日夜子

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10/25/2025, 8:14:54 AM

#22 『秘密の箱』


「はぁ〜〜」
 仕事を失い、私は途方に暮れながら海岸を歩いていた。早く次の仕事を見つけなければ貯金だってすぐに底をつくだろう。家族も友人も彼氏もいない。むなしいな……。

「なんだろ、コレ」
 手のひらサイズの小さな箱が砂浜にめり込んでいるのを見つけた。
 こがね色の艶やかな箱は、砂から取り出してやると太陽の光を受けてキラキラと輝いた。箱だけでも美しいけれど、当然中身だって気になるわけで。私は箱を開けようと手をかけた。

「待て!」
 鋭い声に手を止めて振り返った。そこに居たのはタコのようにウネウネの足をした女の人、というか多分――。
「魔女!!」
 咄嗟に大きな声が出てしまう。
「大声出すんじゃないよ。あっちにいるヤツらに気づかれてしまうだろう?」
「だ、だれか……」
「シー、静かに。何もとって食いやしないよ。その箱を返してほしいだけさ。アタシが落としたものだからね」
「あなたのものだって証拠でもあるんですか?」
「ああそりゃあもちろん! ……ないけども」
「中身はなんですか? 合っていたらお返しします」
 私は再び箱を開けようとした。
「まーって! だめ、開けるのだめ」
「それじゃ本人のものか確かめられませんよね?」
「いや、事情があって開けちゃいけないんだよ。えーと、アタシの秘密が詰まった箱なのさ。あるだろう、誰にだって人に見られたくない秘密のひとつやふたつ」
「そうですよね。すみません」

 魔女は箱に注視していて気づいていないが、魔女の背後の岩陰には美しい男女が居て、固唾を飲んで様子を窺っていた。
「じゃあ、返してくれるね?」
 魔女は私に両手を出す。そこへそろそろと箱を置く――
「ごめんなさい!」
 箱を開けた。
 中から眩い光とともに、美しい歌声が聴こえた。
「ああっ!!」
 魔女は目をつぶり、両手で耳を塞いだ。私はその隙に岩陰の男女のもとへ駆けていく。

「ありがとうございます!」
 それはそれは美しい声の女性が言った。
「きみ、声が戻ったんだね!」
 男性が歓喜の声をあげ、女性の手を握った。
「よくも! 人魚姫の声を逃がしたな!」
 怒りに震える魔女。今にもこちらへ襲いかかってきそうだ。
 だがどこから現れたのか、沢山の兵士が魔女の周りを取り囲んだ。
「覚えておけ……!」
 魔女は捨て台詞を吐くと海に飛び込んだ。

「こわ……」
 私は自分を抱きしめブルっと体を震わせた。
「本当にありがとうございました。私は人魚姫。貴女は私の恩人です」
「僕はこの国の王子です。人魚姫の恩人なら、僕にとっても恩人です。どうかお城へきてください」
「はぁ……」
 私は右手を人魚姫に、左手を王子様に支えられ、お城へと案内された。

 そのお城で私は、二人のよき友人として一生、なに不自由なくたのしく暮らしました。

 めでたしめでたし――
 

 

10/23/2025, 8:19:09 AM

#13 2023/11/14 『秋風』 を再掲


「ふぅ……」
 珈琲をひと口飲みテーブルに置いた。やっぱりここの珈琲は美味い。
 最近開拓した喫茶店『秋風』。
 ここは僕が通っている専門学校裏門前の通りを一本入った、見つけにくい場所にある。僕はまさしく秋の風に誘われるようにこの喫茶店を見つけた。少し風の強い日、手にしていたプリントを飛ばされた僕は、拾い集めているうちに『秋風』に辿り着いたのだ。

 口髭を蓄えたマスターが一人で切り盛りするこの店は、時間がゆっくり流れているように感じる。昭和の喫茶店を思わせるレトロな内装。賑やかな談笑をするような団体客もいない。大抵はおひとり様で、他の人など気にせずそれぞれに本を読んだりパソコンを叩いたりしている。
 マスターの淹れる珈琲の味が気に入ったのはもちろんだが、マスターの振る舞いも良い。本や勉強に集中したいようなときはそっと珈琲を置き、誰かと話したいような気分のときにはさり気なく話しかけてくれるのだ。
 地方から上京し友人も少ない僕にとって、『秋風』で過ごす時間はいつの間にか癒しにもなっていた。

