いてある。
「お誕生日おめでとうございます。ファキュラがどうしてもと言うので、私達の分もケーキを用意して貰いました。」
「だから、こんなに大きな箱なのね。」
「けーき!食べるんですかっ?」
「そうよ。お皿とフォーク運んでくれる?」
「はい!ファキュラ出来ますよ!」
その時だった。ガタン!と、玄関で大きな音がして、ニシとミナミは慌てて玄関に向かう。
「あ、見つかっちゃった。」
「エスト!どっから帰ってきたの?」
「えっと、東?」
「そうじゃない。その様子じゃ瞬間移動か?」
「えへへ。そう。着陸に失敗しちゃった。」
玄関で、マントにくるまったまま、床に落ちているのは、ガク師匠の三番弟子のエスト。今度は、ドアのチャイムが鳴る。
「はぁい!」
「こんにち、わぁぁぁ!びっくりした。」
玄関のドアを開けて入ってきたのは、四番弟子のキタ。ガク師匠の弟子が、みんな揃ってしまった。
「エスト、なんでひっくり返ってるの?」
「着陸失敗。」
「ニシ!なんで言うの!」
「事実でしょ。キタも、いらっしゃい。二人とも手を洗ってきて。」
ミナミは、そう言うと、人数分のお茶を淹れ直すために台所に向かう。
「あ、ミナミさん、待って。」
「え?」
玄関を振り向くと、キタが大きな箱を手渡す。
「お誕生日おめでとうございます。これ、みんなの分のりんごジュース。駅のそばで買ってきた。」
「ミナミ、これも!」
ジャジャーン!と効果音付きで、エストがマントの中から大きな花束を出す。
「ミナミ、お誕生日おめでとう!」
ミナミは、鼻の奥がツンとした。誤魔化すように、ジュースと花束を、パッと受け取る。
「ほら、みんな、急いで支度して!二人は手洗い!ニシは、ケーキの用意!」
「ケーキあるの?!」
「あ!エスト!手洗い!!」
ケーキという単語を聞いた途端、エストはリビングへと駆けて行く。続いたのは、キャー!という黄色い声と「エストさん、こんにちは!」というファキュラの挨拶。エストもミナミに負けず劣らず、ネコ好きだ。
「やれやれ、賑やかだね。」
ニシがミナミから、重たいジュースの箱を受け取り台所へ消えていく。
「そうね。」
ミナミは花束抱え、嬉しそうに、後に続いた。今日はミナミの誕生日。
「ああっ!」
ある晴れた日の午後。ウトウトと昼寝していたオオトカゲのタンの耳に、同居人シロズミの叫び声が聞こえる。
『どうした。うるさい。』
「あー。見て、これ。」
シロズミが材料棚の中から、黒い種が沢山入ったビンを持って、タンが転がっているソファーに向かってくる。タンは面倒だと思ったが、まぁ、そろそろ間食の時間だしと、渋々ビンを覗き込む。
『種がどうした。』
「ほら、これ。」
シロズミが、彼自身の鱗のある青い手に取り出したのは、一粒の種。
「芽が出ちゃったんだ。」
『なんだ。そんな事か。』
タンは、やれやれと同居人を見上げる。このシロズミという男。タンとよく似たトカゲの尻尾を、しゅんと下げて、肩を落としている。
「もう在庫が少ないのになぁ。まだ寒いから油断してた。」
もう、あまり寒くないが?変温動物のタンにとって、最近の陽気はポカポカと暖かく、ようやく動きやすくなってきた所だ。まぁ、動きやすいかどうかと、動くかどうかは別問題だが。
『在庫を増やせばいい。』
「え?」
『お前が庭で育ててこい。』
「あ!そうだね!」
シロズミは、芽の出た種と庭仕事用のスコップを持って長靴を履く。
『尻尾は仕舞えよ。』
「分かってる!」
シロズミがブツブツと何かを唱えると、彼の青い尻尾は、ヒュンっと消えて無くなる。
「行ってくる!」
『ああ。』
バタンと裏口が閉まる音を聞き、タンはするりと自身を小さなトカゲへと変身させる。シロズミの使い魔タンは、元はオオトカゲだが、狭いこの家で大柄なシロズミと暮らすのに、身体の大きさを変えられる魔法と、シロズミと意思疎通出来る魔法をかけて貰っているのだ。
