憂鬱だった朝、足元に転がる銀杏、匿ってもらった古本屋、なけなしのお小遣いで買った小説達、死に場所を探した昼、虐められている白い烏、風に飛んでいく原稿用紙の隙間から現れた彼女との出会い、三毛猫親子とおばあさん、秘密の路地裏、はるか彼方のはくちょう座、彼女の最期。
何の変哲もないこの生活道路には、俺だけに見える想い出がこんなにもある。
たくさんの想い出
雪だるまを作るのは、どうしてあんなにも楽しいのだろうか。
まずは両手で雪玉を一つ。ギュッと握ったそれを降り積もった雪の上で転がしていくと、どんどんどんどん大きくなる。
やった分まで視覚的にも感覚的にも変化が現れるそれがあまりにも楽しくて延々と続けてしまい、気づけばせっかく作った頭が重すぎて身体に乗せられなくなる。しかし、むしろそうなった時が一番達成感を感じているのかもしれない程に、転がすという作業は単純でクセになるのだ。
流石に、このマンションの駐車場で作ったらクレームが来るかもしれないとは思っているので、近所の神社で知り合いの子供達と雪合戦を兼ねて、といった感じで毎年のノルマを達成している。
冬になったら、雪だるまとホットミルク。
……子供っぽいだろうか?
冬になったら
さくらんぼは、二つくっついてできる。
なんでも、1つの花芽から2個の花が咲くから……らしい。
つまりは、蕾の頃からの相棒と共に、赤くて丸く、可愛らしくて甘酸っぱい二つの実となるのだ。
まるで初恋が成就した幸せ幼馴染カップルを見ているようで、初めてそれを知った時は何故だか少し恥ずかしくなった。
しかし、大抵は収穫されるときにはなればなれになってしまう。こうして、同じ店で二つのプリンアラモードを頼んだとしても、その上に乗っかっているさくらんぼ達は、互いに知らない者同士の可能性が高いのだ。
彼女の口に運ばれていくさくらんぼの片割れを何気なく見つめながら、俺はそんなことを考えていた。
彼女が口を開ける。
俺も口を開けて、同時に小さな果実を頬張った。
瑞々しい食感と爽やかな甘味が広がる。
美味しい。俺と彼女は目配せして笑った。
はなればなれ
一人の望まれない人間としてではなく、金を出してでも手に入れたい人間が世界中にいる、猫や犬といった何かの愛玩動物として産まれていたら。
そしたら、俺は更に幸せになれていただろうか。
そしたら、夜道を行くあてもないまま彷徨っていた、一番救いを求めていたあの時に、拾ってくれる誰かに出会えていただろうか。
……なんて、くだらないたらればを考えながら、コンビニ帰りの俺はとある空き家の前に立ち止まる。
ここは昔、猫好きのおばあさんが一人で住んでいた。近所の野良猫達に別け隔てなく猫缶をあげていた姿を何度か見たことがある。特に、軒下を借りて子育てをしていた三毛猫母さんとその子供達を、我が子のように気に入っていたように見えた。
今は、おばあさんも猫達もどこにいったのか。いつの間にかすっからかんになっていたこの家には、もう誰もいない。知らないうちに総て消えてしまった。
ただ、最後に産まれた子猫達の行方だけは知っている。
車に轢かれ、烏に襲われ、保護団体のような人達に捕獲されて……多分、皆死んだ。
俺が子猫だったら。きっと、誰にも知られず、彼らと同じ末路を辿っていただろう。
まだ、文章という救いがあるこの人生の方がマシだ。俺は自分にそう言い聞かせ、身体が冷え切らないうちに歩き出した。
子猫
外に出てからずっと清くも冷たい秋風に追いかけ回されている。ミルクティー色のコートをめくり上げ、適当にまとめた髪に思いっきりぶつかりながらも空に飛び上がった彼は、自転車で走る俺を追いつつ、未だ落ちることなく枝々にぽつりぽつりと残っていた銀杏の葉をむりやり散らしていく。
寒い。自然と吐き出される上がりきった息はまだ白くはならないが、冬に近づいているのが実感できる。
視界の端に、黄色の扇達が舞い踊るのが映る。どうやら彼はすぐ後ろまで迫ってきているようだ。
それにしても、家までついてくるつもりだろうか。このしつこい秋風は。
秋風