 だが、そんな癒しの空間は唐突に終わりを迎えた。夏が足踏みしているような、汗ばむくらいの秋が急に鳴りを潜めた日のことだ。
 つい数日前までアイス珈琲を頼むこともあったが、今日は風が冷たい。秋風を通り越し、一気に冬風が吹いてきたみたいだ。ホットを頼もうかと思案していると、珍しくマスターのほうから提案があった。

「私のお勧めがあるんですが、飲んでみませんか? お代は結構ですので」
 運ばれてきたホット珈琲は普段と違わず、いい香りだ。マスターは僕が口にするのを待つように、立ち去らずにテーブルの横に立っていた。
「あ……美味しいです。苦味と甘味とが混ざったような後味が独特ですね……ってろくな感想言えなくてすみません。新商品か何かですか?」
「いえ、今はメニューにありませんが、他界した親父がこの店を始めたときに試行錯誤して生み出した、『秋風』オリジナルブレンドなんですよ」
「へえ?」
「……実は今月末で閉店することになりまして、来ていただいたお客様に振舞っているんです」
「ええっ! 閉店ですか……残念です。すごく好きな空間だったので」
「ありがとうございます。最後にあなたのようなお若いお客様にも通っていただけて嬉しかったですよ」
「これからマスターは?」
「いちから珈琲のことを勉強し直すつもりです。またいつか自分の店を持てたらいいな、なんて欲もありますしね」
「頑張ってください」
「ありがとうございます。あなたも」
 マスターはテーブルに置かれた調理師免許のテキストを見た。
 この日の会話はマスターと交わした中で一番長かったかもしれない。それくらいの関わり。ほんのひと時の人生の交わり。きっとすぐにマスターの顔も口髭くらいしか思い出せなくなるのだろう。でもこの珈琲の味は忘れずにいたい。いつかもう一度味わってみたい。そう思うくらいには心が温かな秋の日だった。


 数日後『秋風』を訪れた。扉にはCLOSEDの札とカーテンが下がり、座席が見える窓にもブラインドが降ろされていた。僅かの間とはいえ、通っていた店が無くなったことに物悲しさを感じながら、店を通り過ぎる。

 僕が通っていた頃から工事中だった隣の店がオープンしていた。何となく眺めていると扉が開き、中から女性が出てきた。
「いらっしゃいませ! カフェ『冬のはじまり』にようこそ!」
 僕より少し年上に見える、とびきり綺麗な女性はとびきり可愛い笑顔で言った。そんな誘いを断ることなどできるはずもなく、ぼくは『冬のはじまり』の扉をくぐった。

 白を基調とした少し寒々しい内装。だからこそ飾られた北欧風のインテリアが映える。男一人では入りにくい雰囲気ではあるが、店内に漂う珈琲の香りにはそそられるものがある。
 僕は取り敢えずオススメの珈琲を注文して、カウンター席の端に座った。従業員は先程の女性ともう一人だけらしい。今は満席ではないが、軽食も提供するようだし二人だけでは大変そうだな、なんて思いながら珈琲に口をつけた。

「……美味しい」
 苦味と甘味とが混ざったような独特な後味。どこか懐かしささえ感じる……って……。
 顔を上げると、カウンターの中で珈琲を淹れていた男性がパッと顔を逸らした。
「マスター……」
 髭を剃っていたので気づかなかったが、マスターがそこにいた。今まで思っていたよりずっと若そうだ。
 女性が僕とマスターを交互に見て言う。
「あら? お客様もしかして『秋風』の常連さんでした? マスター引き抜いちゃったんです。引き続き美味しい珈琲の飲める『冬のはじまり』もぜひご贔屓に!」
 冬を終えて春の花の綻ぶような笑顔で言われたら、そりゃもうね。
「はい、また来ます」
 僕は咄嗟に言っていた。引き抜かれたマスターの気持ちも分からなくはない。僕とマスターは一瞬目を合わせたあと、決まり悪げに顔を伏せた。
「あ、お客様! いらっしゃいませ!」
 扉が開くと来店客と共に、だいぶ冷たくなった秋風が、僕とマスターの間を吹き抜けた。
 

