透明な器に、満ちていく雫。こぼれそうでこぼれない。その僅かのところを、否応無しに保っている。
満ちるほど心は空虚で、いっそ溢れてしまえば楽なのに、それも叶わない。何も捉えたがらなくなった、ぼやけた視界。目的を持たないことが、こんなにも輪郭を不鮮明にすると知る。
熱も失せ、けれど冷やかにもなれず。得も言われぬ温さを手放せないまま、日が暮れる。いっそ悲しみに暮れて泣いてしまえたら、終わりにできるのに。
そのための決定打にも欠くまま、未だ心は、いつかの瞳を忘れられないでいる。
〉鋭い眼差し
好きって、何だっけ。
ある日、自分の中の好きがいくつか迷子になった。
チョコレートにコーヒー、それから猫。かわいい。紅茶を飲むならスコーンとクロテッドクリームにジャム。あとは……。
昼下がり、きらめく景色の中で心は迷子だった。日差しは鮮やかに世界を縁取る。色を薄めてしまうくらいの光を降らせた。あぁ、きっと今は心の中が真っ白なんだ。だってそこに確かにあったはずのものが全然見えない。
どこからか頼りなげなしゃぼん玉が飛んできた。ふわりと風に流されて、ゆらりと揺れるひかりを包んで。間もなく弾けて、最初からそこには何もなかったかのようで。
チョコレートにコーヒー。ふわふわの猫。クリームティーはコーンウォール式がいい。思い浮かべる好きなもの。思考の片隅に浮かぶ存在を、同じように並べたくない。並べられない。
しゃぼん玉よりずっと遠く、はるかに高く。どこまでも飛んで、誰の目にも映らない果てまで逃げて。でも消えないで。とても大切なんだ。だからこそ高く高く、どこまでも飛んでいけ。二度と思い出せないくらい。
〉高く高く
無知と無邪気を身に着けて、味方につけて。
穏やかに紡がれる言葉が、やわらかな棘を残すように痛みを添える。あなたの心を満たすものが何なのか、知る由もないまま。繰り返し紡がれる声に耳を傾けた。
言葉の奥にある本音も、そのぬるい皮膚の向こうにある心も、分かりっこない。受け取れるのは、その声だけ。内側から吐き出された音だけ。
目を伏せたくなる自分の気持ちと、何度目かの溜め息。裏側なんて知らない。何を問えるでもなく、無知を装って、笑って。ただあなたの声を聴いている。
〉子供のように
程良い距離を保ちながら並ぶ机は、少しずつ好きな方を向く。線を引いたようにまっすぐ並ぶ様子は今まで見たことがない。
空をうつす大きな窓に吸い寄せられるように、ぺたぺたと廊下の果てまで歩き、左下に視線をやる。階段、しかも下り。向き直りながら小さくため息をつく。
昔からスリッパは苦手。歩いてるとすぐ脱げそうになる。これを履いてスタスタと進む人は、私とは何かが根本的に違うんだろうなってずっと思ってる。
随分と低い位置の手すり。小さく見える何もかもが、変わってしまったことに気付かせてくる。この場所がではなく、私が。あの頃とは全然違う何もかもに取り囲まれて、懐かしいはずの場所が全く知らない世界に見えた。
〉放課後
ノイズがかった映像のように、ざらついた記憶がかすめる。あの日々に名前をつけるなら、きっと“幸せ”なのだろう。
〉過ぎた日を思う