「面を上げよ。」
威厳のある、低い男の声が響く。
その声は、深く……土下座をした、初老の男に向けられた。
初老の男は罪人のように手錠をしていたが、
その容姿、その所作から、高貴な身分であることは明確だった。
「私なら、どんな目に遭おうと構いません。
あの方だけは……、あの方に連なる血筋の方々だけは……、
処刑しないで下さい。
どうか、どうか、お願い致します。」
初老の男は、膝を付き、手をハの字に置き、深く頭を下げた。
威厳のある男は、初老の男の行動が全く理解出来なかった。
彼が知っている、高貴な身分の人間は全く頭を下げたりなどしなかった。
だから、彼は初老の男の懇願を退けた。
そして、彼は初老の男の言う、『あの方』と『あの方の血筋に連なる方々』
を皆処刑した。
何故なら、彼にも……初老の男のように、
彼を信じ、仕え続けてくれる者たちが居たのだから。
妻の愉しそうな声が、庭の方から聞こえてくる。
そして、妻と楽しそうに話している、彼の声が聞こえてくる。
一筋の冷たい液体が、私の頬を伝い落ちた。
何故だろう。
私は、あわててハンカチを取り出して、
ハンカチを見て、また、目から冷たい液体が頬を伝う。
このハンカチは、妻が初めて刺繍したものだった。
落ち着こうと、コーヒーを淹れても、
冷たい液体は、目から一滴ずつ流れてくる。
気が付くと、リビングのソファに横になっていた。
どうやら、泣きつかれて、眠ってしまったらしい。
目の前に、暖かい紅茶が置かれた。
「貴男。」
妻の優しく澄んだ、いつもの声がした。
「はい。」
何だが、泣き顔を見られるのが恥ずかしくて、
妻と目を合わせられなかった。
すると突然、妻は私を抱きしめた。
「ごめんなさい。わたしは、貴男に甘え過ぎてしまっていた。」
視界がぼやけて、涙が溢れた。
「こちらこそ、ごめん……。彼を招いて良いよって、言ったのに。」
「良いの。貴男のおかげで彼と再会することが叶った、本当にありがとう。」
「私を尊重してくれて、ありがとう。」
私は、妻を抱きしめた。
櫻の散り際の見事な花吹雪。
この散り際の美しさに敵う花など無いように、私は思う。
それほどまでに、美しい。
そして、その美しさには、晴れ渡る青い空が欠かせない。
晴れ渡る春の空があってこそ、櫻の花吹雪は美しさは際立つように感じた。
わたしは、むかしから恋愛がよく分からなかった。
自分自身の気持ちを聞かれることも、苦手だった。
考えや思ったことは有るのだが、それに感情が乗らないのだと思う。
だからか、『浮気とか不倫は、いや!絶対に無理!』
だと言っている人間の気持ちが、よく分からなかった。
人間は、ゴリラとチンパンジーの間の生物で
ゴリラは一夫多妻制、チンパンジーは乱婚、と、わたしは聞いた。
ならば、不倫や浮気は仕方ない。と、わたしは思う。
そんな常識外れのわたしの夫は、とんでもなく女遊びが好きだった。
お見合いの席で、
「結婚後も、あなた以外の女の人と遊んで良い?」
と、言う程に……。
そんな彼に、わたしはこう返した。
「別に良いよ。わたしは、むかしから恋愛感情が分からないから。
わたしを束縛しないなら、不倫や浮気も大歓迎する。
でも、約束して欲しいことがあるの。」
彼は首を傾げて、微笑んだ。
「どんなこと?」
わたしは、応えた。
「わたしも、相手の女の人も、大切にすること。約束できる?」
彼は、先程と異なり、真剣な表情と声で言った。
「うん、約束するよ。あなたも、他の女の人も、大切にする。」
あれから色々あったけど、夫との関係は良好で、
ずっと約束を守ってくれている。
わたしは、今も幸せな生活を送っています。
こんな幸せな人生を歩ませてくれた夫には、感謝しかない。
改めて、今日は夫に感謝を伝えてみようと思う。
過ぎれば、どんなに長い月日も……本当にあっと言う間だ。
私の家は、彼の家に仕えて、もう2245年目になるように。
そして、私の家は今尚、家を、一族を保ち続けている。
正直、今の時代には家や一族など必要無い。
貴族制は廃れた上、この国では、みな等しく同じ教育が受ける権利がある。
身分問わず、好きな職に就く権利が保証されている。
だから、正直、家は必要無い。
では、何故、家や一族を保ち続けているのだろう。
と、疑問に思うだろう。
それは、簡単だ。
唯、昔話がしたいからだ。
家を保ち続けるのも、
古くからの友人を亡くしてしまうようで、寂しいからだ。
過去を忘れられてしまったら、それはもう無かったことになってしまう。
それが、何よりも恐ろしく、怖いのだ。
あの時、共に乗り越えた困難の記憶も、
あの時、共に分かち合った記憶も、
忘れ去られてしまったら、もう元には戻れなくなる。
だから、私の家は時を紡ぐ。
私にとっての時を紡ぐとは、先祖代々の記憶を語り継ぐこと。
忘れてしまわぬように、無かったことにならぬように、
長年、紡いできた糸を解けてしまわぬように、
私の家と彼の家、他の縁ある家々は、
今日も又、家を保ち続ける為、互いに助け合い、努めている。