貴重な日曜が恋活に忙殺され、彩子は疲弊しきっていた。そんな中、来るはずないと思っていた八木橋からの唐突なお誘い。奥手な彼なりに勇気を出して送ってくれたと思うと、藤堂よりも強いときめきを感じてしまった。
心が揺れたまま臨んだ藤堂との3回目のデート。彩子はついに『失敗』した。雑音に気を取られて彼の話を上手く聞き取れず、的外れな返事をしてしまったのだ。帰り際に流れた気まずい空気。藤堂からは少し遅れて次のお誘いが来ていたものの合わせる顔がなく、来月まで伸ばすことにした。
翌日、いても経ってもいられず親友に電話すると、彼女はわざわざ彼氏まで呼びつけて、ふたりで親身に相談に乗ってくれた。
「もう3回目だし、相手はそこまで気にしてないんじゃない?」
彼氏はそう言ってくれた。しかし、藤堂には自分以外にやり取りする人間がまだふたりいる。それならいっそ、こちらから身を引いた方が良いような気がしていた。
「趣味が同じってのも大事だと思う。長期的に見れば、ご近所君よりゲーム君の方が合ってる気はする」
親友はそう言った。
育ちは同じだが趣味が違う藤堂と、育ちは違うが趣味が同じ八木橋。性格や価値観も、ひょっとすると八木橋の方が近いかもしれない。
消えかかっていた小さな灯火が息を吹き返した。目鼻立ちがくっきりしながらもどこか幼い雰囲気を纏う八木橋の顔を、今度こそ目に焼き付けたいと思った。
【消えない焔】彩子7.5
彩子は藤堂とマッチングする前に、やり取りを始めていた男性がいた。彼――八木橋とは朝一回、昼一回、夜二回といった感じでコンスタントにメッセージをやり取りしていたが、実際に会うまで時間がかかった。
口調は穏やかだが、奥手で少しネガティブ。彩子が色々聞き出して行く形で会話は進行した。
メッセージからその片鱗を感じてはいたが、外出にはほとんど興味がないようだ。デートの取り決めにおいて、これは非常に大きな問題だった。彩子もデート先のレパートリーは少ないし、積極的に誘えるタイプでない。連絡先を交換し、互いにお礼を送り会ったものの、今後やり取りが続く望みは薄い。
彼も同時進行は苦手で、現在は彩子としかやり取りしていなかったとのことだ。それが却って申し訳なかった。
八木橋との顔合わせを終えた後、藤堂から来ていたメッセージに返信する。
『そういえば今日、大学名入りのジャージを来た学生たちが電車に乗ってました。部活の大会でもあったんですかね?』
話題の展開に期待してみる。返ってくるのは日付が変わる頃か、もしくは翌日の昼か。
女心と秋の空とはよく言ったものだ。
マッチングアプリを始めて一ヶ月弱、この間に彩子の情緒は目まぐるしく変わっていた。
メッセージが嬉しいはずなのに、中身を確認すると途端に返信のプレッシャーに苛まれ、相手の反応速度が乱れると疑心暗鬼になる。
いつになったら私の心は休まるの?
あの時どうしたら良かったの?
私はどんな人を求めているの?
そもそも、私にパートナーを手に入れる資格はあるの?
彩子の問いは尽きない。
【終わらない問い】彩子4
マッチングした近所住まいの彼――藤堂との二回目のデートは、金曜の夜に決行した。
待ち合わせの改札前に着いて辺りを見回す。人の顔を覚えられない彩子でも、彼の姿はすぐに見つけられた。スーツを纏った彼は、初デートよりも大人びて見えた。
彩子が提案した職場近辺の洒落たカフェで、閉店まで話し込んだ。
小中学校の話から何となく恋バナの流れになると、過去の恋愛遍歴やアプリの進捗状況など、一般にタブーとされる話題にまで片足を突っ込んでいた。
藤堂は赤裸々に語った。
彩子を含む五、六人ほどの相手と同時進行でメッセージをやり取りしていたこと。彩子へのいいねは無料のばら撒きでしかなく、デートに誘ったのもダメ元だったこと。
「こんなこと言うと失礼ですが、布川さんより前に会った方はいずれも綺麗だったんですけど、自分の中で相手のことを整理できてなくて同じ話題振っちゃったりとか、地雷踏んじゃったんですよ」
彼は苦笑いした。
「美人でも残ってるってことは、それくらい心が狭いってことなんじゃないですか。私も人の話をあまり覚えてないので、地雷踏みがちです」
そう返しながら、彩子はじわじわと自分の内側が黒く濁って行くのを感じた。
お前は美人じゃないとも取れる発言も少し応えたが、それ以上に気になったのは呼び名だった。
初デートからメールでのやり取りの間は下の名前だったのに、今日は苗字で呼ばれた。
藤堂は彩子の家の前まで一緒についてきたが、上がろうとすることはなかった。お礼メッセージがその日のうちに来て、次の予定もすぐに決まった。彼の恩師が経営する静かなカフェ。アプリの時から話に上がっていた所だ。二週間後の日曜日、自宅の最寄り駅で午後一時に待ち合わせて向かうことになった。
とても誠実で正直な人だ。今後も関係を続けようとする意志は感じる。しかし、数多のキープの中から、彼が自分だけに狙いを定めてくれるまで、どのくらい時間がかかるのだろう。
彩子は十分すぎるほど彼にアピールをしてしまっていた。あとは大人しく待つか、揺さぶりをかけるしか選択肢はない。
彼が自分以外の相手から振られてしまいますように。そんな最低な願いを、彩子は胸の中にしまった。
【秘密の箱】彩子3
初デートを終えた彩子は、親友との馴れ初めを思い出していた。
彼女とは誕生日が一日違いで、この地区に移り住んだのもほぼ同時期だったことから仲良くなっていった。
今日会った彼も、彩子と同じ地区に住んでいるという。小・中学と大学の出身校が一緒で、引っ越してきたのも同じ頃。
数多の異性が登録しているマッチングアプリで、一人目から近所の人間を引き当てたのは、何かが働いているとしか思えなかった。
春一番のような存在だった。
彼と関わることができたなら、自分を変えられる気がした。
【予感】彩子2
「彼の転職が決まったら、結婚して東京に行くかもしれない」
小学生以来の親友にそう言われた時、彩子は東尋坊の崖っぷちに立たされた心地がした。
彩子の恋愛経験は一度きりだった。新卒で入った会社の同期と付き合ったが、彼の怠惰に愛想を尽かし、半年足らずで別れた。さらには身体を壊し、会社を辞めて1年ほど引きこもった。それ以降、同年代の男性と関わることは一切なく三十路が見えてきた。
現在の彩子の職場は中年だらけ。当然出会いはない。彩子もそれでいいと思っていた。親友と月一会って遊べば、孤独を十分に癒せたから。
しかし、今の彩子は自分でもおかしいと思うくらいに焦っていた。結婚まで行かなくてもいいから、せめてもう一度恋をしたい。
親友に薦めてもらったマッチングアプリを入れて、彩子は右も左も分からぬまま、とりあえずプロフィールが誠実そうな人を選んでやり取りを始めた。なるべく話に共感を示していたら、意外にも数日で初対面の約束が決まった。場所は彼にお任せしてしまった。
秋らしい色合いの服を箪笥から引っ張り出して並べる。服を選ぶのにここまで悩むことも今までなかった。きっと彼もそれなりにオシャレしてくるはずだ。自分は見合う格好をできているだろうか。
期待と不安で鼓動が速まる。彩子はメイクを終えると、ひとつ深呼吸して、鏡の前で笑ってみた。
【秋恋】彩子1