日夜子

Open App

#21 『光と霧の狭間で』


 僕がその絵との邂逅を果たしたのは、実に十年ぶりのことだった。
 東京の大学へ進学したものの、母校の中学校で教職に着くため、僕は生まれ育った町へ帰ってきた。今日は着任の挨拶に母校を訪れたわけだが、教頭先生が「懐かしいでしょう?」と言って校内を案内してくれていた。

 件の絵は階段の踊り場の壁に飾られていた。もしやあの絵ではと思いタイトル、作者名を確認する。
 『光と霧の狭間で 座間洋一』
「この絵……!」
「あぁ、先生はここの卒業生ですから当然ご存知なんですね」
「はい、中二まで座間先生に美術を教わっていました」
「残念なことでしたね。在職中に事故に遭われて亡くなられたとか」
「ええ……」
 
 
 座間先生はこの中学校の美術教師で、合間に学校で絵を描いていた。先生はこの『光と霧の狭間で』を完成させたすぐ後、学校の屋上から転落死した。
 先生の死を悼み、生徒たちは遺作を鑑賞して冥福をお祈りしようということになった。だがその鑑賞会は途中で中止になった。生徒の中に気分の悪くなる者、泣き出す者が続出したからである。そのため僕のクラスには絵を観る順番が回ってこなかった。
 好奇心旺盛な友人に付き添い、絵を観た生徒たちの話を聞いて回った。ある人は「あたたかく、心が洗われるような絵だった」と言い、またある人は「鳥肌が立ち、吐き気がするような絵だった」と言った。
 そんな絵をぜひ観たい。友人と僕の好奇心は当然高まり、美術室へこっそりと入った。だがすぐに先生に見つかり、一瞬しか観ることは叶わなかった。


 その絵を今、初めてきちんと観ることができた。
 左側は光をイメージしているのか、愛らしい天使が空から差し込む光のなかで羽ばたいている。神々しく、心が浄化されていくようだった。
 一方右側は霧を表しているのか、白いものが木々を覆い渦を巻いていた。渦の隙間の黒い闇の中から、魔物が眼を爛々と光らせこちらを窺っているような不気味な絵だった。
 けれどそれよりも不気味なのは光と霧の狭間だ。小さな人のようなものがたくさん群れている。その群衆のてっぺんにいる人が、座間先生にそっくりだった。必死の形相で霧の世界に向かって手を伸ばし、身を乗り出していた。
 ゾクッと鳥肌が立った。

「……この絵、外した方がいいと思います」
「えっ……?」
 教頭先生はしばらく無言のまま絵を見つめた。
「そうですね。私には素晴らしい絵に見えるんですが、気味が悪いという人もたくさんいます。分かりました外しましょう」

 中学生だった頃、絵を観ることができなくて本当に良かったと思う。あの頃は両親が離婚し、気分が沈みがちだった。もし観ていたら――。
 一緒に美術室に忍び込んだ友人。彼もあの頃家に身の置き場がなかった。友人は高校生になることなく、命を絶った。もしかしたら彼は、あのあとこの絵を観ることに成功していたのかもしれない。

10/19/2025, 5:34:47 AM