わたしは、夫を見る。
夫との関係は、正直、微妙だ。
家の都合で、結婚した人だということも有るかもしれない。
わたしは、それを望んだから結婚したのだけれど、
夫は、どうやら違ったらしい。
折角のクリスマスでさえ、わたしたちは会わなかった。
しかし、今年は異なる。
何故か、今年は共に過ごす方がいないそうだ。
だから、わたしと過ごすらしい。
当たり障りの無い、会話と食事を済ませる。
もう子供は、いる。
だから、夫に用は無い。
養育費も頂いている、子供にも丁寧に父として接してくれる。
ならば、もうこれ以上は望まない。
何もかも欲する妻では、在りたくない。
「じゃあね、ちゃんとごはん食べるのよ。」
わたしは、夫にそう伝える。
「うん、ちゃんと食べるよ。」
夫は、わたしと目を合わせた。
いつぶりだろうか、夫の目を見たのは。
夫は、わたしの唇に口吻をした。
「またね。」
この口吻は、どんな意味があるのだろうか。
色恋に疎い、わたしには口吻の意味が分からず、
「また、来年。」
と、返した。
「おばあさま、今日は大変芳しい香りがいたしますね。」
ゆっくり、はっきりと話しかける。
「ええ、柚子の香りでしょうね。」
おばあさまも、ゆっくりとお話しを続けました。
「わたくしは、昔、柚子の花と呼ばれたものです。」
懐かしそうに目を細められました。
「ふふ、見た目は控えめでも、柚子の花は芳しい香りを持ちますでしょ。
柚子のように中身の薫る人と成りなさい。と、母は仰っていました。」
それはそれは嬉しそうに、おばあさまらお話しになられました。
「父さま、お伝えしたいことがあります。」
「なんだ。」
私は、喉の渇きを少しでも癒すために唾液を飲み込んだ。
「私は家を離れ、婿として他家に嫁ぎたいと考えています。」
指先が震えてきた。
「何故だ、己の立場を理解しているのか。」
父さまの威厳ある声が響く。
「私が家の流れを汲む、嫡男であることは理解しています。
しかし、この家を継ぐことが出来るほどの器は、私に在りません。
それ故、他家に嫁ぎたいと存じます。」
父さまの反応を伺う。
「己の器をその年で理解するか。
己の器を理解出来るほどの頭を有しながら、
他家に嫁ぐとは、何と惜しいことだろうか。
これも、きっと天の思し召しか。
良かろう、ならば他家の婿養子となり、生涯を全うせよ。」
父さまは、冷静に名残惜しいそうに私を見つめた。
「感謝致します。この御恩は、生涯忘れません。」
私は頭を深く下げた。
これが我が家の流れ、女系の始まりでした。
あるところに、雪柳の君と呼ばれた、
高貴な血を引く、さほど家格の高くない生まれの女性がおりました。
彼女の事を良く云えば、凛々しく聡明な御方、
悪く云えば、手厳しく気強い御方でした。
彼女は、成人して間もなく、かつての財閥家の男性と婚約。
大学院を卒業後、弁護士となり、かの男性と婚姻しました。
彼女の手腕により、わが家を後に再興させるに至る、
きっかけと基盤を作ったと伝わります。
現在において、このような形容は好ましく無いとは思いますが、
女性でありながら、わが家を再興させるに至る、
きっかけと基盤をお作りになった功績は、
何時の世においても、素晴らしいものだと思われるでしょう。
それが、私の祖母だと言うのだから驚きです。
私のおばあちゃんは、今では普通のおばあちゃんです。
私を含め、孫たちには皆優しくて、いつも温かく迎えてくれて、
たくさんの食べ物を勧めてきます。
旅行に行く時のお土産や誕生日プレゼントを贈るときなど、
私が「何が良い?」と聞くと、いつも決まってこう言います。
「お茶っ葉(おちゃっぱ)が良いです。」簡潔に丁寧に応えてくれます。
私は、その誰に対しても丁寧さを忘れないところ、
そのいつも迷いの無い簡潔な回答が大好きで、
分かっていても、欲しいもの尋ねる際は必ず聞きます。
例え、孫の前でもデレない、自慢のおばあちゃんです。
いつも、アフタヌーンティーにお友達を招待して、老後を愉しんでいます。
最近では、大人になった孫たちを一人ひとり誘ってくれます。
今日、私も初めて誘われました。
おばあちゃんのアフタヌーンティーに、
ひとりで誘われると大人になったと認められたような気がします。
本当に嬉しく、愉しみです。
それでは、また、お会いしましょう。
最後まで、お付き合い頂き、ありがとうございました。
かしこ
「かすみさん、少しだけ構って。」
そう言って、彼は少しだけ微笑んだ。
その姿はわが夫ながら、あまりに可愛く、愛おしい。
「いいですよ。」
ソファに座ると、彼はわたしの太ももに頭を乗せる。
「珍しいこともあるものですね。」
「たまには、自分の奥さんに甘えたくなった。」
彼には、よそに多くの女性がいる。
それを了承した上で、わたしは彼とお見合いで結婚したから、
わたしに甘えるなんて思いもしなかった。
普段は、多分よその女性に甘えているはず。
だから、わたしに甘えるなんて初めてだった。
「まるで、源氏の君と大殿の君の夫婦円満な描写みたいですね。」
「うーん、確かに似てるかもね。
でも、ちょっとその例えは哀しいかな。」
「あら、どうしてですか。」
「だって、そのあと大殿の君は亡くなるから。
かすみさんが亡くなる、フラグみたい。」
「まあ、そんな風にわたしのことを想って下さっていたのですね。」
「僕は多くの女性と恋するけど、僕の妻はかすみさん唯一人だよ。」
「ふふ、嬉しいことを言って下さいますね。」
わたしは、彼の黒く美しい短髪を撫でた。