10/19/2025, 5:34:47 AM

#21 『光と霧の狭間で』


 僕がその絵との邂逅を果たしたのは、実に十年ぶりのことだった。
 東京の大学へ進学したものの、母校の中学校で教職に着くため、僕は生まれ育った町へ帰ってきた。今日は着任の挨拶に母校を訪れたわけだが、教頭先生が「懐かしいでしょう?」と言って校内を案内してくれていた。

 件の絵は階段の踊り場の壁に飾られていた。もしやあの絵ではと思いタイトル、作者名を確認する。
 『光と霧の狭間で 座間洋一』
「この絵……!」
「あぁ、先生はここの卒業生ですから当然ご存知なんですね」
「はい、中二まで座間先生に美術を教わっていました」
「残念なことでしたね。在職中に事故に遭われて亡くなられたとか」
「ええ……」
 
 
 座間先生はこの中学校の美術教師で、合間に学校で絵を描いていた。先生はこの『光と霧の狭間で』を完成させたすぐ後、学校の屋上から転落死した。
 先生の死を悼み、生徒たちは遺作を鑑賞して冥福をお祈りしようということになった。だがその鑑賞会は途中で中止になった。生徒の中に気分の悪くなる者、泣き出す者が続出したからである。そのため僕のクラスには絵を観る順番が回ってこなかった。
 好奇心旺盛な友人に付き添い、絵を観た生徒たちの話を聞いて回った。ある人は「あたたかく、心が洗われるような絵だった」と言い、またある人は「鳥肌が立ち、吐き気がするような絵だった」と言った。
 そんな絵をぜひ観たい。友人と僕の好奇心は当然高まり、美術室へこっそりと入った。だがすぐに先生に見つかり、一瞬しか観ることは叶わなかった。


 その絵を今、初めてきちんと観ることができた。
 左側は光をイメージしているのか、愛らしい天使が空から差し込む光のなかで羽ばたいている。神々しく、心が浄化されていくようだった。
 一方右側は霧を表しているのか、白いものが木々を覆い渦を巻いていた。渦の隙間の黒い闇の中から、魔物が眼を爛々と光らせこちらを窺っているような不気味な絵だった。
 けれどそれよりも不気味なのは光と霧の狭間だ。小さな人のようなものがたくさん群れている。その群衆のてっぺんにいる人が、座間先生にそっくりだった。必死の形相で霧の世界に向かって手を伸ばし、身を乗り出していた。
 ゾクッと鳥肌が立った。

「……この絵、外した方がいいと思います」
「えっ……?」
 教頭先生はしばらく無言のまま絵を見つめた。
「そうですね。私には素晴らしい絵に見えるんですが、気味が悪いという人もたくさんいます。分かりました外しましょう」

 中学生だった頃、絵を観ることができなくて本当に良かったと思う。あの頃は両親が離婚し、気分が沈みがちだった。もし観ていたら――。
 一緒に美術室に忍び込んだ友人。彼もあの頃家に身の置き場がなかった。友人は高校生になることなく、命を絶った。もしかしたら彼は、あのあとこの絵を観ることに成功していたのかもしれない。

10/18/2025, 12:30:27 AM

#20 『砂時計の音』


「私、きっちり一分がわかるんだよ」
 唐突に彼女が言って、小さな砂時計をテーブルの上に置いた。硝子の中に赤い砂を閉じ込めたごく普通のもの。どうやらこれは一分計らしい。
「へぇ〜?」
「見ていてね。それから静かにね」
 半信半疑に返事をするオレに、彼女はそう言って目を閉じた。言われた通り口を噤み、彼女の様子を見守る。
 砂時計がひっくり返された。硝子の入れ物の中で赤く着色された砂が、真ん中の細い隙間を通って下の空間へ落ちていく。
 砂時計を見るのは久しぶりだ。ただ時が過ぎるのを眺めるなんて、贅沢な時間の使い方かもしれない。
 砂が落ちきった。それとほぼ同時に彼女が手をあげた。
「どう? 当たってた?」
「おお〜すごいぴったり! 体内時計が正確とか? でも一分くらいならオレもいけそう」
「一分以上でもできるよ。砂が落ちたらあなたがひっくり返してね」
「いいよ」
 また彼女が目を閉じた。今度は砂だけじゃなく、彼女の顔を見つめた。得意げにうっすらと笑みを浮かべた表情は本当にかわいい。
 砂が落ちきったので、なるべく音を立てないように逆さまにする。顔を眺め放題とか、やっぱり贅沢な時間だな。彼女が腿の上に置いている手をそっと握ると、口の端がムニュっと動いた。はは、かわいい。
 