タンは、小さくなった身体で、スルスルとシロズミの作業台に登っていく。大きな窓の前に置かれた机の上からは、裏庭が良く見えた。
魔法のかけられたスコップで種を植え終わったのだろう。水場に戻って如雨露に水を入れたシロズミが、また何かを唱えながら水をかけると、芽が出て、みるみると大きくなる。
『ふふっ。』
楽しそうに庭仕事をしているシロズミを見て、タンの口から思わず笑みが溢れる。タンはシロズミのことを好ましく思っている。やがて大きな花を咲かせたソレは、黒い種を沢山付けた。一粒一粒、大切そうに収穫しているシロズミを見ながら、タンは目を閉じる。この机の上は、程よい陽気で、居るだけで眠くなる。
「ただいま。」
水場でピカピカに洗ったスコップと収穫した種を手にシロズミが戻ってくる。
「あれ?タン?」
手を洗って、ビンに種を戻したシロズミは、机の上で寝ているタンを見つけると、彼をつついてみる。
「タン?寝てないで、庭で一緒に採ってきた果物、食べようよ。」
『……ああ。どんなだ?』
「タンの好きなやつを採ってきたよ。もう春なんだね。色んな芽が出てた。冬の植物は刈り取って、次の季節の種に植え替えなきゃ。」
『そうだな。』
タンは、ひと伸びすると、今度はカメレオンへと姿を変える。この家には、この位が丁度いい。
「今、お茶をいれるよ。いつものでいい?」
『ああ。今日は冷ためで頼む。』
「了解。これ、仕舞って置かなきゃ。」
そういうと、シロズミは、採ってきた種の入ったビンを持って、冷蔵庫を開ける。そこには、食料の他に、沢山の薬品ビンが入っている。
「あ!これも後で補充しないと。」
冷蔵庫を覗き込みながら、在庫チェックをし始めた薬草魔術師のシロズミ。そんな彼と彼の使い魔タンの元にも、今年も無事に芽吹きの季節がやってきた。
「ぽぴーで しうてな おかし!」
手を繋いで歩いていた、白くて毛むくじゃらで二足歩行の猫っぽい使い魔が、突然変な声を出した。何かあったのかと、ニシは思わず足を止める。
「ファキュラ、どうした?」
「ニシさん!ぼく、このおかしが、ほしいです!」
ファキュラの肉球の付いた手は、ショーウィンドウに貼られたお菓子の広告を指している。『POPで!CUTEな!おかし!』と書かれた広告には、カラフルな粒状のグミが飛び交っていた。
「ファキュラ、読めますよ!ぽぴー で しうて な おかし!」
「ファキュラ、これは英語だ。こっちが、ポップ。こっちはキュート。」
「えいご?」
ファキュラは最近、ミナミさんから、新しくローマ字表記を習っていると聞いた。アルファベットが並んで居るのだからと、ローマ字読みしたのだろう。
「英語は他の国で使われている言葉だよ。」
「えいごは、はじめて見ました!どういう意味ですか?」
「楽しいとか可愛いとか、まぁ、そんな感じ。」
「たのしくて、かわいいです!」
ああ、頼むから、そのキラキラした目で見上げないで欲しい。ファキュラは元々、愛玩用として呼び出された魔物だ。こうなって頼みを断れる訳が無い。どうして、ファキュラを引き取る事になってしまったのか。可愛いから仕方ないじゃないか。ニシは一人、頭の中で、そんな事を考える。その間も、ファキュラは目を輝かせて、広告とニシを交互に見ている。仕方ない。家には、まだ食べていない菓子もあるが、ニシは折れる事にした。
「一日、二粒だけだぞ?」
「はい!」
満面の笑みを浮かべるファキュラ。その足取りは軽く、食料品店へ二人で入る。
「ファキュラ、お菓子は後にして、先に晩御飯を買おう。」
「ぼく、晩ごはんは、お魚がいいです。」
「じゃあ、ヘクトクスでも焼くか。」
並べられた魚や野菜、それから、ファキュラの欲しがったグミを買って、ニシたちは家路につく。
「ニシさん。」
「ん?」
「これ、ありがとう!」
ニシと繋いでいない方の手で、大事そうにグミを抱えているファキュラが、楽しげにニシを見上げる。
