愛があればなんでもできる?
何となく流したラジオから聞こえてきたワンフレーズ。愛があれば。私がユキを探すのは、愛ゆえなんだろうか。このユキへの執着は、愛なんだろうか。読んでいた本を閉じ、古さを感じる皮の表紙を撫でる。本に喰われた人間の生き返らせ方なんて調べてしまうくらいユキを取り戻したい。何年とあの本の行方を追ってしまうくらいユキを求めている。双子だから。姉妹だから。たった一人の肉親だから。ユキと結ばれた縁が細く細くまだ繋がっていてまだ死んでないっておもってしまうから。少なくともこの世界のどこかに、あの本の中に、まだユキの魂が囚われていると確信しているから。これは愛なんだろうか。
「……コーヒー飲も」
膝に乗せた本を机に置いて立ち上がる。暖かい日差しの降り注ぐテラスから薄暗い室内へ。春から夏へ移ろってはいるものの日陰はまだ少し寒い。
『ふたごはふたりでひとりだよ』
誰が言った言葉だっただろうか。
『たりないならさがさなきゃ』
そうだね。探さなきゃ。だってこのままじゃ人になれない。当たり前を取り戻さなくちゃ。
『あいじゃないよ。わたしのはんぶんかえしてほしいだけ』
キッチンの戸棚を開けようと上に手を伸ばす。くらり。視界が揺れる。たたらを踏んでドキンと心臓が跳ねた。「……なにこれ?」
こういう時ってとりあえず座ればいいんだっけ。くらくらと揺れた感覚のままなるべくゆっくり座る。でも、ここからどうしたらいいか分からない。
『はやくさがしてよ』
声が降る。ゆっくり顔をあげるとにっこりと笑う幼い自分がいた。
『ゆきをかえして?』
「え?ガーデニングをやってみたい?」
「……う、うん……ちょっと興味があるっていうか、こう、ね?き、気分転換?あ、空いてる時にちょっと教えて欲しいなー、なんて」
いつもの品物を買うついでにとそんな相談をされ、チガヤはキョトンとする。暫く姿を見せなかったかと思いきやトレードマークとも言えるほどに長かった髪をバッサリと切った友人の、俯いてもにょもにょと口篭る姿を物珍しそうに見つめた後、ふむ、と考えるように視線を上に向けた。
「……や、忙しいなら大丈夫なんで、そいじゃあ」
「まってまって、違う違うよ、どういう花をおすすめするべきかなぁって考えてただけだから」
暫しの無言に耐えられなかったのかスっと帰ろうとする背中を引き止めて、立ち話もなんだしさと作業場兼休憩場所となっているバックヤードに通す。彼女は店は良いのかと心配していたがどうせ馴染みの客しか来ないだろうし呼んでもらえれば聞こえるのだから問題ない。
「はい、ここ座って。ごめんね、ちゃんとした椅子なくて」
「えっ、わっ、いや、今じゃなくて良いんだけど」
「いやいや、ナギさんはそう言ってもう声をかけてこないでしょう?せっかくやってみたいって思ってもらえたんだもの、すぐやってみようよ」
「で、でも、今、君は仕事中だろって」
「僕はナギさんが暫くお店に来てくれなくて寂しかったんだけど」
「人の話を聞け?」
「せっかく久しぶりに会ったのに、ナギさんは僕とのおしゃべりに付き合ってくれないの?はい、どうぞ」
椅子をすすめても気まずそうに立っていたが、お土産に持ってきてくれたクッキーと休憩時に飲もうと用意していた紅茶を簡易的にテーブルにしている段ボールに置くとさすがに観念したのか椅子に座った。その対面に座ってまずは紅茶を1口。お客さんから貰ったものを適当に用意したが、なかなか美味しい。これはリピありだ。彼女も紅茶に口をつけたのを見届けてから口を開く。
「とりあえず、ナギさんはお庭をどんな感じにしたいかな。難しい花を育てるとか複雑なレイアウトでも僕一緒にやるし、なんでもやれるよ」
「なんで君もやるの前提なんだよ」
「え〜?僕も人様のお庭でガーデニングしたぁい。ナギさん家のお店ってさ、お庭も結構広めだから手を入れてみたかったんだよね」
「私欲しかねぇな」
ボソッと呟かれた言葉は聞かなかったことにして、ガーデニング雑誌や庭園の写真集なんかを引っ張り出す。
「この中にこういう感じとかあるかな」
「うーん、うわ、庭ってこんなカラフルになっていいんだ」
ゴウンゴウンと音を立てる洗濯機の前で読書に勤しむ。チラリと窓に視線をやって天気を見ると透き通ったスカイブルー。本日は晴天、洗濯日和なり。そろそろ春が来るのか凍てつくような寒さがゆっくりと溶け始め、日差しも暖かくなってきたような気がする。良きかなと1人頷いてまた本に目を落とした。
数十分の後に洗濯終了と声をあげる洗濯機から衣服を取り出してカゴに移す。ここ最近は少々忙しく洗濯の暇がなかったからこんもりと積み上がった衣服に面倒くささを感じてしまう。ふー、と溜息をつきつつカゴを持ち上げ裏庭へ向かう。