 砂時計の砂は全部落ちきった。
 だが彼女は動かない。五秒ほどしてから手をあげた。
「過ぎてましたけど〜?」
「あーもぉっ! 邪魔するからじゃない!」
 彼女はほんのり頬を染めて、唇を尖らせる。
「なんで、静かにしてたろ?」
「私はね、砂が落ちる音を聞いているの。急に手を握ったりするから、その……ドキドキして砂の音が聞こえなくなっちゃったじゃない……」
「……へぇ〜? それはごめんね。邪魔しないからもう一回やってみて」
 彼女は頷くと再び目を閉じた。
 
 うーん、どうしようかな。邪魔しない約束は守るべきか。「ほらできたでしょ?」なんて嬉しそうな顔も見たいし。
 でもキスしたらどれだけ誤差が出るのか知りたいかも、なんて好奇心に二分間耐えられるかな。
 

9/2/2024, 2:52:21 AM

 親友だと思ってたのに。
 
 一週間前、塾の帰りに偶然真帆と会った。正確には真帆とその彼氏。多分、彼氏。知らない人だけど手を繋いで歩いていたから。
 私は知らない。真帆に彼氏ができたことなんか。夏休みで毎日は会わないからって、言ってくれてもいいよね? 電話だってLINEでだっていいんだから。
 私を見た真帆は「あっ!」と焦った顔をして、それから私に近づいてくる。でも私は顔を背けて来た道を駆け戻った。

 しばらくしてピコンとLINEの通知音が鳴る。通知欄にポップアップされたトークは『ごめんね――』から始まっていたが、全文は分からない。
 私は知らない。知りたくもない。偶然会わなかったら教える気もなかったくせに!
 そのあとも何度か送ってきていたけれど、今日まで真帆からのLINEは開いていない。開くものかと意地になっていたのもあった。でも昨夜からは少し迷い始めている。だって今日から二学期が始まるから。クラスメイトなんだから嫌でも顔を合わせる。他のクラスメイトだって私たちの様子を見たら、どうしたらいいのか困るだろう。もしかして先に彼氏のできた真帆を羨んでると思われるんじゃない? それはほんっとに嫌! 私はただ親友だと思ってなんでも悩みを打ち明けてきた真帆が、なんにも言ってくれなかったことが悲しかっただけ。
 ……どうして? 真帆。
 私は知りたかったよ。どうやって彼と知り合ったのか。どちらから告白したのか。初デートは何を着ていったらいいかな? なんて相談されたかったよ。

 学校へ向かう電車に揺られながら、心もゆらゆらと揺れる。スマホを握りしめて、LINE画面を開いてトーク一覧を眺める。
 開く? ブロックする? それともこのまま?
 電車を降りたら学校まで歩いてすぐ。自転車通学の真帆とは教室で顔を合わせるだろう。だから開くなら電車に乗ってる今が最後のチャンス。

 結局、真帆からのトークをタップすることはできずに電車を降りた。
 ……ああ、でもやっぱり……。
 改札を出てすぐに足を止める。もう一度スマホ画面を点灯させた。LINEのアイコンをタップしようした時、ちょうど通知音が鳴る。真帆からのトークだ。
『改札出たとこで待ってるね』
「――!?」
 顔を上げると視界に過ぎったのは真帆の姿。スマホを握りしめて、泣きそうな顔で私を見ていた。
「……真帆」
 私と目が合うとゆっくりこちらへ近づいてくる。目は赤くて瞼も少し腫れていた。涙をいっぱい溜めた瞳を揺らして、なんて言おうか迷ってるみたいに口を開いては閉じている。
 自信なさげに足取りは重い。とうとう頬に涙が零れて、真帆は立ち止まってしまった。

 私は真帆に向かって駆け出した。震えそうになる声を誤魔化すために、大きな声で言う。
 
「真帆〜久しぶり! 元気だったー?」
 私のほうこそごめん。開けなかったLINEの返事はこれから直接伝えさせてね。



 #19 『開けないLINE』 2024/9/2

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