おばあちゃんが言ってた。
「ススキが原のススキは取ってはだめだよ」
「どうして?」
「あれは神様のものだからね。私たちが取ったらいけないの」
「……ふーん。あんなに沢山あるのに神様ってケチなんだね」
田舎に住むおばあちゃんちの近くでは秋になるとススキ祭りがある。小学生の頃は毎年お母さんと二人、祭りのために里帰りをしていた。
ススキ祭りというだけあって、祭り会場周辺には沢山のススキが生えている。とりわけススキが原と呼ばれる一帯のススキは、大振りで立派なものだった。
ある年の祭りの夜、どういう訳だかぼくはひとりでススキが原の近くの外灯の下に立っていた。お母さんが忘れ物をちょっと取りに帰る間だけそこで待たされたとか、そんなことだったろうとは思う。
外灯の少ない田舎道、僅かな灯りに群がる羽虫たちの近くに居るのは気持ちが悪い。ぼくは灯りの輪から外に出て、さわさわと揺れるススキが原に近づいていた。少し欠けた月がやけに大きく見える。柔らかな月光に照らされてそよぐ黄金色のススキは、確かに神様のものなのだと、そう思わせるような光景だった。
ぼくはススキに手を伸ばした。ほんの好奇心。ぷちっと一本引っこ抜いた。
ゴォッと唸るような音とともに、体が吹っ飛ぶ勢いで突風が吹いた。咄嗟に目を閉じて足を踏ん張る。
「えっ!?」
目を開ければ周囲をススキに囲まれている。さっきはススキが原の縁に居たはずなのに。
「えっ、えっ??」
取り囲むススキの高さはぼくの背を通り越している。ぼくは少し小高くなったところへ登って、ススキより上に顔を出した。右を見ても左を見ても、振り返ってみたってススキ、ススキ、ススキ。どちらへ向かえばさっきの場所に戻れるのか分からない。
再び強い風が吹いた。
風上へ目を向けるとススキを左右に割り開くようにしながら道ができはじめる。その道はザザザザ……と忙しない音を立てて段々とぼくのほうへ伸びてくる。目に見えない何かがススキを踏み倒しながら、ぼくに向かってきているかのように。
ぼくはぴょんと飛び降り、迫ってくる『何か』とは反対方向へ駆けた。
「はぁ、はぁっ、はぁ……」
目の前を塞ぐ、終わりのないススキの波を掻き分けながら進む。よく見えない地面もデコボコしていて足がもつれる。もう心臓は破れそうに痛い。学校の持久走だってこんなになるまで走ったことなんてない。
「うわっ!」
足が滑って顔からすっ転んでしまった。
「ってぇ……」
一度座り込んでしまえば立ち上がれそうにない。顎も痛いし、膝だって……。膝にすり傷ができていた。すり傷の泥を押し避けて血が滲みはじめるのと同時に、ぼくの目にも涙が滲んでしまう。
「う、うぅ、うわーーん!!」
ぼくは大声で泣いて泣いて、多分「お母さーん!」「おばあちゃーん!」とか叫んでいたと思う。
その後のことはよく覚えてないけど、気づけばおばあちゃんちの布団の上だった。高い熱を出して寝込んでしまったのだ。
「ススキがね、ススキが……きのう」
この恐ろしさをお母さんに伝えようとしたけど、上手く言葉にできない。
「お祭り行けなくて残念だったね。高熱で悪夢を見たのね」
お母さんは落ち着かせるようにぼくの頭を撫でて言った。でも本当にそうかな。あの時感じたゾワゾワと何かが迫ってくる恐怖は、夢とはとても思えない。……すり傷だって残っていたしね。
大人になった今でもススキを見かけると足が竦む。嫌な汗が吹き出て、息苦しくなるのだ。これもある意味、ススキアレルギーと言えるのかも? 抗アレルギー剤なんて効くわけもない。息を深く吸って吐いて、心を落ち着けるしかない。
だからぼくは遠回りしてでも、できるだけススキのない道を選んで歩いている。
#9 2023/11/10『ススキ』
「おーい、飲んでるかぁ?」
「まあ……」