外に出ると風に乗って春の香りがする。これだけ天気も風力も良いのならきっとすぐに乾くだろう。シーツや掛布団も一緒に干したっていいかもしれない。取り込む頃には温かくて優しいお日様の匂いを堪能出来るはずだ。良いな、お日様を堪能したい。堪能しよう。そうと決まれば話は早い。まずは目の前の洗濯物を終わらせなければ。そんなご褒美に思いを馳せて、カゴの1番上にあったタオルを手に取った。
近づいては行けないと何度も言われていた危ない魔導書が並ぶ書架の方に転がって行った鉛筆を追いかけたのが、全ての始まりだった。大して傾斜もないはずの床をコロコロ転がっていく六角鉛筆。まるでナニカにおびき寄せられるような、そんな不自然さに気付けずに、ただ止まらない鉛筆を追いかけた。
「ナギ?ねぇ。そっちはだめって師匠が」
いつもならそう言われたら素直に諦められるのに。なぜかユキの声が妙に遠くに感じた。だって、まだ鉛筆を拾ってない。あの鉛筆を拾わなくちゃ。
少し奥にあった簡素な木机の足にぶつかってやっと止まった鉛筆を拾い上げる。さぁ、ユキの元に戻らなくちゃ。振り返った刹那、
「ナギっ!」
ユキの声。ドンッと突き飛ばされて右のこめかみに衝撃が走る。驚きが勝って痛みが飛ぶ。全ては一瞬だった。クラクラする視界を何とか持ち上げて自分の立っていた場所に目をやった。大きく開いたページにじわじわと吸い込まれていくユキを見た。
「っ、ぅ」
抵抗している呻き声。でも、本は無情にも閉じられていく。
「……ゅ、き……」
手を伸ばす。助けたくて。でも届かない。視界がブレる。バチン、ブラックアウト。次に目を覚ました時には、もうユキは遠く、遠くに行ってしまった後だった。
あの時、完全に本が閉じる前にこちらを見たユキの顔がどうしても思い出せずにいる。
「ユキ」
そう声をかけると風に吹かれるセミロングの隙間から翡翠の目がこちらを向いた。
「ナギ!ひさしぶり」
隣に腰掛けて別れた時から一切変わらない片割れをまじまじと見つめる。ユキも珍しいものを見るようにじっとこちらを見つめている。
「ナギ、おっきくなったね?」
すっとユキの手が晒している左耳に伸びた。チャリ、とピアスに触れ、いくつか穴の空いた耳を撫でる。
「ピアスもあけたんだ。大人だね」
「そうね、ユキを置いて大人になっちゃった」
「ピアスにあってる」
「ユキとお揃いにしたかった」
びゅうと一際強く風が吹いて、右側を重めに垂らしている前髪が乱れる。一瞬だったが見えてしまったのだろう。耳に触れていた手が右のこめかみに向かう。
「いたい?」
「いんや。もう全く」
温かい体温がこめかみを当たる。
「傷跡になっちゃったんだ」
「だいぶ強くぶつけたから。ちょっと掻きむしったりしちゃったし」
「師匠に治してもらえなかった?」
「治して欲しくなかった。自分の戒めに」
労わるように撫でられるのがこそばゆくて、痛そうに顔を曇らせるユキを見たくなくてそっと手を握って傷跡から離す。
「ね、あのさ」
「なぁに?」
「抱きしめてもいい?」
「子供のころのナギはそんなこと聞かなかったよ?」
「んふふ、じゃあ遠慮なく」
軽い身体を膝に乗せてぎゅうと抱きしめる。ユキだ。ずっと、ずっとこうしたかった。
「ごめんね、ユキ」
「いいんだよ。ナギはなにも悪くない」
「あたしが死ねばよかった」
「あたしはナギが無事ならそれでよかったの」
「助けるのに時間がかかってごめんね」
「それこそ良いんだよぉ、見つけてくれてありがとう」
小さな腕を背中に回して宥めるようにさすってくれるものだから。言うつもりのなかったことが口からこぼれ落ちる。
「今度は、あたしも連れてってくれる?」
「だーめ」
「なんで」
「ナギにはもっとお土産話持ってきてほしいから」
「ユキがいないと生きていけないよ」
「大丈夫だよ。だって、ナギはあたしを探してる時一人で生きてたもん」
「ユキに会いたかったからだよ」
「もう一人で歩けるでしょ」
「やだ。ユキといたい」
段々体温が消えていく。膝の上の重みが無くなっていく。どうしても一緒に連れていって欲しくてさらに抱きしめた。
「いたいよ」
「あたしたち双子でしょ。一緒にいてよ」
「双子だけど、もう二人で一人じゃないよ」
「やだ、やだ。ユキと一緒にいたい」
「ナギ、泣かないで」
「っないてない」
「ナギ大好き。長く長く生きて。ずっと待ってる。助けてくれてありがとう。もうあたしに囚われないで」
消えていく。会いたくてたまらなくて、探し求めてさまよった、たった一人の家族が。終わりは呆気なくて、言いたいことだけ言って、あの世の両親の元へ逝ってしまった。
「大好きなら一緒に連れて行ってよ……」
ユキのいない世界に生きている意味なんてないのに。長く生きてなんて、残酷だ。