鍵をかけた自室の中で、イヤホンでLoFiを聴きながら本を読む。他人と接するのに人一倍体力を消耗する愛寧にとって、好きなものに囲まれて過ごす時間は唯一の回復手段である。誰も否定して来ない、ただ彼女を静かに受け入れてくれるこの場所は、家族が立ち入ることも許さない聖域だ。
愛寧は昨日買ってきたタウン誌のカフェ特集を眺めていた。レトロな喫茶店が目に留まる。最寄りから電車で二駅のところにあるようだ。明日は土曜日。愛寧はマップアプリを開き、ピンを立てた。
【ひとりきり】
小学生の頃。愛寧は授業中初めて手を挙げた。しかしいざ担任に当てられると、緊張のあまり答えを言い間違え、クラスのお調子者たちにからかわれた。この時を境に、愛寧は『失敗』を毛嫌いするようになる。
その場に合った言動や行動をしなければ、批判される、馬鹿にされる。いつしか愛寧は、失敗の可能性がある機会すら恐れるようになっていた。
空閑はあの時、愛寧と席が隣同士だった。彼自身はもう覚えていないだろうが、泣きじゃくる自分の姿を見られている。これ以上、彼の前で恥を晒すわけにはいかない。
【フィルター】
愛寧には友達がふたりいる。正確に言えば、ふたりの作った友達の輪に入れてもらっている。
「そういえばさ、最終回、めっちゃ良かったよね!」
「だよね!マジで泣いたわ」
ふたりが昨日見たドラマの話をし始めた。こういう時、愛寧は自分の前に見えない壁ができたと感じる。
ふたりの話題に上がるものについて、愛寧も触れてみたことはある。しかし、興味を引かれたことは一度もない。
三人で横並びになっていたはずが、いつの間にかひとりだけ後ろに下がっていた。
【仲間になれなくて】
愛寧は水溜まりを避けきれず、右足を思い切り突っ込んでしまった。歩く度に靴下から水が滲み出て、爪先を冷やして行く。
数歩先を歩いていた空閑が振り返る。
「どうした?」
「水入った」
足取りが重くなった愛寧に合わせ、空閑はゆっくり歩いてくれた。
「なんでそんなむくれてんの」
「……足が、気持ち悪いから」
愛寧は嘘をついた。本当は、彼の前で失敗してしまったことが悔しかった。
【雨と君】
信号が青に変わった瞬間、愛寧は駆け出していた。
最寄り駅まであと500メートルほど、次の電車が来るまであと5分、絶対逃すものか。
愛寧はとにかく早く家に帰りたかった。家の中にある、彼女の部屋が、彼女にとって唯一呼吸のできる場所なのだ。
【信号】