「ニシさんも食べますか?」
「じゃあ、貰おうかな。」
「かえったら、おやつの時間ですか?」
「そうだね。」
「ファキュラ、ミナミさんのお茶が、のみたいです!」
「じゃあ、ミナミさんに貰った紅茶を淹れるか。」
「はい!」
「ファキュラ、前を見て歩いて。」
「はい!」
ニコニコ楽しそうに歩くファキュラ。ファキュラを召喚した誰かは、もう亡くなってしまったが、自分の元でも幸せになってくれればいい。ニシはそんな風に思う。そういえば、ファキュラに字を教えている姉弟子のミナミさんに、今度また御礼をしなくてはならない。ミナミさんが、ファキュラにローマ字表記を教えてくれたから、可愛いファキュラが見られたのだ。まぁ、読めなくても欲しがった気はするが。ニシは苦笑いで、さっきの広告を思い出す。
「……ポップでキュートなお菓子。」
「ぽっぷで、きゅーとな、おかし!」
一人と一匹は、楽しそうに彼らの家へと帰っていく。
とある日のムガルズム魔法学校。
「君が最高記録保持者?」
「は?」
図書館の椅子で、熱心に本を読んでいたユウヒは顔を上げる。そこに男が立っていた。マントを羽織っている彼の靴先は、ユウヒのそれと同じ色をしている。ユウヒよりも歳上に見える彼は、どうやら同級生らしい。
「この図書館の蔵書読破数の最高記録保持者、ユウヒ君だろ?」
「……あんたは?」
「俺はニシ。隣に座っても?」
ユウヒは自分が掛けている椅子と机を挟んで向かい側の椅子を蹴る。そこに座れの意思表示だ。ニシは、くすりと笑って、蹴られた椅子を引き、そこに座る。
「何、読んでるの?」
「お前には関係ない。」
「今、時間ある?」
「無い。」
ユウヒは、本に視線を落としたまま、ぶっきらぼうに答える。ただ、ページを捲る手が止まっているのに、ニシは気付いていた。どうやら意識は、こっちに向けてくれている。
「あのさ、俺、マント魔法が好きなんだけど。」
「へぇ。」
「おすすめの魔導書無いかな?」
ユウヒは、本に目線を落としたまま、懐から杖を取り出すと、ボソボソと何かを呟く。所々聞こえたそれが移動魔法な事に気が付いたニシは、同時に背後から何かが迫っている気配に気付き、急いでマントのフードを羽織った。次の瞬間、椅子の上にはマントだけが残り、その上を分厚い本が飛んでいく。机の上で速度を落としたそれは、バサリと机に置かれた。ユウヒが顔を上げる。
「危ないなぁ。」
図書館の入口でそれを見ていたニシは、再び席へと戻ると、マントを羽織り直す。その様子を見ていたユウヒは口角を上げた。
「へぇ。」
「言ったろ?マント魔法は得意なんだ。」
「それ。」
ユウヒの持っている杖でつつかれた、机の上の本。手に取ったニシが表紙を読み上げる。
「近代魔法の礎、基本とその応用。」
「それの427ページ。」
今度は、ニシが懐から杖を取り出し、祝詞を唱え、本に魔法をかける。パラパラと自動で捲り始めたページは、427の数字で止まった。杖を仕舞い、真剣な顔で本を読み始めたニシを見遣り、ユウヒもまた読書へ戻る。まぁ、悪い奴じゃなさそうだ。暫く読み進めていると、パチンっと音がして、図書館の電気が灯る。
「あんた達。もう締めるから、さぁ、立った立った!」
この図書館の司書も務める年配の女教師が、二人の元へとやってくる。
「先生、この本、借りたいんですけど。」
「いいわよ。こっちのカウンターで記録帳に記入して。」
カウンターに向かう教師とニシを見ながら、ユウヒは読んでいた本に杖をかざし、祝詞を口にして、元の棚へと移動させる。そのまま椅子から立ち上がると、カウンターに向かっていたニシが振り向いた。
「ユウヒ!ありがとう。こんな本があるなんて知らなかった!また聞きに来てもいいか?」
「……勝手にすれば。」
そう口にしたユウヒの頬が、ほんのり赤くなったのを、ニシは見逃さなかった。どうやら許可は貰えたらしい。
「……もう行く。」
「うん。本当にありがとう。バイバイ。」
