もしも、なんて都合の良いものは無い。
亡き父を責める悪夢を見て、私は自分に言い聞かせる。
過去に縋るのも、未来に縋るのも、……見苦しい。
分かってる、もう……父は、此の世界には、いない。
父を責めることで、自分の弱さから逃れようなんて、馬鹿らしい。
やはり、いつに成っても、親の器に私は甘えたいのだろうか。
親離れが出来ない、未だに幼い自分に腹が立つ。
大人に成るのを急いだ代償なら、なんと滑稽だろう。
自分の選んだ……過去に選択した積み重ね、其れが人生だ。
紛れもなく、今の自分は……生き様は……過去の選択の結果に過ぎない。
『他者のせい』にするのは、一時は良いが……もう、こりごりだ。
私は、自分の保身に走った。だから、今も生きている。
父のような愛情深さも、父のような勇気も、父のような覚悟も、
私には無かった。
相棒であり、親友であり、最も心許した家族で在り、
異母弟の彼のような芯の強さも、私には無かった。
父のように成りたくて、異母弟のように成りたくて、
でも、かつての私は成ろうと、努めようともしなかった。
父も異母弟も疾うの昔に、この世を去った。
今、私は決する。
もしもなどという……幻のもうひとつの物語を、もう抱かないと。
この匂いは、アフタヌーンティー。
この匂いは、わたしの思い出が詰まっている。
おばあさまとおかあさま、いもうとにわたし。
わたしは、このひと時が何よりも好きだった。
そう、愛する貴男のように。
だから、貴男と婚姻が決まった時は本当に嬉しかった。
でも、貴男には誰よりも愛する方がいた。
やっぱり、現実は物語のようには……いかなかった。
貴男の愛する方は、もう……別の方と婚姻が成立したのに。
貴男は、一向にわたしを見てくれなかった。
愛してるわ、誰よりも……深く、愛してるわ。
だからね、貴男の愛する方に逢ってきたの。
ちょっと良いホテルで、アフタヌーンティーをしたのよ。
貴男の愛する方は、本当に完璧な人だった。
わたしが見てきた、誰よりも凛々しく 中性美を纏った方だった。
わたしに敵う隙なんてないほどに、完璧な方……。
あの方は、たくさんのわたしの話を聴いて下さった。
『あなたほど、彼を側で支えられる人は居ないさ。』と。
わたしは、すぐには…とても、信じられなかった。
あの方は続けて、こう仰られたの。
『彼は、もうすぐ気づくだろう。あなたの有難みを……。
あなたは、聡明で愛情深い方だ。
貴族としての素質に意識、何より……民を思う心をお持ちだ。
そして、夫を想う妻としても……あなたは素晴らしい。
だから、きっと大丈夫。 話してくれて、有難う。』
と、凪のように優しく穏やかな声だった。
最後には、涙が溢れてしまった。
感情の波を抑えるのには、慣れているはずなのに。
絹のハンカチを差し出され、
『お恥ずかしいながら、私はこのような話が出来る友人はいないのです。
もし、よろしければ こうして、また逢いませんか。』と。
『はい。』と、わたしは泣きながら応えた。
あの後、貴男にわたしの気持ちを打ち明けたら
少しずつ……、わたしのことを見てくれるようになった。
今では、夫婦仲は円満で 家族仲も良くなった。
彼女とは、今でも交流は続いている。
あの時、見知らずの…頼ってきた わたしを受け入れてくれて、
背中を押してくれた彼女には、感謝してもしきれない。
本当にありがとう。
「ねぇ、あなた。もし、わたしの方があなたより早く あの世へ旅立つなら、
笑顔を見送ってほしいの。すぐには、此方に来ちゃだめよ。わたしのいない
余生を楽しんでね。
それに、結婚しても良いのよ。わたしを気にせず、幸せな家庭も築いて良い
のよ。」と、そんな何気ない、貴女の言葉が頭をよぎる。
「お願いだ……。妻を助けてくれ。」と、泣きながら私は、友人に縋り付き、
懇願する。
「最善は尽くす。しかし、命の保証は出来ない。」と、私とは対象的に友人は
極めて冷静に応える。
そこから、どのくらい経っただろう。
友人は、妻の寝室から出てきた。
「最善は尽くした。でも、此処からは彼女次第だ。」と、友人は言った。
「何で、そんなに冷静に居られるんだ!彼女とは、何年も前からの仲だろう!
おまえには、心が無いのか!」と、私は激怒した。
友人のひどく冷静な、全く動揺しない、まるで、見知らぬ人のように接する
ような冷たさに。
そしたら、予想外にも友人は感情を露わに言った。
「分からないとは、言わせない!生死の堺のときは、冷静で居る大切さを!
今まで、わたしたちは何度も、人の死際に立ってきた!
何度も処刑人として、命を殺めてきて、それか!いい加減にしろ!
今まで、貴様は何を学んできたんだ!」
と、私以上の激情で言って、いや、叱ってくれたのだ。
そのおかげで、冷静になれた。
幸い、あの後、妻は目を覚ました。
今では、健康に日々を過ごせている。
後日、友人に謝罪と礼を伝えに行った。
「気にするな。そういう時もある。お互い様だ。」
と、友人は無愛想に言った。
その友人の懐の深さが、格好良かった。
季節が変われば、人々の装いも変わる。
それは、美しい。
その季節を象徴とする色に、多くの人々の装いも染まる。
この情景は、人々が豊かで無ければ、見ることは叶わない。
私のハンカチには、ふたつの大文字のアルファベットが少し重なるように
妻が、深く染められた絹糸で刺繍してくれたものだった。
この深く染められた絹糸を人々が躊躇なく買える、
そんな安定した、豊かな、平和な治世にしたかった。
今、私は……やっと、そう思える。
私の成したことは、間違ってなかったと。
この、私の治める地の人々を、この年も困窮されなかったと。
嗚呼、本当に良かった。
ああ、本当に良かった……。
目から涙が溢れて、溢れて、止まらなかった。
どのくらい、経っただろう。
気付いた時には、側に妻が居た。
優しく微笑みながら、私の頬をつたう涙を……
あのハンカチで、そっと拭いてくれていた。
叫びなんて、馬鹿らしい。
幼い頃から何度も見てきた、父に縋りつき喚き叫ぶ母。
母に冷笑を浮かべ、父は『君も僕みたいに愛人をつくると良い。』と言う。
そんな滑稽なやり取りを何度も見てきた。
女泣かせのクズな父。婚外子は把握しているだけでも、数十人は居た。
父に固執し続けた母。実子の完璧さを求め、次第に狂っていった。
大人に成り切れない、哀れな両親を見て思った。
喉を枯らしても、届かないと。
そう、貴女に出逢うまでは……。