私が初めて惚れた人は、高級妓楼の妓女だった。
彼女は、色では無く、芸を売る妓女だった。
将棋や囲碁などの盤上遊戯と、二胡の演奏が評判の妓女だった。
容姿は整い、美人の部類だが、此れと言った特徴は無い、
どの街にも一人は居そうな普通の娘だった。
どこか儚げで、優しく、柔順な彼女は、瞬く間に値は吊り上がっていった。
武官の私でさえ、三カ月に一回通うことが限界な程だった。
彼女に身請け話をした、そんな矢先の事だった。
父が、亡くなったのだ。
亡き母は、父から最も愛された妾だった。
其の子たる私は、本妻から真っ先に家を追い出されたのである。
まさか、この時は……家督を取り戻すのに四年もの月日が掛かるとは、
思わなかった。
やっとの思いで、早馬を走らせ、彼女に逢いに行った。
すると、彼女は私の顔を見て……、涙を流したのである。
私は思わず、彼女に駆け寄り、抱きしめる。
そして、絹のハンカチを差し出した。
「あゝ、良かった。貴方を信じて……。」と、彼女は泣き崩れる。
「翡翠」私は、彼女の名を呼ぶ。
「はい。」彼女は、俯く顔をそっと上げる。
其の顔は、涙が溢れながらも喜びに満ちていた。
「ごめんね。迎えに来るのが、遅くなって。」と、私は穏やかな声色を保つ。
見栄を張り、溢れる感情の涙をぐっと堪えながら…。
深く……、息を吐く。
身体を清め、純白の着物に袖を通し、純白の袴を着ける。
小袖に白い襷を掛け、腰帯に一口の刀を差す。
今日も……和多志は、人を殺める。
死刑執行人として、死罪人の最期に立ち会う。
……丁寧に、……相手を死の苦しみを和らげるように。
刀を振り下ろす速度……込める力……刃の角度……を寸分の狂い無く、
首の皮一枚残し、刀を抜く……其の瞬間まで、相手の身体に合わせる。
僅か、一瞬。
其の一瞬で、相手の最期を…、人生を…、変えることが出来ると思う。
例え、地獄のような苦しみの人生だとしても……。
最期だけは、苦しみを和らげられる。
相手を安らかに眠れるように……、人として最期を迎えられるように。
相手の最期を見届け、自らの手で奪った命を生涯背負う。
……其れが、和多志に出来る、唯一の弔いだった。
蝶のように、美しく、舞う。
スポットライトが舞台を照らし、より女優の艶やかさを引き立てる。
甘い歌声に、多くの人々を魅了する演技に、華やかさな美貌。
誰もが一度は憧れる世界に、わたしは立っている。
この舞台には、わたしを目当てに多くの人が訪れる。
舞台の上から見る、観客席に座る人々の表情が好きだった。
物語に惹き込まれて、わたしを女優としてではなく、物語の住人として見る。
まるで、観客たちと一緒に、物語の出来事を体感しているような一体感…。
そして、物語の最高潮で見られる観客たちの感動した表情。
舞台の終幕後、観客たちは心揺さぶらた…その感動を他の観客と語り合う。
その観客たちの熱く語り合う姿が、何よりも……わたしの喜びだった。
もう少しで、きっと私の命は…尽きる。
手は尽くしたが、もうこれ以上は……今の医療では……生きられないと主治医から告げられた。
血筋を考えれば、私はよく生きた部類だろう。
何が、高貴な青き血だ。近親婚を繰り返した、濃すぎる血。
其の代償に、多くの親族は……私の家は…幼き頃から病を患い、寿命は短い。
やはり、私も……永くは生きられないみたいだ。
やっと、愛する貴方のもとに逝くことが出来る。
でも、貴方の遺したものを思うと…少し気掛かりだった。
私の代で少し血を薄められた…のだろうか。
其れを見られるのは、もう少し先のことに生るだろう。
嗚呼、もう少しだけでも…生きたかったな。
貴方の遺したものの、行く末を……願わくば、見届けたかった。
幼き頃、海は苦手だった。日が強く照りつけ、わたしの白い肌では火傷していまう。日が照りつけると、黒いマントを着る。此れが、とても暑いのだ。だから、海と船にはあまり行きたくなかった。
でも、夜の船旅は好きだった。夜空は、地上よりずっと広くて綺麗だった。
そして、海をずっと東に渡れば、わたしの思い出の地が在る。その国には、もう訪れるは叶わない。でも、大好きな国だった。幼きわたしに多くの世界を見せてくれた。大好きなお世話になった人々が、暮らす国。平和で、貧しくとも困らぬ国。
彼らの教えは、今のわたしを模っている。
師に連れられ、訪れた。海は、わたしの故郷とは全く別物だった。この国の砂浜を彩る、貝殻の美しきことに驚いた。流れ着いた大きな貝殻を耳にあてると、海の音が聞こえた。
人生で初めて感動した瞬間だった。
又、いつか…あの国に訪れ、大好きな人々と再会を果し、礼を言いたいものである。
…願わくば、叶えたい。戦の世に、無謀とも云えるこの夢を。