あるところに、雪柳の君と呼ばれた、
高貴な血を引く、さほど家格の高くない生まれの女性がおりました。
彼女の事を良く云えば、凛々しく聡明な御方、
悪く云えば、手厳しく気強い御方でした。
彼女は、成人して間もなく、かつての財閥家の男性と婚約。
大学院を卒業後、弁護士となり、かの男性と婚姻しました。
彼女の手腕により、わが家を後に再興させるに至る、
きっかけと基盤を作ったと伝わります。
現在において、このような形容は好ましく無いとは思いますが、
女性でありながら、わが家を再興させるに至る、
きっかけと基盤をお作りになった功績は、
何時の世においても、素晴らしいものだと思われるでしょう。
それが、私の祖母だと言うのだから驚きです。
私のおばあちゃんは、今では普通のおばあちゃんです。
私を含め、孫たちには皆優しくて、いつも温かく迎えてくれて、
たくさんの食べ物を勧めてきます。
旅行に行く時のお土産や誕生日プレゼントを贈るときなど、
私が「何が良い?」と聞くと、いつも決まってこう言います。
「お茶っ葉(おちゃっぱ)が良いです。」簡潔に丁寧に応えてくれます。
私は、その誰に対しても丁寧さを忘れないところ、
そのいつも迷いの無い簡潔な回答が大好きで、
分かっていても、欲しいもの尋ねる際は必ず聞きます。
例え、孫の前でもデレない、自慢のおばあちゃんです。
いつも、アフタヌーンティーにお友達を招待して、老後を愉しんでいます。
最近では、大人になった孫たちを一人ひとり誘ってくれます。
今日、私も初めて誘われました。
おばあちゃんのアフタヌーンティーに、
ひとりで誘われると大人になったと認められたような気がします。
本当に嬉しく、愉しみです。
それでは、また、お会いしましょう。
最後まで、お付き合い頂き、ありがとうございました。
かしこ
「かすみさん、少しだけ構って。」
そう言って、彼は少しだけ微笑んだ。
その姿はわが夫ながら、あまりに可愛く、愛おしい。
「いいですよ。」
ソファに座ると、彼はわたしの太ももに頭を乗せる。
「珍しいこともあるものですね。」
「たまには、自分の奥さんに甘えたくなった。」
彼には、よそに多くの女性がいる。
それを了承した上で、わたしは彼とお見合いで結婚したから、
わたしに甘えるなんて思いもしなかった。
普段は、多分よその女性に甘えているはず。
だから、わたしに甘えるなんて初めてだった。
「まるで、源氏の君と大殿の君の夫婦円満な描写みたいですね。」
「うーん、確かに似てるかもね。
でも、ちょっとその例えは哀しいかな。」
「あら、どうしてですか。」
「だって、そのあと大殿の君は亡くなるから。
かすみさんが亡くなる、フラグみたい。」
「まあ、そんな風にわたしのことを想って下さっていたのですね。」
「僕は多くの女性と恋するけど、僕の妻はかすみさん唯一人だよ。」
「ふふ、嬉しいことを言って下さいますね。」
わたしは、彼の黒く美しい短髪を撫でた。
美しさとは、何なのだろう。
私は、よく源氏物語の源氏の君のようだと謂われる。
彼のように、何事にも優れた才覚などは無い。
しかし、彼のように、どんな人にも美しいと言われてきた。
私を好む人は、皆口々に言う。
「あなたの美しさが何よりも好き。」だと。
私の中身を見ず、私の美しさに引き寄せられた人ばかりだ。
私の中身など、彼らの前には存在しないも同然なのだ。
だから、私が彼女らに何をしようと、その容姿の美しさで許されるのだろう。
私は、容姿は優れているだけで実力など無い。
しかし、優遇されて流されて此処まで来てしまった。
その道は、己の実力とは裏腹に自惚れてしまう。
その先は、己の破滅のみ。
どうすれば、抜け出せるのだろう。
どうすれば、人から見てもらえるのだろう。
「容姿に惑わされる人間から離れなさい。
その人は、あなたを見ているのでは無く、
あなたの美しさに魅了されているだけなのだ。」
兄様、私はどうしたら、身内以外の人を信じられるのでしょう。
「すまなかった。
本当にすまなかった。
若き日の貴女への仕打ちを、今、此処に謝罪させて欲しい。」
私は、人を愛することを何よりも恐れていた。
若き日の私は、その自覚さえ無かった。
私の両親の最初の記憶は、浮気性な父を母が責めているところだった。
母は、発狂していた。
『あなたは、いつも、いつも、他の女にばかり目を向けて!』
父は、冷たく突き離していた。
『あなたも、愛人を持てば良い。』
母は、父を心から愛し続けていた。
あれだけ軽々しく扱われながらも、父という男に侮辱されながらも、
いつも変わらず、一途に妻として最期まで愛し続けた。
実の子たる私さえ、その目には映さなかったほどに。
母があれほど父に執着していたのは、
カトリックの教育を受けて、信奉していたのも有ったと思う。
しかし、そのさまは、私の目に狂気として映った。
人を愛するとは、私にとって正気の沙汰では無かった。
「今さら赦しを乞うつもりは、無い。
唯、これだけは信じて欲しい。
私は、妻たる貴女を心から愛している。」
私は、声を振り絞る。
貴女は言った。
「ありがとう、言葉にしてくれて。
でもね、疾うの昔から、わたしは知っていたわ。
貴男は、わたしを心から愛してくれていたことを。」
貴女は微笑み、言葉を続けた、
「貴男は、昔から本当に不器用ね。
だから、可愛いのだけど。
わたしの愛しき人、わたしの生涯に渡り愛し続ける、唯一の人。
わたしの目を見て。」
貴女は、私の輪郭に両手を添える。
「わたしは、もう怒ってなどいないわ。
貴男を赦します。
だから、もう泣いて良いのよ。
だから、もう、わたしを愛し続けて良いのよ。」
涙が一筋零れる。
涙が溢れてくる。
そんな情けない私を、最愛の貴女は優しく抱きしめた。
私は、愛人。
誰よりも、彼を愛してきた。
一途に、一途に、愛してきた。
彼が家に来る時は、いつも夜だった。
華やかなシルクのキャミソールドレスを着て、
艶やかな化粧をして、
甘い声をした。
正直、彼と結婚できると思っていた。
彼は、奥さんより私の方が綺麗だと思っていた。
でも、現実は違った。
彼の奥さんを遠目で見た。
すぐに分かった