よく行くカフェ。いつも同じコーヒーを頼む。ここのは、濃過ぎず薄過ぎず絶妙なバランスがよくて気に入っている。
熱々のカップに入れられたコーヒーが運ばれてくる時、なんともいえない幸せな気分になる。ふわっと漂う香りを楽しみながら、ゆっくりとミルクを少し入れ、口にする。あー。思わずため息が出そうになる。
そして、本を読んだり、手帳に書き込んだりして作業に没頭する。いつのまにかコーヒーは、程よいアクセント的な立場になっている。
先日、一人でくつろぐにはぴったりのカウンターに座った。窓から外が見えて落ち着く。コーヒーが運ばれてきた。ゆっくりと一口。その風味が口の中いっぱいに感じられる。そういえば、いつも温かいうちに全部飲めてなかったなと思う。
窓の外には、コスモスの花が見える。やっと訪れた秋の気配。今日は本も書き物もやめようと思った。コーヒーが温かいうちに、じっくりと味わってみることにした。
「コーヒーが冷めないうちに」
あの時こうしていたら…、なんてよく考えてしまうけれど、もしかすると、選ばなかったもう一つの世界は並行してあるのかもしれない。意識は、すっとその世界へ移れるのではないか。
もう一つの世界に入るとしたら、あの場所ではないかと思うところがある。特別な場所という訳でもなく、住宅街にある踏切だ。電車の線路が横にずっと続く。
普段は、人や車、自転車がひっきりなしに通る。でも、時々誰も何も通らない静かな瞬間がある。踏切の先に見える住宅や公園が、しんと静まり返っている。
確かに存在するけれど、それらは、まるで作り物でミニチュアの世界に入り込んだような感覚。一瞬、時間が止まったように感じる。そんな時は、もう一つの世界へ入っている気がする。
「パラレルワールド」
そういえば、時計の針が重なる時に、偶然時計を見ることは少ない。
街で、からくり時計が動くところに遭遇することがある。そんな時は、つい足を止めてしまう。今まで静かに時を刻んでいたものが、時が来て、急に動き出す。小さな扉から人形たちが躍り出てきたり、灯りがついたり、色々な演出がある。
一通り終わると、人形たちは、はい、終わりといった感じで、つーっと戻っていき、パタンと扉がしまる。時計はまた静かにひっそりと時を刻む。その何事もなかったような静寂も面白い。
見終わると、ちょっと得したようなうれしい気分になる。ましてや、針がピッタリと重なる12時に遭遇した時は、何かいいことがありそうな、そんな気がする。
「時計の針が重なって」
今まで、心の中では何度もその言葉を言ってみていた。帰り道に二人で少しでも話をしてみたかったのだ。普段話す機会があまりなかったから。
ある日は、帰る支度をしているのを見て、一緒に立ち上がってみた。思いがけず、ガタガタと大きな音がしてタイミングを逃した。またほかの日には、さりげなく退室して、エレベーターホールのところで待ってみた。今日こそと思っていたら、一向に会わない。どうやら、違うルートで出て行ったらしい。そんな感じでそのタイミングはなかなか訪れなかった。
遅くなったある日、エレベーターを待っていると、扉が開いて君が出てきた。「忘れ物をしたから。あれ、遅いね」。「うん、一緒に駅まで帰らない?」。「いいよ」。忘れ物を取りに行く後ろ姿を見送る。ずっと待ち望んでいた機会なのに、逃げ出したいほどドキドキしていた。
「僕と一緒に」
くもりの日は、あんまり光を意識しなくても写真がうまく撮れる気がする。光の強さがいい感じなのだ。晴れの日の強すぎる光は、陰影がつき過ぎてコントロールが難しい。
人との関わりも、強すぎる光には薄いヴェールがほしくなる。ちょうどすりガラスくらいの。時にはそれを何枚も重ねて、その中に身を沈めてしまいたいと思うこともある。モヤモヤ曇って訳がわからなくなるのだけれど。
すりガラスの中にいると、たまにはクリアなガラスも恋しくなる。ぱっと明るい光を浴びたら、また頃合いをみて、すりガラスをかぶせる。一枚だけ、そのくらいがちょうどいいのだろう。
「cloudy」