繋がり、縁、etc……
女は、それらが何よりも、嫌いだった。
なにせ、それらに常に振り回されてきたからだ。
ただ、生きているだけ。ただ、少々他者より秀でたものがあるだけ。
それだけで、命を狙われた。
だから、努めた。自分の持つ、全てを……。嫌っていた、それらまでも。
しかし、それはもう……『わたし』では無かった。
動物を愛していた…、民を愛していた…、親しき人々を愛していた…、
この国を愛して……やまなかった、
『わたし』は、もう……居なかった。
そこに居たのは、……薬を手放せない、常に仮面を被り……役を演じ続け
……他者の隙に漬け込み、他者を操り、利用し、切り捨て続けた、
空虚で、哀れで、滑稽な女だった。
そして、気付いた。
わたしの器では……、わたしのような者は……、
この地位は……、この権力は……、持たぬ方が良いことを……。
このように、成り果てた。
それは、何よりの証拠だと云うことを。
だから、愛しき……あの子に譲ろうと思った。
あの子なら、きっと……大丈夫。
あの子なら、この地位を……、この資産を……、この権力を……、
わたしの名を……、わたしの全てを……、有するに相応しい。
私とは違い、あの子は芯がある。
竹のように靭やかで、睡蓮のように泥の中でも咲き誇れる。
そんな人に、きっと成れるだろう。
暗闇が怖かった。
日が暮れるのが恐ろしくて……、一時期は夜に寝つけぬほどだった。
恥ずかしながら、今でもやはり一人だけの夜は怖い。
ただ、昔から冬の夜の空は好きだった。
幼い頃、いつも母に車で迎えに来てもらっていた。
その時間帯の冬は、もう訪うに日が暮れ、辺りは夜のように暗かった。
駐車場から家までの少し歩く距離の道。
空を、見上げる。
其処には、ネオンブルーのアパタイトが細かく砕け、
金青色の夜空、いっぱいに散らばり……輝く、数多の星。
その光景は、冬の厳しい寒さを忘れるほどに、脳裏に深く焼き付くほどに、
鮮烈で、美しかった。
目が覚めて、香を焚く。わたしの好きな香りをこの部屋に焚き染める。
此の人は、とても寂しがり。
此の人は、わたしと一緒に朝を迎えたい。
でも、其れは叶えられない。
此の人は、わたしを初めて守ってくれた人。
此の人は、わたしを初めて…心から愛してくれた人。
此の人は、わたしを初めて抱いた人。
わたしは、貴方を愛してる。でも、貴方と一緒には成れない。
もうすぐ、わたしは嫁ぐ。決められた相手のもとへ……。
さようなら、これで貴方とはお別れ。
じゃあね、愛しの貴方。
『愛してるわ。』
私が初めて惚れた人は、高級妓楼の妓女だった。
彼女は、色では無く、芸を売る妓女だった。
将棋や囲碁などの盤上遊戯と、二胡の演奏が評判の妓女だった。
容姿は整い、美人の部類だが、此れと言った特徴は無い、
どの街にも一人は居そうな普通の娘だった。
どこか儚げで、優しく、柔順な彼女は、瞬く間に値は吊り上がっていった。
武官の私でさえ、三カ月に一回通うことが限界な程だった。
彼女に身請け話をした、そんな矢先の事だった。
父が、亡くなったのだ。
亡き母は、父から最も愛された妾だった。
其の子たる私は、本妻から真っ先に家を追い出されたのである。
まさか、この時は……家督を取り戻すのに四年もの月日が掛かるとは、
思わなかった。
やっとの思いで、早馬を走らせ、彼女に逢いに行った。
すると、彼女は私の顔を見て……、涙を流したのである。
私は思わず、彼女に駆け寄り、抱きしめる。
そして、絹のハンカチを差し出した。
「あゝ、良かった。貴方を信じて……。」と、彼女は泣き崩れる。
「翡翠」私は、彼女の名を呼ぶ。
「はい。」彼女は、俯く顔をそっと上げる。
其の顔は、涙が溢れながらも喜びに満ちていた。
「ごめんね。迎えに来るのが、遅くなって。」と、私は穏やかな声色を保つ。
見栄を張り、溢れる感情の涙をぐっと堪えながら…。
深く……、息を吐く。
身体を清め、純白の着物に袖を通し、純白の袴を着ける。
小袖に白い襷を掛け、腰帯に一口の刀を差す。
今日も……和多志は、人を殺める。
死刑執行人として、死罪人の最期に立ち会う。
……丁寧に、……相手を死の苦しみを和らげるように。
刀を振り下ろす速度……込める力……刃の角度……を寸分の狂い無く、
首の皮一枚残し、刀を抜く……其の瞬間まで、相手の身体に合わせる。
僅か、一瞬。
其の一瞬で、相手の最期を…、人生を…、変えることが出来ると思う。
例え、地獄のような苦しみの人生だとしても……。
最期だけは、苦しみを和らげられる。
相手を安らかに眠れるように……、人として最期を迎えられるように。
相手の最期を見届け、自らの手で奪った命を生涯背負う。
……其れが、和多志に出来る、唯一の弔いだった。