サイコロを投げる。
出た目の数だけマスを進める。
誰もが知っている双六ゲームだ。
双六ゲームは盤上にどんなマスがあるのかが一目で分かる。何の目を出せば進むに止まり、何の目を出せば戻るに止まるか、一回休みになるかなど。
つまりゴールに至るまでのマス目の数が分かれば、合計で何回サイコロを振れば辿り着くのか、おおよそ分かってきてしまう。
その何回かに起こる余興を、楽しむゲームと思えばいいのかもしれないけれど。
それではいつか、つまらなくなるだろうから。
俺はイカサマなしで、純粋に振っただけの目を、知り得ることができる側になりたい。
だってそれだけが唯一、神様だけが知っているものだから。
【神様だけが知っている】
「この道の先には、あなたにとっての輝かしい未来が待っています」
俺は力を込めてそう言い放ち、ニコリと微笑む。
そうすると、俺の前にいた若者がぱっと明るい笑顔を浮かべ、躊躇っていた足を進ませて前方へと去って行った。
この流れを、毎日延々と繰り返す。
それが、今の俺の仕事だった。
何も知らない無垢な輩を、この道の先に進ませる。この道の先に何があるのかなんて、全くもって知らないのだけれど、そんなことは俺にとってはどうでもいいことだった。
ただ与えられた仕事をこなし、給料を貰う。
それだけできれば、あとは誰がどうなろうが興味もない。
そんなことを考えていたら次の奴が来た。そいつは長い裾のコートを羽織り、フードを目深に被っていて顔が見えない。男なのか女なのか、はたまた若者なのか老人なのか、何も判断がつかないけれど、俺は気にせずにすっかり慣れきってしまった口上を述べる。
「この道の先には、あなたにとっての輝かしい未来が待っています」
言ったあとはいつだって、不安に覆われていた目の前の人物の表情がいくらか晴れる。そうして躊躇していた足を進ませていくのがお決まりの流れ。現在俺の前にいるこいつの顔は、暗く翳って隠れているが、それでも変わらずそのまま道の先へと進んでいくものだろうと、その時までの俺はそう思っていたのだけれど。
「・・・・・・輝かしい未来?」
そいつはいっこうに足を動かさない。それどころか、予想外にこちらへ話し掛けてきた。
「本当にそんなものが、待っているんですか?」
「・・・・・・ええ、もちろんですよ。何も不安がらず、どうぞお進みください」
愛憎のいい笑顔を浮かべた裏で、こいつは面倒臭いなと俺は舌打ちをする。
さっさと進めばいいものを。どうせここを通る奴らに、進む以外の選択肢などありはしないのだから。
俺は半ばぞんざいにそいつへ前進を促した。そいつはコートのポケットへ徐に手を入れると、影になった表情を俺の方へと向ける。
「そんなもの、どこにもありませんでしたよ」
次の瞬間、ズドンっ、と重い音が鳴り響いた。
驚く間もなく、俺の胸に焼け付くような熱さが、一気に広がっていく。
「・・・・・・お、まえ・・・・・・っ!」
俺は胸元を抑え、数歩退いた。そいつの右手からは硝煙をのぼらせる黒い銃口が伸びていた。
「あなたは、無責任だ」
ごぼり、と俺は血を吐いた。後ろへよろけて背中から地面に倒れ込む。
「そして、無関心だ」
銃口を突き付けるそいつが、倒れた俺を見下ろすようにして立っている。
「無責任と無関心は、時に誰かを殺します」
夥しい量の血液が胸から溢れてくる。俺は霞む視界と意識の中であいつの低い声を聞いた。
「この道の先に誰かを歩ませたいなら、まずはあなたが前を行くべきです」
銃口は未だ俺の方を向いていた。カチリという不穏な音が俺の耳に響く。
「未来を語れるのは、未来を作ったことがある人だけですから」
ズドンっと激しい銃声が一発鳴った。
放たれた二発目の銃弾が俺の胸をさらに抉るが、その時の俺はもう、完全に息を引き取っていた。
【この道の先に】
夏の強い日差しが降り注ぐ。
まとわりつくような湿気を連れて、熱く肌を刺していく。
時折、その熱さに紛れて、肌の表面をぞわりと擽るような感触が、通るときがある。
細く柔らかな刷毛に撫でられたような、そんな感覚だ。
気付かぬうちに小さな虫が肌の表面に止まったのか。髪の毛束がはらりと落ちたのか、それは分からぬが。
私はまだ一度だってその虫を目で捉えられたことなどないし、私の髪は幼少の頃からずっと、肩になど掛かったこともない、ショートヘアーなのだけれども。
【日差し】
トン、トン、トン。
窓のガラスを叩く音がする。
部屋の中にあるベッドの縁に腰を掛け、手近にあった本を読んでいた私は、ふと読むのを止めて窓の方へと顔を上げた。
「ねぇ、ねぇ、中に入っていい?」
窓の外からそんな声が聞こえる。私は閉じた窓をじっと眺めながら、はっきりとした声で告げる。
「ダメ」
私は再び本のページに視線を戻す。
窓の外が大きな影に塞がれたように暗くなり、悔しそうな叫び声が響き渡った。
【窓越しに見えるのは】
「ちょっと小指かして」
そう言われて咄嗟に小指だけを立たせた右拳を差し出せば、彼女は何やらポケットから取り出したものを、僕の小指に巻き付けた。
「何この毛糸・・・・・・」
「赤い糸の代わり」
はあ。そうですか。と、曖昧な返事をする。なぜ彼女が急にこんなことをし始めたのかその理由はわからないまま、作業を見守る。
「できた」
糸からぱっと指を離した彼女は、僕の小指に留まった赤い蝶々結びを、誇らしげに眺めていた。
「・・・・・・えっと、これは?」
「君が私のものだっていう印」
・・・・・・さいですか。と、僕は心の内で微妙な相槌を打った。
「でも、赤い糸って運命の人に繋がってるものなんじゃないの? これだと僕は誰とも繋がってないし、君のものっていう証明にはならないんじゃ・・・・・・?」
ふと浮かんだ疑問を口にすれば、彼女はきょとんと目を丸くする。
「証明じゃなくて、これは印。君が私のものだっていうことは、君と私だけが知っていればいいことだから、別に周りに明かすこともないでしょ」
とりあえず周りの人には、君が誰かのものだっていうのが分かればいいんだと、何とも彼女らしい持論を振るう。
「・・・・・・それじゃあ、君が僕のものだっていう印もつけてよ」
そう提案してみたら、彼女は「いいよ」と言ってやや小指を浮かせた形で右手を突き出してきた。
僕はポケットに手を突っ込む。まさかこんな流れになるとはと、いささかの驚きを抱えながら、彼女の右手の指先を掴む。
「・・・・・・先に言っとくけど、僕の印は赤くはないから」
その言葉に彼女が一瞬だけ小首を傾げる。彼女的にはちょっとしたお遊びも兼ねてこの赤い糸の印を思い付いたんだろうけど、僕の場合はお遊びにして貰ったら困る。
「その代わり、無くさないでね」
けっこう悩みに悩んで選んだんだからと、彼女の指先をぱっと離せば、小指の代わりに薬指の根元へ小さなリングを留まらせる。
薬指を見た彼女が目を見張り、嬉しさで跳びはねるまでの数秒の間、僕の心臓は気が気じゃなかった。
【赤い糸】