あ、起きてしまった。わりとしっかり目に。
こういうことはたまにあるが良いものではない。
それに地震の前は毎度目が覚めるから用心しておくか。
…いや違うな。今回は。
自分達に揺れは来ない。
揺れているのは隣の部屋だ。
聞き耳をたてているわけではないが
ベッドの軋む音。男女の息づかい…それどころか声まで聞こえて来る。おい勘弁してくれ。
どのくらい耐えたのだろうか。
ようやく静かになったタイミングで息をはいた。
知らぬ間に息を殺していたらしい。
「終わったみたいだね。」
…起きていたのか。俺は悪くないのに何故か体が跳ねた。
「彼氏さんが来ていたのは知ってたけど…やっぱり壁薄いねこの家。」
他人のそういうのを聞いてよくそんな冷静でいられるな。この人はやはりただものじゃない。
そして俺は何を動揺しているんだ。
そのひとことを最後にあたりがしーんと静まりかえった。さっきまでが嘘のように。
隣からはすーすーと穏やかな寝息が聞こえる。
だから俺は何をがっかりしているんだ。
寝よう。寝るんだ。何がなんでも。
しかし目を閉じても耳は閉じることが出来ない。
「どうかしたの?」
ふふ、とかすかに揶揄う声が聞こえた。
耳を澄ますと
奴のすらりと尖った歯で噛み砕かれた角砂糖が
ざりざりと俺の舌を甘く痺れさせる。
俺の口内でどろりと熱く溶けたそれは喉を通り腹の底に落ちて重く留まった。
粘膜が焼け爛れて声が出ない。
魚のようにはくはくと口を動かすことしか出来ない俺を意地の悪い目が捉えていて気分が悪い。
「安心しろ。誰にも言わねえよ。」
俺は何も言っていない。でかい独り言だな。
「これは秘密だ。二人だけのな。」
勝手に決めるな。俺は何も
「どうだ。悪かねえだろ。」
俺は何も言えない。
だから一度だけ首を縦に振った。
奴が意地の悪い目を細め、骨張った指で俺の髪を
わしゃわしゃと乱す。
腹の底の熱を思い出した体が
燻った二酸化炭素を吐き出した。
その代わりに吸い込んだ酸素に混じっていた紫煙。
少し咽せた俺を見て奴は少し優しく笑った。
まあ、この関係は、この秘密は
「…悪くはない。」
二人だけの秘密
「 」
は?
いや、そもそも
「おーい。おまたせー…って!え!どうしたの?!」
「よ。めずらしく早いね。これ?濡れてんだよ。」
「ちょ、ちょっとまって…ハンカチ、ティッシュ…」
「ああこれ水じゃなくてレモネードだから触ったらベタつくよ。気にしないで。」
「そんなわけにいかない!はい!とりあえず頭と顔を拭いて早く行こ。シャワー貸してもらおうよ。」
「…わかった。ありがと。あのさ、聞いてほしい。」
僕には付き合っている人がいるわけで。その人は特別。
それ以外の人間はそれ以上でもそれ以下でもない。
だから普通にしているだけ。
なのにさあの女ときたらこんなことぬかしやがって。
そして僕はこうなった。訳わかんないんだけど。
「…期待させないで、とか?」
「言ったよ。恋人いるって。」
「えと、ええと…。」
「聞いてほしかっただけだよ。別に何か言ってほしいわけじゃないから。」
「ええ…じゃあ、あの…スマホ無事で良かったね…。」
「まあね。」
「いや、その前に熱いコーヒーとかじゃなくて良かったね…やけどしたら大変、だし…。」
「そうだね。」
こいつ、うーんうーんってずっと悩んでる。無い頭をひねって僕を慰めようとしてくれてる。いいよ。いらない。
「僕は優しくされたい。いろんな人に。」
「…うん。私も。」
「あの女。たとえば僕が冷たくしたところで満足するの。しないだろ。それはそれでキレるんだろうな。」
「…うん。」
「あーあ。体冷えてきた。早くシャワー借りたい。」
「さっきあなたのハニーに連絡したから。すぐシャワー使えるって。あ、寒いなら私の上着着る?」
「嫌だよそんな派手で馬鹿みたいな服。お前ぐらいしか似合わないよ。」
「人が親切で言ってるのに!もー!」
僕は君に優しくしたつもりはないけど。
勝手な妄想で悲劇のヒロインになって楽しい?
君さ、自分のこと大好きだね。幸せそうでなにより。
優しくしないで
ジェリービーンズやマーブルチョコをごちゃまぜにして
ピンクのテーブルに置かれたブルーのお皿の上に
溢れそうなくらいざらーっと盛り付けた。
そんな空間。
まわりは小学生から大人までたくさんの女の子達だらけ。男は俺を含めぱらぱらとしかいない。
でもいいんだ。俺のお姫様が深い色の目に星を潜ませて宝物探しに夢中だから。
かわいい、なにこれ、へんなの、これは我慢。
さっきからうれしそうな楽しそうなひとりごとが絶えない。
「ごめん…嫌だったら他の所に行ってていいから…。」
「えー俺も見たいよ。だめ?気になる?」
「いいならいいけど…。」
彼女の持つかごの中に動物の形をしたボールペンが入っていた。あ、いいなあそれ。
「それ色違いで俺も買おう。グリーンかわいい。」
「え、あ、それ、似合う…!」
君のまわりがだんだんとカラフルに彩られていく。
よかった。君が好きなものを好きと言ってくれるようになって。
前に話してくれたことを鵜呑みにするならば
それは俺のおかげらしい。自惚れてもいいだろうか。
ボールペンと一緒にこっそり買った変身アイテムのような星の形をしたキラキラのコンパクト。
いつ渡そうかな。
このコンパクトがまた君の世界をカラフルにしてくれるよう祈りを込めて。
カラフル
海。見覚えのない海。人はいない。
「こっちだ。行こう。」
いつのまにか隣にいたこの人は僕の手を取って
どこかへ連れて行こうとする。僕の答えを待たずに。
辺りは木、木、葉っぱ、よくわからない派手な花。
勝手知ったる庭のようにどんどん先に進んで行く。
先導するこの人はシャツの袖を捲ってボタンはひとつも留めていない。森に入る格好じゃないでしょ。
「どこ行くの。」
やっと声が出た。言いたいことはいろいろあったけど何故かこのひとことしか言えなかった。
「楽園だ。」
ちらとだけ僕を見て笑った。
「おや、おはよう。」
…ああ夢だったのか。変な夢。海なんか行ってないし見てもいないのに。いや今はそんなことどうでもいい。
「もしかして昨夜先に寝ちゃった?」
「ああぐっすりな。疲れていたんだろ。」
「ごめん。」
「うん?謝らなくて良い。怒っていないよ。」
やっぱりな。ああこんなこと初めてだ。
「ごめん。…変な夢を見た。南の国みたいな所であんたが楽園だかに連れて行こうとするんだ。」
「はは。面白いな。いつも楽園に連れて行ってもらっているのは私の方なのに。」
あんたいつもそんなこと思っていたの。
じゃあ今夜こそ行こう。
楽園