虹がかかったのを見る時の、あのときめきは何だろう。何色かの色が重なって、薄く透ける感じが美しいからだろうか。すぐ消えてしまう、はかなさにも惹かれるのだろうか。
子どものころは、誰かが「虹だ」と言うと窓際に行って大騒ぎした。大抵は、空の下のほうに消えかけの色が、うっすら見えているだけだったりする。それでも、青い空に浮かぶその色合いは、特別だった。
たまに、半円ではっきり見えた時は、しばらく見とれてしまう。滅多に出合えないその架け橋が、何だかとてつもなくいいことを連れてきてくれそうな気がする。
「虹の架け橋🌈」
すぐに返信を送るのが苦手だ。言葉にするのは、カタチに残るから、すごく気をつかう。書き言葉には、時々、誤解が生まれる。思いが間違って伝わらないかなんて、慎重になってしまう。だから、ポンポンと会話の応酬にならず、遅くなることもある。
もらったメッセージを、しばらく保留にすることがある。落ち着ける環境になった時に、ゆっくりと見て、またゆっくりと考えて返信する。
親しい人は、なんとなくその間合いを合わせてくれているようだ。でも心配に思う人もいるかもしれない。だから、返信が遅くなるけれどなんて、時々言い訳をしたりする。
「既読がつかないメッセージ」
暑過ぎて、秋なんかもう来ないのではないかと思うくらいだった。今朝、ずいぶん涼しかった。窓を開けると、すーっと朝の空気が入ってきた。こんなのは、久しぶりだ。
外に出ると、昨日までと違って歩きやすい。深く息を吸い込む。雲も薄く、木々も風に揺れている。気付けば、道端の草も秋仕様になっていた。
夏物の明るいTシャツの色が、急に色あせて見える。秋の日差しに合う、落ち着いた深い色の服を着よう。靴もバックも。待ちに待った秋の気配がようやく訪れた。
「秋色」
もしも、世界が終わるなら何をしよう。
好きなものを食べる? 何にするか迷いに迷って結局は普通のごはんとお味噌汁だったりして。
どこかへ行ってみる? 時間があるのなら、ステキな景色のところへ行く。海、山、行ってみたいところはたくさんある。きれいなところで、その時を待つのか。でも、知らないところは、怖いような気がする。世の中は、きっと大騒ぎしているだろう。のんきに旅なんてできないかな。
結局は、家にいるのだろうか。いざとなったら、何をしたいのかさえ分からない。きっと、いつものように過ごすだけかもしれない。
「もしも世界が終わるなら」
靴紐がよくほどける。きゅっと結んでいるつもりなのに、気づいたらプラプラ、垂れた紐が足に当たっている。面倒くさいなと思いながら、しゃがむ。後ろにまわしたバックが前に落ちてきたりして、つくづくやりにくい。なんとか結んだのに、しばらくするとまたほどけている。
一緒にいる人が「また、ほどけているよ」と言って、さっとしゃがんで結んでくれた。バックも前に落ちたりしないし、結び方もきれいだ。何だか申し訳ない。靴屋で、店員さんに結んでもらう時でさえ、落ち着かないというのに。
でも、ちょっとドキっとした。いつもこんなことする人なのだろうか。ぶっきらぼうにお礼を言って、なんだか気まずくなってしまう。
「靴紐」