酒はそんなに好きじゃない。だけど酒でも飲まなきゃやってられない、というときは確かにあるのだ。そして今日は酒は飲んでも飲まれるな、というときでもある。
だもんでチビっとずつ泡の消えたビールを飲んでいたところを、向かいに座っていたコイツが隣へ来て僕に絡み始めた。
半年程かかりっきりだったプロジェクトが一段落し、部内全員での打ち上げが行われていた。大抵の飲み会はスルーする僕でも、さすがに出席しないわけにはいかなかった。
高校時代から天敵のコイツ。まさか中途採用で同じ会社に入社してくるなんて、腐れ縁もいいところだ。
このクソ野郎は昔から声がデカくて態度もデカい。僕と違って友達も多い、所謂陽キャ。それだけでも目障りなのに、コイツはことあるごとに僕にウザ絡みしてくるのだ。
そして……僕の大切なものを踏みにじり、大切な彼女を馬鹿にした。
会社で再会してからもそれは変わらなかった。もう限界だ。プロジェクトも一段落つき、僕の責任分は果たした。今ならコイツを殴って会社を辞めることになっても、取引先への迷惑もそんなにかからないだろう。だから僕は密かに決意していた。今日の飲み会でコイツが彼女を馬鹿にしたら、そのときはコイツを思いっきりぶん殴ってやる。
脳裏に彼女の心配そうな顔がよぎる。
決意が鈍らないよう、僕は頭を振った。
「……よぉ、お前さ、まだあの子のこと好きなの?」
きたっ! ……彼女の話題だ。大抵このあとは、正気かよ? どこがいいんだよ? 気持ちわり〜などと続く。僕は拳を握りしめて続きを待った。
「ゆったん、だっけ?」
こんな奴にあだ名で呼ばれたくない。
「ユリウスだ」
「俺、お前に謝んねーとな……」
「は……?」
握られた拳は行き場をなくし、膝の上にぽとんと落ちた。
「ずっと言えなかったんだけど、お前が羨ましかったんだ。……お前の好きな人は生きてるから」
「え……」
鞄をゴソゴソ探ると、クソ野郎は僕に取り出したものを見せた。
「……! ら、ライナさんのアクスタ!!」
「俺が昔からずっと好きな人」
そう言って寂しそうに笑った。
僕が子供のころに流行った美少女たちが変身して戦うアニメ。その主人公のユリウス、僕はずっと彼女一筋だ。そのユリウスたちの敵役のボスであるライナは、最終回でユリウスたちに殺されてしまったのだ。
「……ごめん、僕は君の気持も知らずに浮かれていて」
「いや、世間から見たらライナは悪さ、滅びるのも仕方ない。そうは思ってもやっぱりユリウスが憎いって気持ちも捨てきれなくて。お前に八つ当たりして悪かったよ」
「そうだったんだね」
「今度放送から十五年ってことで特別番組が放送されるそうじゃないか。もう十五年か、随分時が経ったんだな。俺も大人にならないとと思って」
「……今日はライナさんの命日だね」
「覚えていてくれたのか?」
「当たり前だよ。忘れるわけない」
「お前いいやつだな」
クソ野郎はグズっと鼻を鳴らした。
僕はビールジョッキを持つ。
「ライナさんに」
「……ライナに」
ジョッキをチンと打ち合わせた。
「ねぇ、何かこの二人怖い」
「訳わかんないこと言って、泣きながらビール飲んでるんですけど……」
同僚たちが遠巻きに自分たちを眺めるのも構わず、ずっと大嫌いだったコイツと肩を組んでビールを飲んだ。
#8 2023/11/10 『脳裏』
日に焼けた彼女の素足が、太陽光に焼けた砂浜を沈ませる。点々と波打ち際に続いた足跡も、夕暮れと共に波にさらわれ消えていった。
彼女は太い木の枝を持ち、砂浜に大きく文字を書く。丁寧に一文字書き、二文字三文字と書き、距離を置いてバランスを見る。真剣な表情だ。
「どうかな?」
「うーん、そこだとすぐに消えてしまうよ」
「それもそうね」
彼女は足で文字を消して、もっと海から遠いところへ書き直した。僕の助言はその通りで、三十分もしたら彼女が最初に文字を書いた辺りは海になっていた。
「何度見ても夕陽は綺麗ね」
