かつて、純白だった色は黄みがかり、艷やかだった光沢は失われた。
色鮮やかだった刺繍は、色褪せて不鮮明になった。
でも、これは最愛の妻から、初めての贈り物だった。
遠き故郷の私の母に逢うために、彼女自ら赴き、初めて教わった刺繍だった。
時を重ねた繊細で美しい刺繍を施されたハンカチは、真新しいものとも違う良さがあった。
そのハンカチには、華やかさは無い。ただ、洗練された品の良さが在った。
もう使うことは難しいが、今でもクローゼットで大切に保管している。
明るい港。街には、多くの明かりが灯る。多くの人々が着飾り、馬車に乗りこの街に集まる。みな、年に一度どの祭りを楽しみにしていた。
この時期は、身分関係なく、多くの人々で賑わう。
ある者が広場で、音を奏でる。すると、また、ある者は踊り出す。また、ある者は、その音に合わせ、また別の旋律を奏で出した。また、ある者は、その演奏と踊りを見て、楽しんだ。
夜が更けるにつれ、広場には多くの人々が音を奏で、多くの人が踊り、多くの人々が見て、楽しんだ。
その周囲には、人々が集い、酒や串焼きなどの露店を楽しんでいた。
この街は、かつて、無法地帯だった。
出自によっての貧富の差が大きく、生活の質が雲泥ほど開いていた。
ある貴族の青年が武功を挙げ、王から褒美として、公爵の爵位と街の統治権を与えられた。
それから、この街は大きく変わった。
貧しいの人々に職と家を与え、裕福な人々に貧しい人々を支援できる仕組みを作り、貧しい人々の施し方を教えた。
全ての街の住人に無償で、質の高い学を習えるようにするなど、無謀と云われた数々の政策を実行した。
いつしか、その青年は、年に一度、祭りを開くようになる。その祭りを通じ、青年と街の人々につながりが出来るようになった。
それをきっかけに彼は、街の住人から愛されるように成っていった。
普段の彼は、寡黙で多くは語らず、常に堅い表情だったと云う。
彼の死後に、彼の奥方様たちはこう語った。
「祭りのことだけは、街の人々との思い出を語るときだけは、いつも笑みを溢していたの。
わたしたち家族と、他愛のない話しをする時より、嬉しそうだったのよ。」と、彼女たちも嬉しそうに微笑み、口を揃えた。
気持ちとは、難しい。保つことは、大切だ。
でも、時にはその揺らぎがあっても良いと思う。
『完璧である必要は無い。』と、わたしは感じる。
完璧を求めすぎれば、破滅する。
時には、運に身を任すことも大切だ。
望まぬ運命が、不幸とは限らない。
驕り高ぶり、欲に溺れては、やがて、自分を見失う。
足るを知ることも、大切だと思う。
しかし、自分を殺し、型にはめることは、決して無い。
ありのままの自分を受けいれ、たまに厳しく、時には寛容に。
そして、自分の声に耳を傾け、一息つき、整える。
気長に、自分の心が整うまで待つ。
無理に、その場を動くことは無い。
自分を責めなくて良い。
この一時が、大切なのだ。せめて、この時だけは、自分を見つめ、どんなに些細なことでも、認めて褒めてあげて。
気長に待ち、整ったら、自分に『ありがとう』を伝えよう。
以前のようには行かなくとも、ゆっくりと進めば良い。一息つき、整え、そして、また、進めば良い。
それは、昔、まだ身を隠して生きてきた頃の思い出。
ある老夫婦に、お世話になっていた。その年は、いつもより暑い夏で、小さなため池は干上がるほどの暑さだった。
その日は、一段と暑い日で、早朝には暑さで目が覚めた。いつものように、水差しから桶に水を注ぎ、顔を洗い、かたく絞った手ぬぐいで、体を拭いた。
机の上の硬い黒パンをちぎり、口に運ぶ。しかし、いつもの量の3分の1しか喉を通らなかった。
いつものように畑に出て、植物に水をやり、雑草を摘んでいた時だった。
突然、汗が全身から吹き出で止まらなくなり、指先が震え出した。
気がついた時には、ベットで横になっていた。
ベットの横には、老夫婦が居た。「ああ、良かった。本当によかった。目が覚めた。」と、老夫婦は泣きながら、喜んでくれた。
そして、ぎゅっと僕を抱きしめてくれた。
それから、間もなくお医者さまが家に来て、診察してくれた。
「数日間、安静に過ごしたら、体調も回復するよ。それと外では、帽子を被るように。そして、こまめに水を飲むようにね。なにか有れば、また呼んで下さい。では、これで失礼します。」と、お医者さまは、帰っていった。
その翌日には、おばあさんが、おじいさんと僕の分の麦わらで帽子を編んでくれた。
麦わらで出来た帽子は、農作業になくては、ならない必需品となった。
今では、もう小さくなって被れないが、これだけは手放せず、手元に残している。
きれいな人に成りたい。
容姿のきれいな人は、それだけで優遇される。
容姿が整っていたら、貧しくともお金持ちの男性と結婚できる。
わたし自身、容姿には自信があった。でも、所詮は井の中の蛙だった。
此処には、わたしより美しく、色っぽい女たちで溢れていた。
美しいと綺麗は、違う。と、此処で思い知らされた。
わたしは、美しくは、成れなかった。
「おまえは、きれいだが、美しくは無い。」と、楼主に、客に、言われた。
わたしには、変えることの出来ない容姿に烙印を押されような、呪いの言葉に思えた。
しかし、わたしの姉様となった人は違うと言った。
「綺麗な容姿とは、それだけで武器だ。
一見すると、その綺麗という武器は 無敵のように思えるかも知れない。
しかし、それは違う。
それだけでは、人を魅了することは出来ない。
それだけでは、美しいとは、言えない。」と、姉様が言った。
「では、美しい方々と綺麗な方々の違いは、何なのでしょう。」と、わたしは
姉様に問うた。
「内面だよ。見かけだけでは、人は魅了することは叶わない。
美しさとは、心に響くものだと思う。
美しい者は、知っているのだろう。
己の心の有り様は、玻璃の鏡のように、周囲の目に、はっきりと映すことを。
だから、美しい者は 芸や容姿だけではなく、学を身につけ、内面を磨く。
見かけだけでは、到底、測ることの出来ない『心』を。」と、姉様は教えてく
れた。
だから、わたしは、内面を磨いた。
『心』が鏡なら、『学』は、絵画だと思う。
自分の『心』の鏡に映したものを、『学』は言葉に表すことで、互いに見せ合い、写しあうものだと、感じた。