「あー、うん。バイバイ。」
そう言うと、ユウヒは恥ずかしそうにマントを羽織り、そのまま消えた。瞬間移動の魔法でも使ったんだろう。ニシは満足そうに、本を抱え直して、カウンターを目指す。
「何なんだ、あいつ。」
『ユウヒ、おかえり。』
「ソワレ。ただいま。」
その頃、寮の自室へと飛んだユウヒは、駆け寄ってきた彼の使い魔のハツカネズミ、ソワレを肩に載せる。
『ユウヒ、何かいい事あったの?』
「はぁ?何も無ぇよ。」
『そう?』
「そう!あんな奴の事、何とも思ってねぇから!」
顔を赤らめたまま、ユウヒは洗面所へ向かう。手を洗って、うがいをして、キッチンでお茶を淹れる。
「……また来んのかな?」
ユウヒは、飛び級で、この学校に入学した。だから、周りは歳上ばかりで、図書館に篭もりっぱなしのユウヒに、話しかけてくる奴なんて、そうそう居ない。それだって、単にバカにしたい奴や、自分の方が上だと言いたい奴らばっかりだ。教えを乞う奴なんて初めてだった。
『いい友達が出来そう?』
「そんなんじゃ無ぇし。」
ユウヒは、また顔を赤らめる。その口角が自然と上がってしまうのを、ユウヒはちゃんと自覚していた。
「さぁ冒険だ!」
「え?」
ササメは僕の手を取ると、そのまま高く掲げて、堂々と言い放った。
僕の名前はキタ。ササメは僕の幼馴染。僕たちは同じ村の隣の家で生まれ育った。僕とササメは小さい頃から、いつも一緒で、隣町の学校へも二人で登下校した。村には他にも子供は居たけれど、同い年の僕とササメは特に仲がいい。
「聞いてんのか?」
「あ、うん。列車に乗って、遠い街に行くんでしょ?」
「遠いって言ったって、隣の隣だろ?小一時間もあれば、行って帰って来れるって。」
「でも、お母さんに言わないと、列車代が無いよ?」
「えー?内緒だから良いんだろ!」
「うーん。」
僕は、自分の貯金箱にいくら残っていたか考える。この間、図書館に行った帰りに、ササメに強請られて、おやつを買ってしまったから、ほとんど残っていないはず。
「やっぱりダメ。お小遣い無いもん。」
「俺が出してやるから!いいだろ?」
「うーん。」
どうしようかなぁ。遠くへ行く時は、お母さんに言うように言われてるし。だけど、今日は、お母さんは街に買い物に出かけている。昨日の夜に聞かされていたし、さっき帰った時も机の上に「おやつはれいぞうこ」と書かれた紙が置いてあった。
「あ!」
「どうした?行く気になったか?」
「あー、うん。その前に一回、家に帰ってもいい?」
「いいけど。小遣い無いんじゃないのか?」
「うん。無い。ササメが出してくれるんでしょ?」
「じゃあ、何しに帰るんだよ。」
「えっとぉ。」
ササメはお母さんに内緒にしてって言うけど、僕はやっぱりお母さんとの約束を破りたくない。だから、お母さんがしてくれたみたいに、僕も置き手紙をしようと思う。だけど、手紙を書くなんて言ったら、ササメは「内緒じゃないのか」って、機嫌が悪くなるだろうし。
「えっと、カバンを持っていこうかな、って。」
「カバン?」
「その方が大人っぽいでしょ?」
「そぉかぁ?うちの父ちゃんは、カバンなんてダサいって言うぜ?」
「えっと、列車の中で食べるおやつも持って行きたいし。お母さんが作ったクッキーがあるから。」
「本当か?!」
ササメの目がキラリと光る。
「うん。」
「今日のおやつは?」
「パウンドケーキ。」
「果物たっぷりの?」
「たっぷりの。」
「よっし!!」
ササメは膝を叩くと、座っていた岩から立ち上がる。
「行き先、変更!」
「え?」
「今日は、キタの家でケーキパーティーだ!」
そういうと、ササメは僕の家へと走り出す。
「えええっ?」
まぁ、最初からササメの分もあるからいいんだけどさぁ。
「ササメ、待ってよ!」
「早く来いよ!」
首から下げた家の鍵を握りながら、ササメの後を追う。
「僕が居ないと、家に入れないよ!」