「君も何度見ても綺麗だよ」
「毎日言ってて飽きない?」
「飽きないね」
僕は彼女の肩を抱き寄せて、彼女は僕の肩にもたれて沖を眺めた。
「いつになったら救助はくるのかしら」
「さあね、一分後かもしれないし、一年後かもしれない」
「書いたSOSは空から見えるかしら」
「救助ヘリからは見えなくても、宇宙人が見つけてくれるかも」
「あなたって変なことばかり言うよね」
「飽きないだろ?」
「飽きないわね」
彼女はため息混じりに笑った。
とりあえず笑えている。水も食料もある。身体も動く。
今のところは大丈夫。
僕たち二人はヨットで航海中に遭難した。
──と彼女は思っている。激しく世界が揺らいだあの瞬間、彼女はヨットのへりに頭をぶつけて気絶してしまったから。
僕は世界が海に呑まれて行くのを見た。
遠くに見えていた船が転覆し、ビルや道路が崩れ落ちた。僕たちのヨットも流され、どういう幸運か、それとも不運か、この小さな島に流れ着いた。
その時以来、僕たち以外の人間も、船も、飛行機も何も目にしていない。きっと世界は終わってしまったのだ。僕たち二人だけを残して。
彼女は毎日SOSを書き直す。
それが無意味なこととも知らずに。僕たちは果物や魚で命を繋ぐ。一秒を一日を生き長らえることに意味があるのかなんて分からないけど、彼女が笑っている限りは続けてみようと思う。
#7 2023/11/8 『意味がないこと』
嫌い、あなたが嫌い。
小さい頃から隣の家で、いつも一緒に登下校。クラスも部活も一緒のあなた。
あなたはわたしよりも少し可愛くて、わたしよりだいぶ背が高い。わたしよりも頭がよくて、わたしが弾けないピアノが弾ける。部活は一緒にレギュラーだけど、わたしより上位に入賞する。
わたしだってそんなに悪くはないんだよ?あなたと違うクラスの時はクラス委員に選ばれるもの。
だけどね、あなたといると惨めになる。何をやってもあなたには勝てない。誰かが言っていた。あなたはわたしの上位互換だって。上手いこと言うなって可笑しくなっちゃった。
可笑しくて可笑しくて、思い出すたびに涙が出るほど笑ってしまう。涙が止まらなくて、布団の中で声を殺して泣いてしまう。
だけどあなたはいつも眩しい笑顔を向けてくれる。真っ直ぐにわたしを好きだって、親友だって言ってくれるね。
こんなにあなたへの嫉妬でぐるぐると醜い心の中も知らずに。
高校は遠くへ行って寮に入るんだ。
あなたとは滅多に会うこともないでしょう。弱いわたしはあなたから離れることでしか、笑うことができそうにないの。
今までそばにいてくれてありがとう。
親友でいてくれてありがとう。
大嫌いで、大好きで、大切なあなた。
#6 2023/11/7 『あなたとわたし』
お日様の照った日が続いている。地面はカラカラで、風が吹けば砂埃が舞い上がった。
細やかな雨が柔くさわさわと降り出した。力ない雨粒も後から後から重なれば、やがて乾いた地面を湿らせてゆく。
おお、やっときた。恵の雨っていうやつね。
結構喉も体もカラカラだったのよ。
のっそりと殻の中から身を出して、葉っぱの屋根から外へ出た。
うん、このくらいが丁度いい。
うっとりと久しぶりの雨に浸っていたら、ドシンドシンと地面が揺れた。
ワンと鳴く毛むくじゃらのイヌと、ぎゃーと泣くふにゃっとしたニンゲンが飛び跳ねている。
「ワン!ワン!」
「あめ!あめ!」
雨が嬉しいのは同じみたいだけど、跳ねるのは勘弁して欲しい。
しっとりと雨を愛でる情緒というものはないのかしら。まったく、踏み潰されそうで留まってもいられやしない。
仕方なくまた葉っぱの屋根へ戻っていく。
「でーんでん?」
「ワン!ワン!」
ニンゲンの指が殻を掴んで持ち上げた。
ああ、折角の雨だというのに。
ため息をついて、再び殻の中に閉じこもった。
#5 2023/11/6 『柔らかい雨』