「……聞いてるのか?高橋さん」
「……うぜー」
生徒指導室、私と机を挟んで対面している彼女は煩そうに言った。対面とはいっても彼女の臍は私にではなく、横にある窓のほうへ向いている。
「そういう態度や、服装からだって大人は君のことを判断するんだよ」
高橋さんは生徒指導室の常連だった。遅刻早退欠席の常習犯。スカートはやたらと短いし、学校指定のリボンタイは着けずにシャツの第二ボタンまで開けている。校則違反の服装は何度注意しても直さないので、最早注意しない先生もいる。
「うっぜ〜」
今度は馬鹿にしたような笑いを含んで言う。
「……今日の万引き、高橋さんはやってない。それは防犯カメラからも証明された。でも君が一緒にいた仲間がやっていたことは確かだったね。高橋さんが万引きは悪いことと分かっていて、周りに流されずに止めようとしたことは立派だったと思う」
「うぜえっ」
吐き捨てるように言って私を睨んだ。
それでも私は言葉を続ける。
「本当にその仲間といて楽しいの?君を置いて逃げてしまったあの子たちは本当に友達?」
「うぜえ!」
怒鳴ったものの、彼女の視線は下へ向く。
「高橋さんは、逃げる時にぶつかったおばあさんを気にして、一人だけ捕まってしまったんだよね」
「う、ぜ……」
高橋さんの声は小さくなる。
「あのおばあさん、少し腰を痛めてしまったみたいだよ」
「…………」
固く結ばれた高橋さんの唇が震えている。
「でも助け起こしてくれた君のことを気にかけていたって」
「…………」
俯きかげんの彼女の頬に、一筋、光が流れたように見えた。それは彼女の拳ですぐに拭われてしまって確かめることはできなかった。
「明日、そのおばあさんの様子を見に行くんだけど、一緒に行かないか?」
「う……」
私は彼女の横顔をじっと見つめた。
「……ん」
小さな声で言い、小さく頷いた。
私の中に温かい気持ちが膨らんでくる。だめだと思うのに自然と顔が綻んでしまった。そんな顔を見て、やっぱり彼女は言う。
「うっぜぇ」
顔を赤らめて照れたようにちょっとだけ笑った。
#4 2023/11/5 『一筋の光』
『♪〜♪〜♪〜』
でっかい音楽とともに『おうちに帰りましょう』のアナウンスが流れ始めると、オレの蹴り上げたサッカーボールはタイチにキャッチされた。
「えっ!ハンドじゃん!」
「ばーっか、もう終わりだろ」
「ちぇーっっ」
なんだよ、シュート決まるとこだったのに。タイチのやつズルだ。
「もうチャイム鳴っちゃた」
「冬はあんま遊べねー」
「夕陽きれいじゃね?」
「ホントだー!でも暗くなる前に帰らないとお母さんに怒られる」
口々に言いながらみんなで自転車置き場に移動する。冬は下校からチャイムまでの時間が短いから、いったん下校してからまた学校に遊びに来るやつもそもそも少ない。
「ハラ減った〜夕飯なんだろ」
「うち唐揚げだって。お父さんより俺のほうがいっぱい食べるんだぜ」
へぇ〜唐揚げいいなぁ。熱々のできたて、最近食べてないかも。
みんなヘルメットをして、自転車にまたがった。
「んじゃーな、コータ!」
「また明日なー!」
今までサッカーをしていたクラスメイトたち五人は、オレを残して帰っていった。
オレンジに染まる校庭に戻っても、ただっ広い校庭にオレはたったひとりきり。
「シュート!!」
決めきれなかったシュートをカレイに決めたけど何もスッキリしない。テンテンと小さくドリブルをしながら学童の部屋へ戻った。
学童のやつらもお迎えが来て、ひとりふたりと減っていく。今日はオレが一番最後だった。
「コータ、遅くなってごめんね」
お母さんが汗をかきながら学童の入口に立っている。
「ありがとうございました」
「センセーさよならー!」
学童を出ればもう外は真っ暗だった。夜になればだいぶ寒い。お母さんと並んでゆっくり歩く。
「遅くなっちゃったから、今夜お弁当なの。駅前のお弁当屋さんの唐揚げ弁当」
「やったぁ、唐揚げ食べたかったんだ」
「ずっと作ってなくてごめんね」
「あのお弁当屋さんのはお母さんのより美味しいからいいよ」
「言ったな!今度ちゃんと作るから楽しみにしててね」
「うん」
「今日もサッカーしてたの?」
「そう、シュート決めるとこでチャイム鳴っちゃってさ。いっつもいいとこでチャイム鳴るんだよ」
「チャイム鳴らないで〜、もう少し遊びたいよ〜ってお母さんも子供の頃思ったことあるなぁ。帰り道に綺麗な夕陽を見るとなんだか切ない気持ちになってね」
「やっぱり?チャイム鳴らなければもっとみんないてくれるのになぁ」
「……みんな帰っちゃうと寂しいね。帰り道もいつも暗いしね」
「暗い道、結構好きだよ」
「そうなの?なんで?」
「ええと……ひみつ!」
オレはつないでいたお母さんの手をきゅっと握り直した。だって明るかったら、手をつないでるの誰かに見られるかもってつなげないじゃん。なんてもう四年生なのにそんなことを言うのは恥ずかしかったんだ。
お母さんとつなぐ手をゆらゆら揺らす。暗く静かな夜の中、お月さまの形を眺めながらゆっくり家までの道を歩いた。
#3 2023/11/5 『哀愁をそそる』
くっきりとした二重瞼、ふっくらとした涙袋。通った鼻筋。ぽってりと官能的な唇。シャープな顎のライン。
綺麗な綺麗な私の顔。そこに睫毛のエクステ、カラコンを着けて、メイクを施せば更に美しさは増す。
誰もが私を見る。綺麗ですね、って言ってくれる。
自分の顔が大嫌いだった。
父親に似た輪郭も、母親に似た鼻も。
知り合いのいない場所に引越して、全てをリセットした人生。私は幸せだった。初めは本当にそう思っていた。
陰口というのは勝手に聞こえてくるもので。
「やり過ぎ……」
「あれ、いくらかかってんの?」
気づけばひとりぼっちだった。
以前は家族だって友達だっていたのに。
自分の顔が大嫌いだった。
父親に似たエラの張った輪郭も。母親に似た団子っ鼻も。
そんな私を可愛いと言ってくれた恋人がいたこともあったけど。
もう以前の顔は思いだせない。写真も全て処分してしまった。
今は鏡に写る美しい自分を見ても他人にしか見えない。
家族も友達も恋人もいない。
「……ねぇ、あなたは誰なの?」
私自身でさえ、鏡を見ても自分を見つけることができない。
#2 2023/11/4 『鏡の中の自分』
私の人生は平凡です。
沢山の楽しいこと、同じくらいの嫌なこと、ほんの少しの友達がいて、ただ一人の伴侶がいて、二人の息子がいる。
怒ったり、笑ったり、泣いたり、笑ったり、そんな当たり前の日々の繰り返し。
取り立てて物語の主人公にだってなれやしない、平凡な人生です。
そんな平凡な人生を送れたのは、あなたが私を産み、愛し育ててくれたから。
聞こえていますか?
きちんと伝えたことはなかったけれど、当たり前の日々をありがとう。
病院のベッドの上、ずっと目を閉じたままのあなたの手を握りしめた。
どうか伝わってほしい。
あなたが永遠の眠りにつくまえに。
#1 2023/11/3 『眠りにつく前に』