saku

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10/8/2023, 8:37:18 AM

力を込めて

河原。
遥拝。
清流の流れる音を聴く。
澄んだ水の底から湧き出る泡を見る。
上流から流れて来た石の丸みに触れる。
全身全霊の力を込めて、祈る。
羽音が近づいて来る。蜂の大群だ
なぜだ。こんなに禊いでいるのに。
水の流れの中にきらりと光る魚の腹が見えた。
ああ、どうしても祓えない。
祈りは届かない。
心も体もずっとざわざわしている。
そんな感じ。

その時何かにぶつかって、私は尻もちをついた。ぬめっとした感触が足に残る。
大急ぎで近くの大岩によじ登った。
そして上から川底を見た。
ものすごく大きな黒い塊が動いている。
山椒魚!
私はあれの行く手を塞いでいたのか。
そう思うと急に可笑しくなって、岩の上で腹を抱えて笑い出した。
私は夜明けと共に起きて、さっきまで延々と深刻な顔をして祈ったり祓ったりキョロキョロしたり、なんと絶望までしてたのか…ダメだ笑いが止まらない。
ひとしきり笑って疲れ果て、汗をかいたので、岩の上から川に飛び込んだ。
浅瀬に横たわり、両手を広げる。
水の流れが心地良い。
何もかもみるみる剥がれて行くようだ。
水が勝手に流してくれる。
光が眩しいな。
風も気持ちいい。

そうか。そうだよ。それはそうだ。
力を込めるのではなく、力を抜くんだった。私から私を抜く、脱ぐ。
それだけでよかったんだ。

10/7/2023, 5:29:29 AM

過ぎた日を思う

若い男だった。
妻がいる。妻はどうやら妊娠している。家の中は質素だが、二人ともよく働くので日々の暮らしに不自由はなかった。
家の横に小さな畑があり、それなりに収穫できた。俺は農具も作るんだ。
そうそう、食卓の上の天井近くに棚を作って皿を飾るのが女たちの間で流行ってたんだっけ。
妻が珍しく何度も言ってきたんだ。俺に棚を作って欲しいって。あなたなら造作もないことでしょう?お願いよ。うんうん分かった。今度な。任せとけって。

そのうち戦争が始まって、俺たち若い男はよく分からないまま全員駆り出されることになった。
家を出る時、妻はイヤな顔をしていたが、俺たちは日常とは違う時間にワクワクしていて気にも留めなかった。
ずいぶん長い時間歩いて歩いて、みんな砂まみれになって、何もないこの土地にやって来た。
どうやらここは、俺たちの国の端っこに当たるそうだ。最果てってやつ。
…国?そんなこと考えた事もなかったな。

戦いが始まった。
誰かの号令と共に俺たちは走り出す。
何でもいいからあの岩の向こうに隠れてる奴らをやっつければいいんだよな。
あれ?武器が俺たちのとは違う。ずいぶん遠くから飛んでくるじゃないか。これは反則だろう。そうかルールもクソもないから戦争なんだ。
そんならこっちも…と俺は敵を踏み越え何とか斬り込んで行く。けっこうやれるな。みんな痩せた奴ばっかだもんな。
その時左の後ろから尖ったあれが飛んで来て、こめかみに突き刺さった。
俺もさっき誰かの頭に斧をブチ込んだばかりだ。あいつもこんな感じだったのかね?
大量の血が噴き出してきて、思わず持っていた武器を捨てて両手で押さえた。何てこった。ここでおしまいとは。全く思ってもみなかった。
こんなことならとっとと棚なんか作ってやればよかったな。俺が死んだらあいつはどうなるんだっけ。子供は生まれるのだろうか。髪は俺と同じ金色で、瞳はあいつの緑がかった灰色とか?
…ま、何とかなるだろう。俺だってここまで生きて来れたんだしさ。
しかしこのデカイ体がここで朽ちてしまうのは、何とももったいねえことだな。
ああ目が霞んできた。右の耳はまだまだ聞こえてる。鼻は元から大して利きゃしなかった。
男は膝から崩れ落ちた。足下にできていた自分の血溜まりが彼を受け止める。
砂と混ざり合い、ざらざらと温かく塩辛い血。大きかった俺の体に流れていた血。これが懐かしいってやつかなあ。
ともかく一旦ここで終わりだ。
さらば。さらば世界よ。
瞼が閉じられ、世界は消えた。

10/5/2023, 11:02:12 AM

今夜は厚い雲に覆われて、
星は見えない。
だけども私のベッドは窓辺にあって、
枕の位置から空が見える。

今もそこに横たわって目を閉じた。
音が聞こえる。
向かいの駐車場で誰かが車に鍵を掛けた。 ピッ。虫の鳴く声。
かすかに聞こえるヘリコプターの音。
重なり合う車とバイクとバスのアナウンス。救急車のサイレン。
たくさんの気配、光の移動。
どうかご無事で。
ふと音は遠くなり、視界は深い青。
そして数えきれない星、星、星。。

深呼吸ひとつして目を開けた。
視界に雲に覆われた夜空が飛び込んでくる。
思わず笑みがこぼれてしまう。

目を開けたら見えなくなった。
目を閉じたら苦もなく…雲なく見えた。
無数の星たち。





10/4/2023, 2:51:10 AM


横軸を時間、縦軸を場所、とする。
二つの軸が交わる場所を点A。
点Aで、人は初めて出会う。

誰かとの約束も、打ち合わせも、お気に入りの服、映画、友人、家族との出会い、会話、すべて。
縦軸と横軸、時と所が交わらなければ決して会うことはない。

この文章、この出会いは偶然ということにするか、
自分でそう決めていたことにするか。
どっちがほんとの意味で楽しいかなあ。





10/3/2023, 9:03:59 AM

時代や性別や人種が全然違っても
体の周りにぼんやり銀色の膜みたいなもがあり、内側から発光してるみたいな人がいる。

今までに2回だけ見たことがある。
1人は多分、男の赤ちゃん。
もう1人は、おばあさん。
白い肌、白い髪。薄い色の瞳。
混雑した地下鉄の席に座ってた。
前に立った時目が合った。
すごく懐かしい感じがした。
声。

迫害されたこともあったのよ、昔はね。
今は何をされてるんですか?
何もしてないわ。ただ生きてるの。
生き通すのが今回のお役目。
誰もがそうなんだけどね。
あなたもよ。
私も?
そう。ただここにいるだけでいいの。
それだけでOKなのよ。
何かに成らなければ自分には価値がないとか、決して思わないで。
私たちは今、この瞬間ここにいる。
真実はこれだけ。
それは奇跡でもなんでもない、ごく自然なことよね。
それなのに難しく考える人ばかりでねえ。だからこうしてただ座ってるの。
あなたにも難しい?
ただここに居ること。

「えっ…」
思わず声に出したその時、扉が開いた。
私は人波に流され、ホームに押し出された。
振り返ってその人を探す。
動き始めた車両の窓に、白い髪と白い横顔がちらっと見えた。
伝えなきゃ。伝えたい。
私…ここにいます。
確かに今、ここにいます。











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